28迷える人々(後)
「ダグラス・フォンテン公爵令息! よく無事で……!」
──この人が?
全く関わりがないけれど、私の人生に多大な影響を及ぼしている例の人物。その彼が、こんなところで行き倒れ? でも、死んだと思われていたけれど、そうではないとラルゴが知っていたのなら……だからずっと、主人を探そうとしていたのかもしれない。
「う……お、お前は……? 僕を知っている……?」
「マーガスだ。……よし、体は大丈夫だな。フォンテン公爵もお喜びになる」
「そうだ……マーガス・フォン・ブラウニング……僕は……家に、帰れるのか……」
「ああ、そうだ。良かった、本当に。そら、迎えが来たぞ」
フォンテン公爵令息はマーガスさまの部下にも広く顔を知られていたらしく、すぐに歓声が沸き起こった。このまま、ラルゴとポルカが脱走して市街地を混乱に陥れたことは不問としてほしいし、不審な私の事も忘れてほしい。
「ささ、閣下、こちらに。救護用の担架にお乗りください。御父上にも伝令を飛ばしました。すぐお会いになれますよ」
フォンテン公爵令息は急に閣下と呼ばれて戸惑っているようだけれども、段々と顔つきがしっかりしてきた。立場が人を作ると言うのは本当なのだろう。
「あ、アルジェリータ……さん」
「はい」
「ありがとう。この恩は、いつか必ず」
「お気になさらず。ただの通りすがりですから」
「……ぎっ」
そのままフォンテン公爵令息についていこうとしたラルゴは、最後に名残惜しそうに頬を寄せてきた。
「ずっと探していたものね、良かった」
「ぎっ」
ラルゴは私の袖をくい、と引っ張った。一緒に行こう──ということだろうか?
「ありがとう。検討しておくわ。……でも、今はひとまず、さようなら」
別れを告げると、ラルゴはしっかりとした足取りで、捜索隊の後ろをついて行った。……さらにその後ろに、マーガスさまが乗って来た雌の騎竜がぽーっとした様子でついて行く。ラルゴは確かにとても雄々しい竜なのだけれど、すぐにかっこいい雄になびいてしまうのは、マーガスさまが騎乗する騎竜としての適性はいかがなものなのかしら……。
後には私とマーガスさま、そしてポルカが残された。
人間二人に対して騎竜が一頭なので、徒歩か、二人乗りをして帰る事になるのだけれど。
……気まずい。
何しろ、マーガスさまは私の辞表を持っているのだ。なし崩しになってしまったけれど、出ていこうとしたのは本当だ。決心が揺らがない様、お顔を見ないつもりだったのに……。荷物もなにもない着の身着のままでは、さすがにこのまま「では、お世話になりました」と言う訳にはいかない。
「……彼が君の思い人ではなく、行きずりの相手でもないことは分かった。しかし、この手紙は、どうしてだ。理由を聞かせてくれ」
マーガスさまは、私に向かって強く握ったままの手紙を差し出してきた。
「お手紙の通りです。職を辞させていただきたく……」
「なぜだ」
「……理由は、マーガスさまが、一番分かっているのではないでしょうか」
「セレーネ王女が何か君に言ったのか」
「……そ、それとこれとはまた別に……」
剣呑な雰囲気に、ポルカが私の前に一歩進み出た。毛を少し膨らませて、威嚇の姿勢を取っている。言い方は悪いけれど──マーガスさまから、私を守ろうとしてくれているのだろう。
「ポルカ、お前、アルジェリータを……」
「ぎっ」
ポルカはもう一歩進んで、長い尻尾で、マーガスさまをべし、とひっぱたいた。
大した痛みはないだろう。けれど、マーガスさまはかつてないほどに盛大なショックを受けたように見えた。
「お、お前……」
ポルカはふん、と鼻を鳴らすと、私のそばに戻ってきて親し気に頬を摺り寄せてきた。気難しいポルカの胸の内をすべて知る事はできないけれど──。
──あんたは、どーすんの?
