28迷える人々(前)
「アルジェリータ! それにポルカ! 一体……」
マーガスさまはポルカと、その上にまたがっている私を見て、驚きの声を上げた。
「ほら、ほら、ポルカ。マーガスさまが来てくださったわよ」
──よかった、これで解放される。
しっかりと手綱を握りながら、安心させるようにポルカにとんとん、と首筋を叩いてやる。
「二人で何をしている!?」
「……ぎっ。ぎ、ぎ~~」
……ポルカは今まで聞いた事がないような、うなり声を上げた。……怒っている?
──全身の毛が、逆立っている。怒っているのだ。
「アルジェリータ、そのまま動くんじゃない。今そちらへ行く。ポルカを刺激するな……」
マーガスさまが騎竜を動かした瞬間、ポルカは急旋回して走り出した。ポケットから何かが落ちた気がするけれど、今は構っていられない。
「マ……マーガスさま!」
「アルジェリータ、飛び降りろ! 今なら、そう大けがにはならない! 妹以外の治癒師を呼ぶから、思い切って飛び降りろ!!」
マーガスさまの指示はもっともだ。けれどそんな事をしたら、私は落ち着けるけれど、ポルカがどこへ行って、どうなってしまうのかわからない。このまま好き勝手にさせて、取り返しのつかない事になったら……!
「出来ません! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
威嚇のために騎士が槍や弓を向けているが、ポルカはまったく意に介す素振りもない。私という人質がいるから、何もされないと思っているのか、あるいは避けられる自信があるのか。
魔術で作られた柵を軽々と跳び越え、ポルカは王城から伸びる道を、今度は城下町の外壁へとまっすぐ走っていく。
「また、騎竜が出たぞ!」
「今度は違うやつだ!」
「どうなってんだよ!」
すれ違いざまに声が聞こえた。ラルゴは王都を突っ切り、反対側に出て、この辺りを通過したばかりらしい。
ポルカは一体どこへ行こうと言うのだろうか。
彼女は時折立ち止まり、首をぐるぐると動かしながら、鼻先をヒクヒクとさせている。この仕草は仲間を見つけるために匂いを辿っているのだ。彼女の仲間は先ほど居たはず。つまり、違う誰かを探している。
「ポルカ、あなたもしかしてラルゴを探そうとしてくれているの?」
私は次の仮説に辿り着いた。そうじゃなければ困る。
ラルゴの所属はわからないけれど、立派な名札がついていたからそれなりの──いや、かなり格の高い騎士が乗っていたに違いない、と私は考えている。
もしかすると、ポルカとラルゴは戦場で同じ部隊にいたのかもしれない。
騎竜にはそれぞれの名前を認識できる知能があるし、取り違えを防ぐために名前は一頭一頭違うものが登録されている。私が知っているラルゴは、ポルカも知っているラルゴに違いなかった。
「きゅっ!」
ポルカは再び、我が意を得たりとばかりに大股で歩き出した。ポルカの威嚇に、人々は成すすべもなく道をあける。
「ごめんなさい、ごめんなさい! ポルカ、もう好きにしていいから、威嚇はやめて。皆、あなたがマーガスさまの騎竜だって分かっているんだからね」
「きっ」
ぴょこぴょこと、まるでステップを踏むように門から出る順番待ちの人々を追い越して、ポルカは悠々と門を、そして王都を出た。──背中に、私を乗せたまま。
王都を出て街道へと躍り出たポルカは、しばらく首をぐるぐる回していた。
──このスキに、誰かが投網でも投げてくれないかしら。
ポルカは鞍上の私には何もできないとタカをくくっている。なんとか一矢報いたいところだけれど、落ちないようにするので精一杯──むしろ、落ちていないのが奇跡だ。
しっかりと手綱を握りながら、考える。
ポルカは私を落とそうとすれば、簡単に振り落とす事ができる。彼女は自分の意思で、私自身に選択させようとしているのだ。
──何を?
