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もう大丈夫、とアメリアが言ったのは、フランシスがアメリアの家に来てから三日目のことだった。
この三日、寝ている時間以外はひたすら食べ続けたアメリアだったが、その食べ物はどこに消えたのか、姿かたちは小さくて細いままだった。
「約束通り、災厄――星の軌道を、変えてあげる」
アメリアは笑った。出会ったあの日――、フランシスの「災厄を何とかしてくれるのか」という問いに「うん」と答えた、あの日と同じ小さな笑み。
行こ、と言われて、フランシスはアメリアのうしろをついて行った。
この三日、フランシスはアメリアの家で生活していたが、二階より上には行ったことがない。アメリアは二階に上がり、それから細い階段を使って三階に上がった。
三階には一部屋だけ。天井はすべて透明なガラスでできていて――、積もった雪で白くなっていた。
アメリアが小さく手を振ると、ガラスの屋根に積もった雪が音もなく消えて、満天の星が輝く夜空が現れる。
アメリアはじっとガラスの向こうの夜空を見上げてから、フランシスに向きなおった。
あの日と同じ、小さな笑みを浮かべたまま。
「あのね。ご飯おいしかった。それから、誰かと話したのも何百年かぶりで、この三日すっごく楽しかった。だからね、フランシスのお願い、叶えてあげる」
「あ、ああ……」
頷きながら、フランシスは小さな違和感を覚える。それは本当に些細なものだったが――、妙な胸騒ぎがして、眉を寄せた。
「そんな顔をしなくても、星は落ちてこないよ」
アメリアは天井に向かって――空に向かって両手をあげる。
手のひらから光が溢れて、天井に黄金色の大きな魔方陣が現れた。
「アメ…リア……?」
風もないのに、アメリアの髪が揺れる。真っ黒い髪は毛先から銀色に染まっていき――小柄な彼女は、ゆっくりと姿を変えた。
髪が伸びて、背が伸びる。
すらりと細いのはそのままに――、二十代半ばほどの、息を呑むほどにきれいな女に。
銀色の目をしたアメリアは、ちらりとフランシスを見て、にこりと笑った。
「あたし、あんたのこと結構好きだったわ」
まるでそれは最後の別れのように――
「アメリア‼」
叫んだフランシスの目の前で、黄金色の光に包まれた彼女が放った一筋の光がガラスの屋根を通り抜けて夜空に吸い込まれていき――
アメリアは――、倒れた。
災厄はすぎさった。
巫女のババァが新しい予言を告げたのは、アメリアが倒れてから十日後のことだった。
アメリアの家に旧友の魔法使いであるアンドレが迎えに来て、フランシスは城へ戻った。
災厄から国を救った王子としてフランシスは英雄のように褒めたたえられたが、フランシスは何もしていない。
ただ、アメリアに食事を与えて、星の軌道を変えると言う魔法を使わせて――
「アメリア」
フランシスは眠ったままの彼女に話しかける。
星の軌道を変えるという魔法を使った彼女は、魔法を使った後で倒れて、あれから一度も目を覚まさない。
黒髪の少女の姿に戻った彼女は、城のフランシスの部屋の隣の部屋で眠り続けていた。
アンドレが迎えに来たときに、フランシスはアメリアを城へ連れ帰った。死んだように目を覚まさない彼女を彼女の家に一人にはしておけないし――なにより、フランシスがアメリアと離れたくなかったから。
大きな魔法は命を削る。
そう教えてくれたのは、アンドレだった。
早く教えてほしかった。そうしたらもっとほかの方法を考えることもできたはずなのに。けれどもアンドレは淋しそうに笑って、たぶん彼女以外に災厄をどうにかすることはできなかったよと答えた。
何がラブラブパワーだくそったれ。
ババァは多分知っていたのだ。
アメリアだけが使える大きな魔法でのみ災厄を退けることができて――それが、彼女の命を削ると言うことを。
「ごめん……」
そっとアメリアの前髪に触れる。
アメリアはもう十日も眠り続けている。いつ心臓が止まってもおかしくない――、城の侍医はそう言った。
何とかしろと言ったけれども、目を覚まさないことにはどうすることもできないらしい。役立たず。そう一番罵ってやりたいのは――、自分だ。
「アメリア――」
ババァの予言はくそったれな予言だったが、一つだけ正しかったことがある。
「食い意地の張った、八百歳すぎのババァなのにな」
微苦笑を浮かべた目から涙が零れ落ちる。
ラブラブパワーが何なのかは知らない。だが一つ言えることは、フランシスはアメリアを愛してしまった。くそったれ。巫女のババァめいい加減くたばれ。半ば八つ当たりのように毒づきながら、アメリアの頬を撫でる。
何度も頬を撫でて、ゆっくり身をかがめると、その小さな唇に唇を重ねた。
触れるだけの、短いキス。
触れた唇が温かかったことにホッとして、顔をあげたフランシスは大きく目を見開いた。
「アメリア……?」
アメリアの長いまつ毛が小さく震える。
まつ毛を揺らしながらアメリアの目はゆっくりと開いて――
「おなかすいたぁー」
かすれた声でつぶやいたその声に、フランシスは泣きながら声をあげて笑った。




