5解せない求婚
「……え?」
「俺と結婚すればよいと言っている」
思わず素で聞き返してしまったが、マーガス様はしれっとした顔で繰り返した。真面目そうな容貌は、とても冗談を言っているように思えなかった。
「わ、私が……マーガス様と……? なん、なん……なっ……なんでそうなるんです?」
とうとう、呂律が回らなくなってきた。昨日からよく分からない事しか起こっていない。
「君を呼んだのは、俺だ」
マーガス様はすっぱりと言い放った。やはり、彼の言葉にはまったく嘘がないように思える。
「な、なぜ……」
「ブラウニング家に嫁ぐためにやってきたのだから、別にそれが俺に変わったところで問題ないだろう?」
「問題は……あるに決まっています」
「例えば?」
まっすぐな視線に怖じ気付くけれど、それでもちゃんと言うべきことは言わなければいけない。
「……そんな冗談を言うのはよしてください」
「冗談を言ったつもりはない。それに、問題があります、の答えになっていないが」
「私がブラウニング公爵家に嫁ぐなんて、そんなの許すはずがありません」
「おかしな話だ。誰が誰を許さないって?」
問いかけに、再び頭がぐるぐるする。確かに、両親も一度は了承したわけだし……いや、それは私の結婚相手が老将軍だと思っていたから。許される筈がない。……許さないのは誰だろう。リリアナ? 両親? それとも……自分?いやいや、私がお断りするのは、それこそおかしな話。
「私には、とても務まりそうにありません」
しばらく考えたのちに、やっと答えを絞り出す事ができた。私には務まりません。社交界にも出ていないし。
「俺が妻に求める条件は二つ。健康であることと、同じ方向を見ていてくれること」
「それだけですか……?」
将軍閣下が妻に求める条件にしては、いささか緩すぎるような気がする。
「ああ。これさえ満たせば、後は君の好きなようにしていい。俺は君が望むこと全てに応えよう」
「私の、望み……」
私の望みは、なんだろう。騎竜の里へ帰ること? 衣食住に困らないこと? いや、今はマーガス様の発言について考えよう。そもそも、健康はともかく、同じ方向、とは? まさか方角ではあるまい。
「それは一体、どう言う……」
そう問いかけた瞬間、マーガス様の背後から、にゅっと黒い影が顔を出した。
「……っ!」
騎竜だ! それも、とびきり立派で、美しい。ガラス窓の向こうから、興味深げにこちらを覗きこんでいる。
──マーガス様は、気が付いていないのだろうか?
いいや、ここは町中だ。いきなり野生の騎竜がお屋敷に乗り込んでくるなんてことはあり得ない。つまりこれは彼にとってなんてことのない展開だと言う事。
「彼女は、俺が戦場で乗っていた騎竜。名をポルカと言う」
マーガス様の言葉に納得する。騎竜と騎士は一心同体の相棒だ。戦時中でなくとも一緒に行動しているのはおかしくない。これほど広い敷地を有する屋敷なら、庭に放し飼いにしておくことも十分にありえるだろう。
「これからは戦後処理のために王都に滞在する期間が長くなるのだが……」
そこでマーガス様は言葉を切った。ポルカが鼻先でぐいぐいと窓を押しているのだ。このままだと圧力で窓が割れてしまいかねない。
マーガス様が立ち上がり、窓を開けるとポルカはすっと鼻先を室内に潜り込ませてきた。
頭をマーガス様にすりつけ、甘えている仕草を見せているけれど、琥珀色の瞳は私を──見慣れない侵入者をじっと睨み付けている。
──警戒されている。
冷や汗が流れる。騎竜は情が深い生き物だが、ひとたび敵と見なした相手には容赦しない。
「ポルカが君を警戒しているようだが、気にすることはない。他の雄の匂いがするから不安になって様子を見に来ただけだ」
「わ……私、匂うでしょうか」
急に恥ずかしくなって、意味も無いのに袖を擦る。
騎竜は生き物なのだから、完全なる無臭と言う訳にはいかない。洗濯はしているはずだけれど、染みついた匂いがあるのだろうか。
「騎竜は鼻がいいからな」
ポルカはマーガス様の話を完全に理解したかのように、すっと窓から顔を離して再び庭へと駆けていった。変な匂いのする奴は主人を脅かす相手ではないと判断したのだ。きゃうっと若い騎竜らしい鳴き声と、草をかき分ける足音を聞いてから、マーガス様は窓を閉め、再び私に向き直った。
