26疑念
二人きりになった部屋で、リリアナが口を開いた。
「ああ~、良かった~!」
リリアナは心底安心したように、大きくため息をついて胸をなでおろした。一体、何が良いと言うのだろう?
「王女さまに目をつけられたら、それこそうちだって被害を被るのよ。愛人ならもっとうまくやってよね。本当に気が利かないんだから。私が仲裁しなければどうなったかわかっているの?」
クラレンス家のことはどうでもよかった。リリアナは私が返事をしないのは気にならないらしく、楽しそうに笑った。
「まあ、でもマーガスさまの気の迷いじゃなくて、きちんと姉さんを選んだ理由があって良かった。都合がよかっただけなのね。あの方、いつも大真面目に見えるから一瞬本気なのかと思って焦ったわ。ちゃんと貴族として遊びと本命を使い分ける方なのね」
「マーガスさまは、そんな方では……」
「じゃあ何よ、真実の愛だとでも言うの? 王女殿下との婚約を破棄して、姉さんを選ぶ──」
リリアナが言葉を切り、もうこらえられないとばかりに笑い出した。
「理由がないじゃない」
マーガスさまにはわざわざ私を選ぶ理由がない。それはリリアナに言われるまでもなく、当然のことだ。
「それじゃあね、私は時期公爵夫人としてのご挨拶があるから。またね、姉さん。──結婚式には、ちゃんと出席してよね?」
言葉が出ない私に苛々したのか、リリアナは私の腕を掴んだ。
「ほら、裏口から出て行って。そんな顔でホールをうろつかれちゃ、いい迷惑よ」
リリアナがドアを開いた拍子に、ホールから優雅な音楽が漏れ聞こえてきて、思わず顔を背けた。あの部屋の中には、マーガスさまとセレーネ王女がいて──今頃、喧嘩は愚かなことだったと、マーガスさまの心は解きほぐされているかもしれない。
一度そんな事を想像してしまうと、どうしても約束通りマーガスさまの元へ向かうことが出来ずに、私は馬車へと戻った。
「……」
「具合が悪かったということで、大丈夫ですよ。旦那さまはポルカに乗って帰ってくるでしょう」
私の顔がよほど真っ青だったのだろう、馬車の中で待機していたラクティスは何も言わずに馬車を出してくれた。
──マーガスさまを置いて、帰って来てしまった。
けれど、やはりあの場でマーガスさまのお顔を見る自信がなかった。衆目の前で号泣するよりは、人知れず去ったほうがまだマシだろう。
「どうしました……? ひどい顔ですよ」
何事かと玄関から出迎えにやってきたミューティが心配そうに声をかけてきた。
「早めに戻らせていただいたの」
「もしかして、私の考えた組み合わせが不評でいたたまれなかった、とかですか」
「そんなことないわ」
「では、どうして……それに旦那さまは?」
「少し、具合が悪くなって……先に戻らせていただいたの」
ミューティの顔を見ることができなかった。彼女はきっと訝しんでいるだろうから。
「薬湯を作りましょうか?」
「いいの。……しばらく、放っておいて。今、とても眠いから」
拒絶の言葉にミューティは悲しげに目を逸らしたけれど、それ以上の追求はされなかった。
靴もドレスも脱ぎ捨てて、寝台に潜り込む。ミューティが部屋の外まで飲み物をワゴンで運んできた音がするけれど、今はお礼の言葉を口に出せないほど気分が重い。このまま地面にめり込んでしまいそうだ。
今日言われた嫌な言葉たちが延々と脳内で繰り返される。
胸のあたりに焼け付くような痛みがあって、魔力を込めてみる。けれど、やっぱり自分の痛みを紛らわせることはできなかった。
眠ることはもちろんできない。布団に入ってうずくまっていると、屋敷の外で騎竜の足音がした。マーガスさまが帰って来たのだ。
そうして、静かなノックの音がした。
「アルジェリータ……」
マーガスさまの声だ。私が居なくなったのを知って、会を切り上げて戻られたのだろう。
「何かあったのか?」
マーガスさまの声はいつものように優しかった。けれど、私は先ほど聞いたこと、自分が思ったことを順序だてて話す自信がない。
「申し訳ありません、具合があまりよくなくて……」
「そうか。無理をさせてすまない。……顔を見せてくれないか?」
「いえ、とてもひどい顔で……申し訳ありません」
「そうか……では、また明日」
マーガスさまの足音が静かに去ってゆき、みじめさで涙が出た。




