22力の目覚め(前)
大事を取ってポルカの世話はするなと言われたけれど、いつもと同じ時間に目が覚めてしまった。
「……?」
体に違和感がある。全身をぶつけたはずだけれど、どこにも痛みがないのだ。
「包帯を変えなきゃ」
包帯をほどくと、傷はどこにもなかった。山の民が作った軟膏に、そんな即効性があるものだろうか? それとも出血が派手なだけで、もともと大したケガではなかったのかもしれない。
「怪我の調子はどうですか?」
物音を聞きつけたのだろう、ミューティが廊下からひょこっと顔を出した。
「あ、ええと……大丈夫。すっかり治っちゃったの」
「……いつもよりは嘘をつくのが上手ですけど、そんなはずはないでしょう」
「嘘じゃないわ。ほんとよ」
ムキになってミューティに傷一つない腕を見せると、彼女の目が驚きに見開かれたのがわかった。
「自分自身にも治癒の魔力が使えるんですね?」
ミューティは私の腕を撫でたり、顔をのぞき込んだりと忙しない。
「いいえ。多分、マーガスさまが夜中に何かしてくださったんじゃないかしら?」
「何かって……そんな甲斐性があれば今こんな事に……」
ミューティはなにやらぶつくさ文句を言っていたが、すぐに気を取り直したようで、にっと笑みを作った。
「やっぱり、治癒の力に目覚めたんですよ」
「そんなこと、あるわけないわ」
私だって、子供の頃はどうして自分には妹のような治癒の力がないのだろうと気に病んで色々と調べたことがある。後天的に能力が開花する可能性はほとんどないのだ、ごくまれに歴史に名を残すような人物が大器晩成だったという伝説はあるけれど、めったにない事だから伝説なのだ。
「だって、ほら。騎竜の里に居る間になんとなーく力が使えるようになったんですよね、必要に迫られて。クソ妹とクソ男への怒りが、新たな力を目覚めさせたってこともある訳じゃないですか」
「ないわよ」
ミューティは珍しく、不満げにぷーっと頬を膨らませた。
「そんな事を言うなら、ついてきてください」
ミューティに手を引かれた先には馬小屋があり、中にラクティスが居た。彼は騎竜より馬派のようで、いつもニヤニヤしながら馬にブラシをかけているのだ。……私も人の事は言えないから、あまりそのにやつき具合について言及したことはないけれど。
「愚兄。この辺に具合の悪い人間か動物はいない?」
「愚昧よ。いる訳ないだろう。馬は元気いっぱいだ。奥さまの鳥はどうした」
振り向いたラクティスは、私の腕に包帯が巻かれていないのを見て、わずかに片方の眉をあげた。
「あいつは仮病だから無理。知り合いにいないかな?」
「心当たりがないこともない。ついてこい」
ラクティスが裏門を指し示した。私はそのまま、ミューティに引きずられるようにして屋敷を出る。
「この前馬車に轢かれて、片足を引きずっている犬が向こうの家にいます」
「それは気の毒な話ね……」
犬とは言え、私にとっては他人事ではない。痛みを感じているならば、おさめてあげたいのはもちろんだ。
「ね、だから治してあげましょうよ。黒くて大きくて、凛々しくて、すましてるけれど人懐こいですから。まるで誰かさんにそっくりでね。きっと気に入ると思いますよ」
「ま、マーガスさまが犬にそっくりだなんて!」
「妹は、その犬が旦那さまにそっくりだとは一言も言っておりません」
ラクティスはにやりと笑うと、すたすたと歩いて行ってしまった。……謀られた。
「ここです」
貴族の邸宅街を抜けた先には、なかなかに立派なお屋敷があった。貴族ではないけれど商人か学者か……とにかく立派なお仕事をしている方に違いない。
「ここは引退した元商人の家なのですが、先日飼い犬が散歩中に孫娘をかばってケガをしてしまったそうで。それで孫娘が泣き暮らしていると御者を通じて聞きました」
ラクティスは情報収集に余念がなく、私より何倍もこの周辺の事情に詳しいのだ。
「でも急にお訪ねしても大丈夫なものかしら。家主の方とはお知り合いなの?」
「いえ、そんなに。まあ、なんとかします」
そう言いながらも、ラクティスがブラウニング家からのお見舞いだと告げると、あっさりと屋敷の中に入れてもらうことができた。これが公爵家の威厳というものかしら……。
「まさかうちの犬が公爵夫人にお見舞いをしていただける身分になるとは……」
この家の主人だと言う老紳士は落ち着いてはいるけれど、眼鏡の奥の瞳はせわしなく瞬きをしている。期待と、突然公爵家の使者が押しかけてきた不安がない交ぜになっているのだろう。
「わ、私は別にそのような……」
「しっ。兄に話を合わせてください」
ミューティに話をややこしくするなと釘をさされては、黙っているほかない。
状況が分からずに連れてこられてしまったけれど、ここで私が空振りに終わってしまった場合、非情に気まずいことになる……。
件の犬は、書斎に孫娘とともにいた。少女の足元にうずくまっているその下半身には、お手製だろう木でできた車いすが装着されている。
「お姉さん、だあれ? お医者さま?」
突然の来客に顔を上げた少女の目は少し赤くなっていて、泣き暮らしていると言うのは大げさな話ではないのだろう。
「いえ、私はただの騎竜のお世話係よ。でも少しだけ、その子を楽にしてあげられるかもしれないわ」
「ほんとう!? オニールがまた歩けるようになる!?」
純粋な期待が、私に向かって注がれているのがわかる。緊張で暑くもないのに汗がにじんできた。