考えてもわかるはずがないし、私の願いもむなしく、ポルカは再び駆け出した。王都から離れるにつれ、遠く、騎竜の鳴き声が聞こえてくる。
──ラルゴが近くにいる。
少しだけ希望がわいてきた。もしかすると、なんとか二頭を並べてまとめて連れ帰る事ができるかもしれないからだ。
やがて、荒野に佇む黒い影が見えてきた。
「あれって……」
まさかと言うべきか、あるいは当然と言うべきか。
「ラルゴ!」
一声叫ぶと、鋭い雄の騎竜の鳴き声がした。
「ラルゴ、あなたこんな所にいたのね」
確かに間違いなく、そこに居るのはラルゴだった。けれど、彼は騎竜の里に居たときのような姿ではなかった。足を痛めていて歩くのがやっとだったはずなのに、今はまるで現役の、騎士を乗せて戦場を勇猛果敢に邁進する騎竜の姿だ。
「ず、随分元気そうね……?」
ポルカは徐々に速度を落とし、ラルゴの前で歩みを止めた。ラルゴが軽く威嚇の様子を見せたのだ──よく見ると、彼は何かを隠すようにしてこちらに立ちはだかっているのだった。
革のかたまり──いいや、違う。ぼろぼろに破けた革のマントを着た人間が、頭を抱えてうずくまっている。歳の頃はおろか、性別すらわからない。
「ラルゴ、まさか、人を……」
不用意に近づいた旅人をラルゴが害してしまったのではないかと、最悪の展開が胸をよぎった。
「ポルカ、降ろしてちょうだい」
ポルカは好きなだけ走って満足したのか、仲間を見つけて落ち着いたのか。打って変わって親切に足を曲げて、降りやすいように気づかいをしてくれた。
手綱をしっかりと握りながら、ラルゴと、蹲っている人に向かってゆっくりと歩みを進める。
「ラルゴ。私よ、アルジェリータよ。覚えている? 心配で、あなたを探しにきたの。これはポルカよ。かわいい女の子だから、脅かさないでね」
ポルカがゆっくりと私の前に歩み出た。これは騎竜が雛を守る時の行動だ──一応、私はポルカに守るべき存在、だと認識されているらしい。
「そこの方、大丈夫ですか。騎竜に、何かされましたか」
「……いいえ。大丈夫、です。彼は……僕を、心配して、そばに……」
ゆっくりと声をかけると、かぼそいけれど返事があった。ひとまず意識があったことにほっとする。声の主は若い男性のようだ。
「では、どうして……」
ラルゴが危害を加えたわけではない。まずは一つ目の不安は消えた。そして、次の疑問がわいてくる。
男性は体一つで、周りには荷物も、同行者もいない。外壁の外は危険だ。獣や野盗が出る。こんな街道から離れた荒野なんて、それこそ騎竜に乗っていない限りは、突っ切る事ができないだろう。
「申し訳ありません。頭が……割れるように……痛くて。どうやってここに辿り着いたのかも……」
顔を上げた男性はひどくやつれて、青白い顔をしていた。元は立派な金髪の青年だっただろうに、ぼさぼさに伸びきった髪と髭が旅の過酷さを物語っている。
「頭痛……少し、待ってください。すぐ楽にします」
せっかく目覚めた力を、今使わないでいつ使うのか。私は跪き、そっと男性の額に手を当てた。
「これは……?」
男性は顔をしかめて、おそるおそる私を見上げた。
「痛み止めぐらいにしかなりませんが……大丈夫ですよ。落ち着いたら、お医者様に診ていただきましょう。ご実家は王都ですか」
「……実は……僕には、記憶がないのです」
「まぁ……そんな」
「思い出そうとすると頭が痛くなって……」
青年の言うところによると、彼は半年ほど前に戦いが激しかったあたりの農村で目を覚ました。おそらく戦争で大けがを負って行き倒れていたところ、村人に救われたのだと言う。体が治った後も、何かを思い出そうとすると後遺症の頭痛に悩まされるようになったのだと言う。
「口調から、あのあたりの人間ではないだろうと教えられて、王都に来ればなにか手がかりがあるかと……」
ラルゴは男性の近くから一歩も動かずに、けれど目線は遠くを見て、辺りを警戒している。
まるで、この人を守ろうとしているみたいに。
「ラルゴ、あなた……この人を知っているの?」
ラルゴがこんなになつくなんて、もしかしなくても関係者に違いない。だって、彼は主人を探すのをやめて、この見知らぬ青年に寄り添っているのだから。
「……もしかして、あなたはラルゴの飼い主さんなのでは?」




