31対決(前)
もう振り返る事はない。私は表彰者の列に静かに加わり、名前を呼ばれるのを待った。
「アルジェリータ・クラレンス」
式典は滞りなく進み、最後に一般人枠として、私の名前が厳かに呼ばれた。
「……はい」
人命救助の功が称えられると同時に、私に治癒師としての能力があるとこれからは国が証明してくれる。魔力のあるなしで人の価値は決まらないと分かっているけれど、一つの区切りだ。もう下を向いてうつむいて暮らさなくてもよいし、少しだけ……少しだけマーガスさまの隣に立つ資格ができた、そんな思いがある。
「そなたのこれからの働きに期待しておる」
「はい。精進してまいります」
なんとか淑女の礼を取り、階段を下りる私へ視線が集中する。いまだかつてこんなにも衆目の目を集めたことはないだろう。着飾った私がゴシップ誌の書き立てた通りにフォンテン公爵家のもとへ向かうのか、それとも実家であるクラレンス家へ戻るのか。私の行動を見て噂の真贋を確認しようというわけだ。
私が向かう先は、そのどちらでもない。──マーガスさまの元が、私の戻るところだ。
まっすぐマーガスさまの元へと向かった私を見て、わずかなざわめきが起こった。どういうことだ、と困惑の視線が突き刺さるけれど、私はもう臆すことはない。マーガスさまの瞳を見れば、怖いことなんて何もないのだ。
「立派だった。惚れ惚れするほどに」
「ありがとうございます」
微笑むと、マーガスさまも微笑み返してくれた。
「──まあ、はしたない。妹が妹なら姉も姉ね。公爵家に取り入るのはお手の物という所かしら」
ホールいっぱいに冷たい声が響き渡った。声の主は王の傍らで、私をじっとりとした瞳で見つめていたセレーネ王女だ。
「アルジェリータは今はこのマーガス・フォン・ブラウニングの婚約者です。彼女に対する侮辱は、すべてブラウニング公爵への侮辱とみなします」
セレーネ王女が椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、私とマーガスさまをにらみつけた。周囲はざわついているが、マーガスさまがまとう雰囲気は静かな湖のように穏やかだ。
──覚悟を決めてらっしゃるのだわ。
マーガスさまが何を言うのかまでは私は聞いていない。ただ、今日、すべての謎と、すべての悪縁が断ち切れるのだ。
「……マーガス、あなたは私と結婚するのよ? 婚約の事実、この場の全員が知っているわ」
「婚約は破棄する。と申し上げ、正式に書面で受理されております。王女殿下に他人の結婚について口を挟む決定権はないと存じますが──まあ、婚約破棄の事実を周知することを王女殿下が妨害したのですから皆様の困惑も仕方ありますまい」
周囲のざわつきがより大きくなっていく。
「……そのアルジェリータは、老ローラン・フォン・ブラウニングの後妻として連れてきた娘でしょう。目を覚ましなさい、マーガス。祖父と孫の痴情のもつれなんて、誇り高きブラウニング家にはふさわしくないわ。今なら許してあげる──」
「後妻? 痴情のもつれ? 何を仰られるのやら。わが祖父、ローラン・フォン・ブラウニングはとうにこの世を去っておりますが」
マーガスさまがしれっと事実を口にした瞬間、辺りは時が止まったかのように静まりかえった。
「は……?」
さすがのセレーネ王女も、この切り返しは予想していなかったようで、開いた口が閉じていない。
「ど、ど、どう言うことよ……!」
王女の問いに、マーガスさまはわざとらしいため息をついた。
「私とて祖父譲りの頑固者ですが、めでたく厳粛な式典の場を乱そうとは考えてはおりませぬ。しかし、王女殿下が語れと仰るのならば、このマーガスも、不得手ながらお話させていただきましょう」
周囲の興味は、あっという間に私からマーガスさまとセレーネ王女の間に何があったのか、そちらに完全に移った。
貴族だろうが、一般市民だろうが、中身は同じ人間だ。性格はそう変わらない。──そう、ゴシップ好きな所は皆同じ。しかも、今日の語り部は今までゴシップとは一番遠いような人間──マーガスさまが自らお話されるのだ。興味を惹かれないわけがない。