「……」
「……」
──何の話をしていたんだったかしら。話がどんどん脱線して、何が何やら……そうだ、老ブラウニング公爵がお隠れになって、お父上は引退され、マーガス様がもう間もなく公爵位につかれる。
そして老ブラウニング公の後妻になるはずだった私をその妻の座に据えようとか、そんな話だったはず。
まとめてみると、こんなに都合のよいことが私に起きるわけがないとはっきりと理解できる。
「いま見た様に、あいつは気位が高い。人を見るんだ──君は一先ず、彼女的には合格と言うことだ」
「あまり、歓迎されていない様に見えましたが……」
攻撃されないだけマシだが、美貌の騎竜は歓迎とは言いがたい雰囲気を醸し出していた。良くて無関心、だろう。合格したかどうかはわからない。
「気を抜いて走っていったのがその証拠だ。気に食わなければ部屋に侵入しようとするだろうからな」
そう言うものなのか。私もう少し気を引き締めたほうがよいかもしれない。
マーガス様はカップに口をつけ、ポルカが庭を駆け回る足音に耳を傾けているように見えた。私も耳をすませる。騎竜の里に居る大人の個体とは違って、足取りは軽く──若い力を持て余しているように思えた。
「ポルカは戦場で生まれ育ち、それこそ群れの荒くれどもから姫のような扱いを受けてきた。そのせいですっかりわがままが板についてしまい、城の厩舎に押し込まれるのが性にあわないと問題を起こすようになった」
マーガス様はカップを置き、小さくため息をついた。
「すぐ暴れる。気に入らない人間がいれば怪我をさせない程度に脅かして、自分から遠ざけようとする。そのせいで何人雇っても世話係が居着かない」
居着かないのは老将軍ではなく、騎竜のお世話係だった、ということだ。
「戦場ではその気の強さは頼りになったが、ここはもう王都だ。わざわざポルカのために王城に勤めている職員を引き抜くのは人手不足の昨今申し訳なくてな……祖父が使っていた別邸が空き家になったのをこれ幸いと移り住んだのだ」
「マーガス様は、とても騎竜を大事にして……」
いるのですね、と私は無難な相鎚を打とうとした。
「と言うのは嘘ではないが、本当でもない」
マーガス様はいたずらっぽく片目をつぶった。
「俺も元々、貴族の社交だなんだは好かん。今は……二人で人間社会に馴染む練習をするついでに、休暇を満喫している、と言う状況だな」
ポルカはのびのびできるし、マーガス様はお城で窮屈な思いをしなくていい。つまり二人は相棒であるがゆえの共犯関係と言う事だ。
「しかし、ポルカの世話と事務仕事をこなすには体が二つ必要だ」
マーガス様は背もたれに寄りかかり、腕を軽く上げて天を仰いだ。
「そんな折、とある筋からアルジェリータ、君の話を聞いた。祖父は反対しなかったが、大変申し訳ないが、君の家族には難色を示した」
そこまで聞いて、話が繋がった。
マーガス様が何を言わんとしているのかわかったのだ。先ほどの言葉。「君を呼んだのは俺だ」と彼は言った。
同じ方向──つまり騎竜を大事にしてくれるお世話係を探しているのだ、そのために結婚という、重要なカードを切るほどに。
彼はそれだけ、戦場で自分の命を預けた相棒を大切に思っているのだ。
つまりこれは婚姻ではなく、労働だ。
彼は騎竜のお世話係を探している。私は職が無い。能は無いけれど──騎竜の世話には一家言ある。
私はマーガス様のために、ここでポルカの世話をすれば良いのだ。別に妻の座が欲しいわけではない。ただ、衣食住と、賃金が保証されれば、私にとってこれよりいい話はないのだから。
「そうだったのですね、理解しました……!」
「わかってくれたか?」
マーガス様はチラリと私を見やった。その表情にはすでに、初対面に感じた威圧感はなかった。私たちは育ってきた環境も身分も違うけれど、騎竜が大好きと言う点では、同士なのだ。
「はい。お任せ下さい。きっとやり遂げてみせます」
「そうか。ありがとう。よろしく頼む」
マーガス様が差し出した手を握り返す。恥ずかしい事はない。
だって、彼は私の雇い主なのだから。




