8暇をもてあます(前)
「この後何をすればよろしいでしょうか?」
ポルカのお世話が終わって、朝食を食べて……となると、もう何をすればいいのか思いつかない。
「ゆっくりすればいい」
その言葉は昨日も聞いたけれど、マーガス様は私をゆっくりさせて一体全体どうしたいのだろう。毎日忙しくしていたところ、急に放り出された感じがして落ち着かない。
「私、他にも色々できると思います」
「色々、とは……例えば、何を?」
マーガス様はちらりと目線を上げて、私をじっと見つめた。
「洗濯、草刈り、簡単な帳簿つけですとか……」
返事はなかった。こちらを見ていたはずの瞳は伏せらせ、カップの中に注がれている。雑用には一通り慣れているつもりだったけれど、マーガス様のような厳しい環境に身を置いていた方からすると無能の極みかもしれない。
「それでは、手紙が来たらまとめて書斎に持ってきてくれないか」
と、マーガス様は言った。確かにそれなら私もできそうだ。
「そのうち誰かしらが屋敷に来る。世間話でもして親交を深めてくれ。むこうは君の事を知っているから」
その言葉にほっとして、マーガス様を見送った。
とは言っても。何時手紙が来るのだろうと、私は玄関ホールのあたりでうろうろとしている。
マーガス様に屋敷じゅうの鍵の束を渡されて探検したはいいものの、あっと言う間に終わってしまった。
ポルカは早めの午睡のつもりなのか、芝生の上で丸くなっていて私にかまってくれはしない。
屋敷の中は清潔で、私が手を加えるべき場所は見当たらない。
ゆっくりしろと言われても、何も思いつかない。読書をしようにも、マーガス様は書斎にいらっしゃるのだ。お邪魔できるはずもない。
──何か、何かないかしら?
動いていないと、妙なことを──自分の先行きだとか、世の中に対する不平不満とか、考えても仕方のないことを考えてしまう。
「何をされているので?」
あてもなくうろうろとしていると、背後から声をかけられた。見慣れない不審者と思われたかもしれない──と慌てて振り向くと、いつの間にか、私の背後にメイド服を着た少女が立っていたのだった。
一瞬ブラウニング家からの使者だと名乗った青年に思えたけれど、目の前の人物は明らかに女性だし、なによりも、身長がまったく違う。
「何か、お仕事がないかと……」
そう答えると、少女は黒目がちの瞳をぱちぱちとさせた。
「ラクティスから『俺が馬を繋いでいるあいだにさっさと屋敷に単身突撃していったから、あまり世話を焼く必要はなさそうだ』と」言われましたが、その通りの方のようですね」
「て、てっきりそのまま放置されたのかと……」
どうやら私ををここに連れてきた青年の名前はラクティスと言うらしかった。待っていても戻ってくる気配がなかったので早合点してしまったようだ。
「ラクティスは鈍くさいですからね」
「そ、そういうつもりじゃ……」
別に彼女の兄を悪く言うつもりはない。行き違いがあっただけなのだ。なんと言ったらいいものかと慌てていると、少女はくすりと笑った。
「ご挨拶が遅れました。わたしはミューティです。兄と共にマーガス様に使えております。以後、お見知りおきを」
そう言ってミューティは美しいお辞儀をした。背筋がすらっとしていて、足さばきは相当運動神経がよいのだろうと思わせる。
「素敵なお名前ですね。よろしくお願いします」
「はい。わたしは自分に自信があります」
そのゆるぎない自信がなんともうらやましい。言葉は少し訛りがあるけれど、堂々としている割には威圧感のない不思議な少女だ。
「先に説明しておきますと、わたしたちは使用人扱いですが業務に関してはてんで素人です」
とミューティは宣言した。
「人出不足で連れてこられた……と?」
おそるおそる尋ねると、ミューティは顎に手を当ててむずかしい顔をした。
「いいえ。向こうの屋敷に人は沢山いるのですが。旦那様は今、とにかく気が立っていて。放っておいてほしいのだそうです」
だからこの屋敷には人がほとんどいないのだ。何か人間関係でマーガス様を悩ませるような事があったのだろう。
せっかく招き入れて貰ったのだ。私も信頼を得られるよう、真面目に働かなくては。
「私、頑張ります」
「はい。噂通り働き者な方で。いつでもお供します」
「そう言ってくれて心強いです」
年の近い女性がいるのは安心するし、なによりこのちょっととぼけた感じが、私の警戒心を緩ませる。
「それでは奥様、今からなにをしましょうかね?」
背後を確認したけれど、私とミューティ以外に人影は見当たらなかった。
「奥様、どうしてわたしを無視なさるので? せっかく仲良くなれたと思ったのは、勘違いでしたか?」
ミューティは形のよい唇をとがらせた。
「お、お、奥様って私のこと!?」
ごく普通に聞き流してしまったが、どうやら彼女は私に話かけたらしい。
「……? はい。あの……もしかして、アルジェリータ様ではない?」
先ほどまで全く臆する様子がなかったミューティだが、私が固まってしまったので、自分の判断を疑い始めてしまったのだろう、気まずげに切り出した。
「いえ、アルジェリータは私よ」
すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていたが、マーガス様は俺の妻になればよい、とかなんとか言っていた。頭がぐるぐるして、そもそもそれは冗談だと思っていたけれど──本当に、そのつもりで人に話してしまっている、ということか?
「奥様、どうなさいました?」
「あの……」
「はい」
「アルジェリータ、と名前で呼んでくれないかしら」
「はい。それで、何をしましょうかね」
とは言ってもまずは何から頼むべきか? 屋敷の案内だろうか? それは先ほど終わった。
出入りの商人の名簿ももらった。身支度は済んでいる。彼女は人間のお世話係であって、騎竜の話題は専門外だろうし。
──そうだ、晩御飯の相談でもしようかな。
そう思って彼女をみやると、ミューティはあいまいにほほ笑んだ。
「わたしから一つ、提案しても?」
「ええ」
「奥様……アルジェリータ様はまずですね……お洋服を購入されてはどうでしょうかね」




