24舞踏会にて(後)
最前列に立っていた優しげな老紳士の言葉を受けて、ありがたく最前列に陣取らせていただく。
「ありがとうございます。騎竜の行進を見るのは生まれて初めてなもので、ついはしゃいでしまいまして……」
「ほう。騎士ではなく騎竜が好きなのだね。珍しいことだ」
「そうでしょうか? 私は騎竜が大好きです。毎日一緒に暮らせて、幸せです」
老紳士は微笑んだ私を見て、どこか遠くを見るように目を細めた。
「……そうだね、騎竜乗りと言うのはそういうものなのだね。……私も、せめてあの子だけでも屋敷に戻すか……」
「……?」
どうかされましたか、と尋ねる前に老紳士はすっと立ち上がり、会釈して去っていった。去り際、胸元に見えた家紋は──フォンテン公爵家。
──あの方が、フォンテン公爵。
戦争で行方不明になった一人息子は、騎竜乗りだったと言う。騎竜の行進に、かつての息子の幻影を見ていたのかもしれない。
──はしゃいでしまって、悪い事をしたわ。
少し浮き足立っていた気分を鎮めようと深呼吸したその時、肩を指でつつかれた。
「……もしかして、姉さん?」
聞きたくない声が聞こえて、私は振り向かないことにした。けれど、ふたたび指で肩をつつかれては無視できない。
振り向くと、やはり声の主はリリアナだった。よく言えば華やか、悪く言えばごてごてとしたドレスに、過剰な装飾品をつけて、愛らしい見た目が少し残念な事にになっている。
「……久し振りね」
私がリリアナを見つめたように、リリアナもまた、私を頭のてっぺんからつま先までじろじろと眺めまわしている。
「姉さん……なんだか……派手になったわね。首元のほくろがなければ、気が付かなかったわ」
それはこちらの台詞よ、と喉まで出かかったのをぐっとこらえる。
「腕はどうしたの?」
私に用事なんてあるはずもないのに、リリアナは私から離れようとしない。
「すぐ治ったわ」
「あんなにすりむいておいてそんな訳……姉さんったら、私の親切を無視した上に、使用人の分際で治癒師を手配してもらったの? 本当に迷惑な人ね。いくらかかるか分かっているの?」
「……すぐ治ったわ」
もう一度、リリアナにもわかるようにゆっくりと口にしたが、彼女は納得しない。
「そんな訳……って! なんであんたが、それを身に着けているのよ!」
「きゃっ……」
へんなものを見るような目で私の顔を見ていたリリアナが、急に何かに気が付いたように叫んで、首に手を伸ばしてきた。
「やめて!」
思わず手を振り払うと、リリアナは興奮したような様子でなおも手を伸ばし、私の肩をがっちりと掴んだ。
「そのブルーダイアモンド。それ『公女の瞳』でしょう、ブラウニング公爵家に伝わる」
「公女の、瞳……?」
頭の中から、ミューティが「本家から持ってきたそうですよ」と何気なく言っていた記憶を引っ張り出す。
今の今まで思い至らなかったけれど、マーガスさまは公爵家に連なる方。世間に名高い宝飾品を所持していても、何らおかしな話ではない。
急に、胸元のダイヤモンドが注目を集めているような気がして、そっとリリアナから隠すように手を胸元に置いた。
「どうしてよ! どうしてあんたが、そんな立派な宝石を身につけているのよ!」
「どうして、って……マーガスさまが、用意してくださったのよ」
「なんでマーガスさまが、わざわざ姉さんの為に公爵夫人が身に着ける宝石を用意してくれるのよ! 姉さんは、老ブラウニング公の後妻でしょう? 世代が違うじゃない、出しゃばりね。公女の涙はあの方だって身につけさせて……」
「……違うわ。私は、マーガスさまの妻としてここに来たのよ」
「マーガスさまの妻あ~?」
やっとの事で絞り出した言葉に、リリアナは馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らした。
「そんなわけないじゃない。絶対に……絶対に、そんな事ありえないわ」
リリアナの声が随分とゆっくりに聞こえた。彼女は何か、私の知らないマーガスさまの情報を知っているのだ、と思う。
「だって、マーガスさまは、我が国の第三王女、セレーネさまと婚約しているのよ。お城に勤めている人は皆知っているわ。だから、そんな訳ないのよ」
衝撃的な言葉に視界が歪んだ。リリアナの笑顔がぐにゃりとゆがんで見える。
「ほら、見てみなさいよ、あれ」
リリアナがぐいっと、私の肩をバルコニーに押しつけた。騎竜のパレードは終わっていて、肩越しにマーガスさまに駆け寄る一人の女性が見えた。
「マーガス!」
──マーガスさまを呼ぶ、甘い声。とろけるような微笑みをたたえているのが、顔を見なくても分かる。
ランプの光に照らされて、一段と艶やかにきらめく白銀のドレス。マーガスさまの腕に、自分の腕を絡めるようにして立つその女性は、夜の妖精の様に美しい。
こちら側からは、マーガス様の表情は伺い知れない。
──けれど。もし、私が知っているより、優しい顔を、していたら。
心臓がばくばくと嫌な動きをしているのに、息が苦しい。視界がだんだんと狭くなってくる。
「閣下が結婚なさるのはね」
リリアナがささやく。
「あの方に嫁ぐのは──王女セレーネさまよ」
目の前が暗くなる。体から力が抜けて、リリアナの勝ち誇った笑いだけが耳に残る。何もかも──こんな思いをするぐらいなら、良かったこともすべて嘘だったらいいのに、とさえ思った。




