27脱走(後)
「ポルカ!」
ラクティスは屋敷の反対側に居て、ミューティも屋敷の中だ。私が捕まえなくてはいけない。もちろん、彼女には彼女の行動原理があって、今まで壊したことのない柵を壊して、外へ出たのだ。私の命令なんて聞くわけがないけれど、それでも言わなければいけないときもある。
「止まって!」
門を飛び越えたポルカは立ち止まり、石畳の上で小首をかしげてこちらをじっと見つめている。
──あんたには捕まえられないでしょ。
そんな風に、挑発されているような気がした。門を開けて駆け寄るとまた、ぴょんと後ろに下がって、私が近づいたのと同じ分だけ距離を取る。
「やめて! 騎竜が二頭も王都に野放しだなんて、笑い話にもならないわ!」
ポルカの失敗はマーガスさまの失敗だ。逃げられてしまえば、並の騎竜では追いつけない。
──なんとかなだめなければ。
「ポルカ。ほら、干し肉をあげるわ」
ポケットをまさぐると、昨日ポルカにあげた干し肉の残りがあった。手でひらひらとさせると、視線が干し肉に集中するのがわかる。
「ほら、いい子ね。おやつをあげるわ」
ポルカがゆっくりと近づいてきて、はむ、と干し肉に食いつく。嫌な汗がじっとりと流れる。失敗はできない。手綱をつけ、ポルカを引っ張ったけれど──動かない。
「ぐっ……」
私の力では、ポルカを引っ張ることはできない。彼女が自分の意志で屋敷の方に向かって歩かない事には……。あるいは、ラクティスが合流してくれれば、何とかなるかもしれないと淡い希望を抱く。
干し肉を飲み込んだポルカは首をぐいぐいと上下させ、私に乗れと指図してくる。彼女はおそらく人間が上に乗ってさえいればもっと遠い所に行ってもいいと思っているのだろう。
「無理よ」
「……」
「……無理だってば」
もちろん返事はなかった。けれど逃げ出す様子もない。自分の要望が通りそうに無い事を分かってくれたのかしら?
──油断した瞬間に、ものすごい勢いで引っ張られた。思わずつんのめりそうになるが、手綱は絶対に離さない。
「ぎゅいっ!!」
ポルカはものすごい力で前に進もうとする。とてもその場でこらえる事はできずに、小走りでついていく。
「駄目よ、ポルカ……! 待って、待って、待ってよ!」
ポルカはまわりを警戒するしぐさをしながらぐいぐいと私を引きずったまま歩き回るが、とりおり振り向いて何か言いたげに私を見つめている。
──付いて来れないなら大人しく上に乗りなさいよ、とでも言いたげだ。
「……私は、乗れないわ」
不満げにポルカがうなり声を上げて立ち止まった。その瞳は「うそをつくな」と訴えているように見えた。ポルカが首をかしげて、私の目を覗き込む。
──ここで乗るか、置いて行かれるか選んでよ。
ポルカは私にそう、二者択一を持ちかけている。
「……乗ったら、屋敷に戻ってくれる?」
「きゅっ」
ポルカはまるで愛らしい子竜のように鳴いた。どのみち力ではどうにもできないのだから、彼女の意思に任せるしかない。
そのままゆっくりと背中にまたがると、ポルカは迷いもなく走りだした。
「やっぱり嘘じゃないの!!」
ここで振り落とされたら全てが終わってしまう。私は必至でポルカにしがみついた。
『ーーーー!!』
ラクティスとミューティの声が聞こえた。けれど、異国の言葉は私には何を言っているのかわからなかった。いや、あるいはこの国の言語だとしても、聞き取りが出来なかっただろう。
何にしろ、もう走り出してしまったものはどうしようもない。私は辞めるまではポルカのお世話係なのだ。なんとか、彼女をなだめて屋敷に戻さなくては。
自分の呼吸と、心臓の音がうるさい、石畳を蹴り上げ、風を切って、ポルカは走る。振り落とされていないのが奇跡みたいな状況だ。
ポルカは迷いなく北西方向──王城への道をひた走っている。その走りに迷いはない。
「ポルカ、あなたもしかして、マーガスさまに会いたいの?」
マーガスさまは騎士団の演習に向かうと言っていた。もしかして、ポルカは自分の居場所がなくなると思って、嫉妬して、自分の存在をアピールするためにマーガスさまの元へ向かおうとしているのだろうか。
そうであってほしい。そうでなければ困る……。
これほどに早い騎竜の足ならば、王城まではそう時間はかからない。けれど、数分がまるで永遠のように長く感じられた。
「や、やっと着いた……」
王城の門にぶつかって、ポルカは歩みを止めた。王城は深い濠に囲まれていて、城へは跳ね橋を渡らないと中に入ることができないからだ。
ポルカは矢をつがえている兵を見るなり急旋回して、濠の淵を通って、さらに西側に向かおうとしている。私は詳しくは知らないけれど──マーガスさまは軍の訓練場や騎竜の厩舎が西側にあると言っていた。
「マーガスさまと合流できたら、大人しくするのよ」
捕まっているだけで手がちぎれそうだし、少し口を開くと強い風のせいであっという間に喉が渇く。
ポルカは立ち止まり、甲高く鳴いた。
濠の向こうから、軍の騎竜だろう、何頭かの騎竜の鳴き声が聞こえて、数頭の騎竜と、騎士が姿を現した。
ポルカが鳴くと、騎竜も鳴く。騎竜は泣き声や仕草でコミュニケーションを取る事ができるのが証明されているけれど、詳しい内容までは解明されていない。
騎竜たちは、お互いに何かを確認しあっているようだが、ポルカが納得した様子はなかった。
やがて、騎士の一人から警告が発せられた。声を拡張して響かせる──拡声魔法だ。
「そこの騎竜! 止まりなさい。女、手を上げろ!」
──手を上げろと言われても。
手を離したら、私はポルカによって濁った濠の中にたたき落とされるだろう。それで解決するのなら喜んで飛び込むけれど、解き放たれたポルカが何をするかは、それこそ誰にもわからない。
「私は暴走した騎竜に捕まっているだけで、翻意はありません! マーガス・フォン・ブラウニングさまをお願いいたします! この子はマーガスさまの騎竜です!」
「そんなわけ……」
「いや、よく見ろ、あれは確かに閣下のポルカ号だ!」
「まさかそんな……」
拡声魔法を通して戸惑った声が聞こえてきた。いくらやんちゃとは言え、ポルカはマーガスさまの相棒として選ばれぬかれた騎竜なのだ。その彼女がご乱心と言うのだから、すぐには信じられないのも仕方がない。
「ほら、ポルカ。お友達がたくさんいるわよ。もういいわよ、ね?」
なだめる様に声をかけても、彼女が納得する様子はない。とても暢気に降りて、騎士団にポルカを引き渡せるような状態ではない。
ポルカがいらいらしたように一声鳴くと、騎竜たちの奥から一頭が進み出てきた。
──マーガスさま!
「──アルジェリータ!」
マーガスさまの声は、拡声魔法がなくても、はっきりと聞こえた。