ポルカの瞳は私にそう問いかけているように見えた。
──どうせ、家を出ようとしたことはばれてしまっている。それならば、いっそ、言いたいことは全部言った方がいいのかもしれない。
「──ポルカのお世話は楽しいです。仕事はやめたくありません」
「なら、このまま一緒に……」
マーガスさまが帰ろう、と言うと決心が揺らぐ。彼の言葉を聞く前に、言わなければいけない。
「でも、私は──マーガスさまと一緒にいることに、疲れましたっ!」
「つ、疲れ……!?!?」
マーガスさまは傍目から見てもわかるほどに動揺し、よろめいた。彼を傷つけるような事を言いたいのではない、と続けて喉から出かかった言葉が途切れた。
「疲れ、る……一緒に居ると……」
だんだんとマーガスさまの顔色が悪くなり始めた。
「も……申し訳ありません」
「いや、いい」
マーガスさまはなんとか体制を立て直し、私をまっすぐ見つめた。
「言ってくれ。いや、言ってほしい。お願いだ。君の話を聞きたいんだ──どんな言葉でもいい、何も言えないまま離れてしまうより何百倍もましだ」
そのまま、マーガスさまは私の手を取った。手まで冷たい。思わず、温めてさしあげたくなってしまうのをぐっとこらえて、言葉を続ける。
「……セレーネ王女殿下と婚約されていると聞いて、もう何もわからなくなって……私は当てつけで、ペットみたいに飼われているんだ、と思ったら悲しくなってしまい、思いあがった私にはとても愛人の役を務めあげる事はできないと……」
喋りながら、だんだん胸が苦しくなって、息が出来なくなってきた。──ああ、私は、傷ついているんだ、だから苦しい。泣けば話ができないとわかっているのに、涙がぼろぼろとこぼれる。
「ぎゃっ、ぎゃっ!」
うまくしゃべる事が出来ないのに、ポルカがもっと言え! と煽るように鳴く。
「セレーネ王女が、俺と婚約していると言ったのか。君は愛人だと?」
「は、はい。喧嘩で、マーガスさまが気分を害されて……だから、私は喧嘩のスパイスだと……それで、私がこのままおそばにいると、マーガスさまに醜聞が……だから、もう、おそばにはいられないと……」
──言葉に詰まると、マーガスさまが、ぎゅっと私を抱きしめた。胸が苦しい。苦しいのに、ほっとしてしまう。
「それは嘘だ」
「え……」
「王女と婚約していたのは本当だが、それは過去の話だ。正式に婚約破棄の手続きは済んでいる」
信じていたことが目まぐるしく変わって、何を信じていいのかわからなくなる。けれど、胸に広がる安堵が、私の本心だろう。
「本当だ。正式に締結された書類もある。あの夜、君を陛下に紹介するつもりだったんだ。守れなかった事、不安にさせた事は申し訳ない。けれど、俺の気持ちは本当だ。俺を信じてくれ」
「し、信じたい、です……でも、私、ふさわしくないし、選ぶ理由がない、って」
「……選ぶ理由? 君が好きだから、それだけだ」
「ど、ど、どうして……」
「君が、俺の心を救ってくれたから──恩返しがしたかった。でも、今は俺の方が救われている──行かないでくれ。何をすれば君が喜ぶのかわからなくて、困らせてばかりで申し訳ない。けれど、君がいない人生なんて考えられない。考えたくもない」
「だ、だって、私、マーガスさまが醜聞に巻き込まれて評判を落とすぐらいなら、消えてしまおうと、思ったのに……今も、失礼な事を言って、困らせてばかりで……私、邪魔にしかならないのに……」
「最初っから、俺には落ちる様な評判なんてない。君は俺を買いかぶりすぎだ」
「そんな事ありません。マーガスさまは、何でもできて、全てを持っていて──私は、ふさわしくないんです。だから……」
「そんな事はどうでもいい。君に魔力があろうがなかろうが、身分がどうとか、そんな事は俺にはどうでもいいことだ。他の誰でもない、君が必要だ、アルジェリータ。──一緒に、家に、戻ってくれないか」
──ああ、ずっと、私はこの言葉が、聞きたかったのだ。




