28迷える人々(中)
そう尋ねると、青年は力なく首を振った。
「わかりません。でも、何か……この騎竜はとても懐かしい気がする」
彼が手を伸ばすと、ラルゴはおとなしく頭を下げて撫でさせた。その手つきは騎竜に触り慣れている人のものだし、ラルゴは人なつこい方ではない。ラルゴの主人かどうかはともかく、戦場で関わりのあった人には間違いないだろう。
「きっと、そうですよ」
騎竜に乗る職業は限られている。マーガスさまの伝手を辿っていけば何か分かるかもしれない。
「私、知り合いに騎士団の方がいるんです。調べてもらいましょう。そうすればきっと、あなたのこともわかるはずです」
たまらず男性の手を取って引き上げると、頭が痛むのか、顔をしかめた。
「待って下さい。お願いします、先ほどの治癒魔法を……もう少し……使っていただけないでしょうか? 何か……思い出せるような、そんな感覚があるんです」
どのみち、私一人が騎竜二匹と病人を抱えて王都に戻るのは現実的ではない。
「ええ、わかりました。もう少し様子を見てみましょう──」
不思議な話だ。つい数時間前までいじいじとしていたのに──やる事が決まっていると、こんなにも気分がすっきりとしている。
「アルジェリータ!」
かがみ込んで再び治療をしようと魔力を込めていると、マーガスさまの声が遠くから聞こえてきた。私を──ポルカを追ってきたのだろう、見慣れない騎竜に乗り、息を切らしている。
「マーガスさま……」
「アルジェリータ、その隣の男は一体?」
マーガスさまに険しい顔で問われても、私にはこの人が誰だかわかっていない──何しろ相手もわかっていない。
「ええとですね、私たち、これから……」
「その男と出奔するつもりなのか?」
「え、しゅ、出奔……?」
マーガスさまの手にはくしゃくしゃになった封筒が握られている。見覚えがあるものだ……私が書いたお別れの手紙だろう。
「その男が恋人なのか?」
「いえ、この人は私の恋人ではなくて……行き倒れの人です。さっき会ったばかりの、他人です……」
と、言うだけで精一杯だった。なぜマーガスさまがそのような発想に至ったのかは不明だ。もしかしなくても、頼る人はいます、と見栄を張ったからだろうか?
「会ったばかりの、騎竜乗りと、駆け落ちを……そんなに、俺のことが嫌だったのか……」
「いえ、いえ。そういう事ではなく」
何から説明すればいいのか? マーガスさまはラルゴの事を知らないのだ。狼狽する私をよそに、三頭の騎竜は鼻を合わせて意気投合している。……彼らが人間の言葉をしゃべれたらいいのに。
「アルジェリータ……助けて……」
間の悪い事に、弱った青年はマーガスさまを見る余裕がないのか、今判明したばかりの私の名前を呼びながら縋りついてくる。平常時ならやめてください。と言えるのだけれど、彼には状況を悪くしてやろうなんて思う余裕があるはずもなく、ただ溺れている所に藁役の私が来た、と言うだけの話で、冷たくするのも気が引ける。
「いえ、ちょっと、ちょっと待って。大丈夫だから。この方は私の……」
「僕を置いて行かないで!」
「きゃあ、袖、袖を引っ張らないでください!」
「貴様、アルジェリータから離れろ! 彼女は俺の……!」
──もう、何が何だか。人間は私しかいなくて、全員騎竜だと思った方がしっくり来るかもしれない。
「──私の、話を、聞いてください!!」
マーガスさまが私に駆け寄った瞬間、自分でもびっくりするほどの大声が出て、荒野にどこまでも響き渡っていくように思えた。恥ずかしい。
「……」
「……」
「……」
この場に居る全員が黙って、私の事を見ている。どうやら皆、落ち着いてくれたようだ。すうっと深呼吸をして、マーガスさまを見る。
「マーガスさま、この人は行き倒れの、赤の他人です。まずは救助を」
「ああ……」
マーガスさまの背後に部下の方々だろうか、軍の旗が見えた。遅れてマーガスさまを追ってきたのだろう。
「この方を診てあげてください。記憶喪失らしいですが、戦場ではぐれた軍人の方ではないかと思います。あそこにいるのは、彼のそばにいた騎竜のラルゴです。里に居た頃の知り合いです。脱走したポルカに乗っているうちに、偶然合流しました」
「……そ、そうか」
出来る限り簡潔に内容をまとめると、マーガスさまはごほんと咳払いをした。どうやら落ち着いてくださったようだ。
「部下が来たようだ。彼の身柄はしかるべき場所へ安全に送り届けよう」
「ほら、よかったわね」
ぽん、と縋りついている青年の背中を叩いたが、彼は無言のまま離れてくれなかった。乗りかかった船だ、仕方がない、と魔力を込め続ける。
「俺が付き添おう。アルジェリータは竜たちを見てやってくれ」
マーガスさまは私から青年を引きはがしにかかったが、その動きはすぐに止まった。青年の顔をじっと眺めているのだ。
「お前は……」
マーガスさまの瞳が驚きに見開かれたのがわかった。
「お知り合いですか?」
なら、話が早くて非常に助かる。
「──ダグラス・フォンテン!」
──マーガスさまの口から飛び出た名は、全く知らない、けれど知っている人の名前だった。




