書籍化記念SS 今夜はパーティーだから
書籍化記念SSを投稿します。
「今夜は、とても綺麗な月が見えるらしいわ」
「満月ですからね。ということは、絶好のパーティー日和」
「パーティー?」
「はい。旦那様がそう言ったので」
マーガス様が言うなら、本当に今夜はパーティーなのだろう。
ミューティはトマトと鳥肉、豆を煮込んだスープに真剣な顔で香草を振りかけている。肉のメニューの日に、ミューティとラクティスの故郷の味が食べたいと言って、作って貰っている。
ミューティはとても張り切ってくれていて、軽い気持ちで口にしたのが申し訳ないぐらいだったのだけれど、何時の間にか今日がパーティーの日だと決まっていたのなら、その気合いの入り方も頷ける。
「何か手伝うこと、ある?」
私の問いに、ミューティは少し考えこむ仕草を見せた。
「パンは生地の発酵待ちで……飲み物は冷えていて、チーズは作ったし、串焼きはもう串に刺してあるし、サラダもピクルスもあるし……」
彼女の手際の良さにはいつも感心する。ミューティは飄々としているが、ものすごく努力家で、勉強家で、ヘッドドレスでくるりと囲われた小さな頭蓋骨の中には私の何倍もの知識が詰め込まれていて、すぐに情報を引き出すことができるのだ。
「じゃあ、あとはマーガス様をお迎えして、ポルカにご飯をあげてしまえば準備完了なのね」
「……あ!?」
ミューティが突然大きな声をあげて、頭を抱えた。
「どうしたの?」
「デザートを……作るのを、忘れていました……っ」
ビックリするぐらいに悲愴な顔で言うので、少しだけ面白いと思ってしまったのは、秘密だ。
「別に、無くてもいいじゃない。無いときもあるし」
「ダメです。せっかくのパーティなのに。ああ、出入りの人たちは皆帰っちゃったしな……兄貴が戻ってきたら、買いに行かせて……」
ミューティは頭を抱えて、ぶつぶつとお団子が、揚げドーナツが、蒸しパンがどうとか、と呟いている。
そうこうしているうちに、門が開く音が聞こえた。いつもよりもやや遅い気がする。考えごとをしているミューティを置いて、私はマーガス様を出迎えるために勝手口から庭に出て、主人の帰りを察知してそわそわしているポルカの横を抜けて、玄関前まで走った。
「おかえりなさいませ!」
「ああ。ただいま」
いつものように馬車から優雅に降りたマーガス様は、手に茶色の麻袋を抱えていた。
「……お買い物を?」
「ああ」
一声あげれば、商人たちがマーガス様のもとへとっておきの品を献上しにやってくるというのに、マーガス様はこの格好で市場まで行ったのだろうか。私が店員だったら、多分卒倒して簡単な計算もできなくなってしまっていると思う。
「今夜は……パーティーだから。市場に寄って買い物をしてきた」
マーガス様は、大真面目な顔でそう言った。
「せっかくなのでテント、香炉、ランプ、敷物も新調して買って貰いました」
ラクティスも、にこやかな顔でそう言いながら荷物をどしどしと降ろしていく。
……私が認識していなかっただけで、もしかして、本当に大事なパーティーなのかもしれない。
「私、何もパーティーの用意をしていなくて……」
「君が今夜の主賓だから」
と、私は何もしなくていいのだと、マーガス様が言う。そもそも、何のパーティーなのか、私は教えてもらっていない。
「兄貴──っ!買い物頼むー!」
兄の帰宅に気が付いたミューティが、調理場の窓から大きな声を出した。
「デザート作るの忘れた!」
「問題ない」
ラクティスの代わりに返事をしたのはマーガス様だ。
「瓜を買ってきたから」
「ほんとそれ、好きですねー! なら、良かったですー!」
ミューティはそれだけ叫んで、顔を引っ込めた。
……マーガス様が瓜をお好きだなんて、初耳だわ。林檎や杏、無花果よりもお好きなのかしら……。わざわざ市場に寄って吟味されるぐらいだ、夏の果物で一番お好きなのかもしれない。
そう言えば、全然、皆に昔の話をしてもらっていないのだ、と思い出す。
庭にはところどころに騎竜が涼むための大きな木が生えている。その枝にラクティスはハンモックをかけて、芝の上には市場から買ってきたばかりらしい敷物を広げたりしていて、マーガス様は立派な勲章のついた上着を枝に引っかけて、簡易的なテントだろうか──布を張っている。
二人はお互いに確認を取りながらてきぱきと動いていて、とても同じ速度で動けそうにない。
ポルカは何か庭で楽しそうなことが起きるのを勘づいているのか、餌を食べようとしないで、じっと丸まってマーガス様の方をみつめている。
「あのう……」
「ねー、たき火ってもうあるのー!?」
「もうあるぞー!」
私にも何かお手伝いすることありますか? と尋ねた声は、兄妹の声にかき消されてしまった。
「君はここに」
マーガス様に出来たばかりのテントの中に入って待つように指示される。中は絨毯とクッションがいっぱいで、小さな色つきのガラスを集めたランプが灯されていて、まるで物語に出てくる異国のお姫さまの部屋のようだ。
──失敗してしまった。
わいわい準備に参加しながら昔のお話でも聞けたら……なんて思ったのだけれど、綺麗な羊毛のマットをもふもふするぐらいしかすることがない。
「ぎぃゅーうっ」
不意に、テントに黒い影がさした。ポルカが起き上がって、マーガス様の側までとことこ歩いてきたのだ。
「まだだぞ。向こうで待っていろ」
「ぎぅ」
「……お前は本当にたき火が好きだな。邪魔をするなよ」
「ぎぅ」
ポルカが芝の上に座りこんだ音がした。どうやら、ポルカは自分の意思を貫き通すことに成功したらしい。
……私だって。お姫さまみたいにただ、何かをしてもらうのを待ちたいわけじゃなくて。
テントの入口にかけられた薄い絹を持ち上げて外の様子を窺うと、夕暮れの中、神妙な顔でたき火の調節をしているマーガス様と目が合う。
「どうした?」
「あの」
「ゆっくりしていてくれ」
それじゃ、ダメなのだ……。ダメというか、私の望みは。
「な……仲間に入れて、くださいっ。待っているより、一緒に準備をしたほうが、楽しいと、思うのでっ」
──だって、パーティーの準備なんて、一番わくわくするじゃないですか。
「そうか」
マーガス様は少し驚いたように目を見開いてから、優しく笑った。暑くなったのは……たき火のせいだと、思う。
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