「まて。マーガス、その言葉は真実か」
真っ先に口を開いたのは国王陛下だ。
「はい。我が祖父であり、グランジ王国十七代元帥を務めました我が祖父ローラン・フォン・ブラウニングはちょうど二ヶ月前、この世を去りました。遺言により、家中の騒動が収まるまでは伏せておくようにとの言でしたため、遅れたご報告になりました事を謹んで謝罪申し上げます」
マーガスさまは懐から一通の手紙を恭しく国王陛下に差し出し、臣下の礼を取った。私もまたそれに倣う。
「うむ……確かに、ローランの筆跡。薄々感づいてはおったが、そうか。終戦の喜びに水を差したくないとの想いがあったのじゃな。頑固者のあいつらしいことよ」
「はっ。申し訳ありません」
陛下は手紙を読んで顔をしかめたが、お怒りではないようだ。
「よい。ブラウニングの男のすることじゃ。して、マーガスよ。家中の騒動と言うのは……結婚のことかね?」
「はい」
──マーガスさまの横顔は、いまだかつて見た事が無いほどの、満面の笑みを浮かべていた。
「さきほど皆様に祝福していただいたこちらの女性──アルジェリータ・クラレンスを我が妻にと考えております」
「どういう事よ!」
真っ赤な顔をしたセレーネ王女がドレスの裾を翻し、私とマーガスさまに駆け寄ってきた。
「場を引っかき回すのはやめなさい、マーガス・フォン・ブラウニング。アルジェリータにはね、フォンテン公爵家から申し込みが来ているの。美しい話に水を差すなんて、あなたのするべきことではないわ」
「してませんよ」
と、集団の中から声がした。
フォンテン公爵令息だ。見違えるように立派な青年に戻っているので、声を聞いていなければ本人だと気が付かなかった。
「ダグラス・フォンテン。情けない死にぞこないの分際で茶化すのはおやめなさい!」
「ただでさえ情けない男だと酒の肴になっていると言うのに、その上横恋慕の濡れ衣まで着せられては、黙ってはいられませんよ。死人ではなく口があるのですし……ね」
怒髪天を衝く勢いのセレーネ王女に対し、フォンテン公爵令息は穏やかで、自虐を含めた洒落まで言う余裕があり、それを聞いて思わず笑ってしまう人も何人か見受けられた。
「確かに彼女に命を救われ、大切な騎竜を癒やしてくれた恩人ですが──戦友と女性を取り合うほど暇ではありません。何かあれば駆けつけるつもりではありますが、今はその必要はないかと」
フォンテン公爵令息はにっこりと微笑んで、胸元に手を当てた。騎竜の羽をあしらった羽根飾りがついている。──青みのある羽根はラルゴのものだ。表彰式に顔を出せるまでに回復したのだから、きっと今日もラルゴで乗り付けて来ているに違いない。またあの子に会いたいと思うけれど──私は人妻になるのだから、よその騎士と騎竜を見てにやにやはできない。
「セレーネ王女、今後はある事無いことを大衆紙に吹聴しするのはお止めください。フォンテン公爵家と連名で異議申し立てをさせて頂きますので」
「なによそれ、そんなの知らないわ! だって、命の恩人なら好きになって当然じゃない? わたくしはその噂話に少し乗っただけだわ。勘違いしても仕方がないじゃない──それに、他の人を好きになったから婚約を破棄するだなんて──ひどいわ。わたくしが何をしたって言うの? 先に婚約していたのはわたくしなのよ」
セレーネ王女の瞳から、宝石のような涙がこぼれた。けれど、マーガスさまにはまったく響かなかったようだ。
「順番が逆です。アルジェリータが好きだから貴女との婚約を破棄したのではありません。セレーネ王女、貴女のことが嫌いだからです」
──古今東西、一国の王女の目前で「あなたが嫌いです」と言い放った男性は存在するのだろうか。私はおそらく、生きている間にマーガスさま以外に該当する男性に出会うことはないだろうと思う。
「ふ……不敬な……! 何をもって、わたくしをそのように侮辱するの!」
セレーネ王女の顔色は赤くなったり青くなったりで、とんでもなく忙しい。
「……セレーネ王女。貴女に問いたい事がある」
マーガスさまは、再びゆっくりと口を開いた。




