21アルジェリータの胸の内
「やだ、なんですか、それ!」
マーガスさまに抱きかかえられながら帰宅した私を見て、ミューティはめずらしく感情的な声を上げた。
「馬車に轢かれた」
「それで、どうして屋敷に連れ帰ってくるんですか。信じられない、見損ないましたよ。お出かけと言うから涙をのんでお留守番役を引き受けたと言うのに、これじゃあ私がついていった方がよほど……」
「奥さまのご要望だ。ぶつくさ言ってないで、早く軟膏を持ってこいよ」
兄の言葉にミューティはふくれっ面をしながらもたっと駆けてゆき、小さな壺を持ってきた。蓋を開けるとむせかえるような薬草の濃い匂いが立ちこめる。どろりとした藻のような軟膏が蓋いっぱいに入っているのだ。
「山の民秘伝の軟膏です。どうぞ」
そのままミューティが軟膏を塗ってくれるのかと思いきや、マーガスさまが処置をすると言われて、慌てた。
「じ、自分でやります」
「駄目だ。そこまでの要望は聞けない」
緑色の軟膏をべたべたと塗って、包帯でぐるぐる巻きにされた。マーガスさまの包帯の巻き方は若干大げさだ。
「アルジェリータ。今日は君の希望に免じて応急処置にとどめるが、明日は必ず連れて行くからな」
マーガスさまの手つきは丁寧で、そこだけ見るといつものように冷静に見えるけれど、表情はころころ変わる。眉がつり上がったり、反対に悲しげな顔をしてみたり。口数は多くないけれど、彼の中で色々な感情が渦巻いているのが分かる。
──それは、たぶん、私の扱いにほとほと手を焼いているせい。
「でも、ポルカのお世話が……」
「ポルカの世話はしなくていい。あの二人にまかせる」
「私、元気です。軟膏のおかげか、全然痛くありません」
「そんな訳ないだろう。……自分に魔法をかけて、痛みをごまかすのはダメだぞ」
そのような芸当はできないはずなのだけれど、不思議と痛みを感じないのは本当なのだ。
「でも、ポルカのお世話は私のお仕事なのに……」
「そんな事は気にしなくていい。自分の事を考えろ」
マーガスさまにぴしゃりと言われて、なぜだかとても、まごついた。
「自分の、自分のこと、って……」
「そうだ。君はもっと、自分を大事にするべきなんだ」
──自分のことは、極力考えないようにして生きてきた。これまでの事を思うと、悲しくなるから。でもゆったりとした時間があるとどうしてもとりとめのない事を考えてしまうし、マーガスさまに自分の意見を問われる度に苦しい。
「どうして私のようなものに御慈悲をかけるのですか」
うつむいたままでも、マーガスさまが困っているのがわかる。
「……私は、大事にされるべき人間ではないんです」
「なぜそう思う」
「だって……」
「聞かせてくれ。君の話を聞きたい」
私はぽつぽつ、自分の事を話し始めた。戦場で命のやりとりをしていた人にとっては、つまらなくて、ちっぽけな悩みを口にするのは恥ずかしい。
クラレンス家の長女として生まれたけれども期待された癒やしの力はなく、そのせいで家族からは役立たずと罵られたこと。
両親は可愛らしく生まれ、治癒の魔力を持っていたリリアナだけが自分達の子かのように彼女を可愛がった。
家との縁をつなぐ政略結婚の役目はあるからとウィリアムと婚約したけれども、彼は華やかな妹とは違った地味な私のことを疎んでいたこと。
「せめて人の役に立つ事をしろ」と人の出入りが少ない騎竜の里に働きに出された事。婚約者だったウィリアムは「立派な事だよ」と応援してくれたけれど、今思えば彼は私が騎竜の世話と言う危険な職業に就くことで、何か傷物になるような展開をを期待していたのかもしれない、とまで思ってしまう。
いままでの事を思うと、情けなくて涙が出てきた。マーガスさまの指が涙をそっと拭って、その腕が私を抱きしめる。
「でも、仕方ないんです。私は役にたたなくて……」
「君は十分立派に貢献しているし、必要とされている。世の中、魔法が使えない者の方が多い。君はその人たちを見て何か思うか? 思わないだろう」
「は、はい……」
「それと同じことだ。あの家の人間は、身分や魔力のあるなしで人の価値を決めつけて、本質を見ようとしていない。人間の価値はそんな事では決まらない。君はもっと、自分に自信を持つべきだ。怒っていい。自分を卑下するな。君は尊重されるべき人間だ」
マーガスさまの言葉が、じんわりと体に染み込んでいくのがわかる。
「もう傷つかなくていい。誰かに傷つけられたら俺を頼ってくれ。君がじっと痛みに耐えているのを見るのはつらい」
──自分のことは、まだ信じられないけれど。この人の言葉なら信じられる。
強く抱きしめられて、私は思わず、マーガスさまの腕の中で子供のように泣きじゃくってしまった。




