20仕組まれた事故(後)
「マ……」
マーガスさま、と喉から出かかって、背中から漂う怒気に思わず気圧される。
「お気遣いはありがたいが、アルジェリータは我がブラウニング家の人間だ。彼女の治療はこちらで行う」
「マーガス閣下……っ!?なぜここに?」
リリアナが息を飲む音と、ウィリアムの悲鳴のような声が聞こえた。城に出入りしている以上、二人がマーガスさまの顔を知っているのは当然のことだった。
「何故、と言うのは妙な話だ。当家の人間と、他家の貴族が何やら諍いをしている。それを見かけて、止めに入るのは当然と思うがね」
やはり、屋敷の外で見るマーガスさまは恐ろしい。顔を見なくても、声を聞けば怒っていらっしゃるのは火を見るより明らかだ。
「いいえー……。諍いなんて、とんでもない。姉が転んでしまったのをたまたま見かけて。ご存じかもしれませんが、姉はクラレンス家に生まれながらも癒やしの力を持たないのです。その割におっちょこちょいなので、よく怪我をして……意地っ張りなのです。治療をすると申し出たのに聞き入れなくて。本当に困った人です」
リリアナは可愛らしい声で、一気にまくし立てる。大体の人は、みんなこうしてリリアナに丸め込まれてしまうのだ。
先ほどもそうだ。リリアナは息をするように私を下げて、何でもかんでも自分は悪くないと周りを納得させてしまうような、そんな所がある。
「アルジェリータはブラウニング家の人間。こちらで面倒を見る」
「そのようなひどい事をおっしゃらないでください。たった二人の姉妹ですもの、嫁いでしまっても仲良くしたいのです」
マーガスさまの言葉に、リリアナはくねくねとしなを作り、潤んだ瞳でマーガスさまを見上げた。けれど、おおよそ殆どの男性にとって魅力的に映るであろうリリアナの姿は、マーガスさまには良い印象をもたらさなかったようだ。
「君たちには姉を追いかけ回すより先にやる事があると思うがね。アルジェリータが転んだのはそちらの馬車のせいだ。街中で事故を起こした際は届け出が必要だ。傷害罪として立件されたくなければ、さっさと事故処理に向かえ」
「……失礼、いたしました」
マーガスさまの言葉に、リリアナは不満げに俯いた。皮肉なことに私の治療をしなかったことで、事故をもみ消す事は難しくなってしまったのだ。
「い、行こう、リリアナ……あ、ああっ」
慌てて馬車に乗り込もうとウィリアムが扉を開けると、中の荷物が崩れ落ちてきた。羽根帽子、ドレス、宝飾品。すべてリリアナのものだ。
「何をしているのよ……! だから人を雇いなさいと言ったのに!」
リリアナがとげとげしい言葉をウィリアムに投げかけたが、自分は手伝う素振りすら見せない。
「景気がいいのは結構。だが、フォンテン公爵は派手な振る舞いを好まない」
その言葉に、私はなんの関係もないのにどきりとする。──マーガスさまは遺産の事を知っているのだ。
「わ、私たち、そのようなつもりでは。フォンテン公爵家に格を合わせるために……」
「俺に説明は不要だ。それでは、失礼する」
そう告げると、マーガスさまは一息に私を抱きかかえた。まさか白昼堂々、公衆の面前でそんな事をされるとは思っていなくて、硬直してしまう。たぶん、顔が赤くなっていると思う。
「行こう、アルジェリータ」
「あ……姉は、出来損ないです! 自分で自分の怪我も治せないんですから。そのような者に優しくすると、閣下のお名前に傷がつきますよ!」
「その理屈で言うと、君は貴族でありながら国民のほとんどを侮辱していることになるが」
その言葉に、リリアナの表情が凍り付いたのがわかった。私を貶めるために言わなくてもいいことを口走ってしまった自覚はあるようだ。
マーガスさまはそれきりリリアナに視線を戻さず、まるで頃合いを見計らっていたように近づいてきた馬車に乗り込んだ。
「治癒院へ連れていってくれ」
「い、いえっ。そんな、大げさなことは。擦りむいただけですし」
マーガスさまの言葉に、あわてて首を振る。
「だめだ。興奮状態ですぐには痛みを感じないこともある」
「いえ、いえ、大丈夫です。丈夫にできていますので。私なんかにそんなお手間を……」
「その言い方は、やめてくれ」
マーガスさまの言葉に、ぴたりと動きを止める。これは命令ではなくて、懇願だ。
「どうなってもよくないんだ。こんなに酷い目にあって、どうして怒らないんだ」
マーガスさまはびりびりに破れ、血がにじんだ服を見て、深いため息をついた。
「こんなに酷い怪我を……」
「あ……も、申し訳、ありません」
「謝らないでくれ。謝らなければいけないのは俺の方だ。君を一人にせずに、護衛を付けておくべきだった」
「いえ、護衛なんて、そんな……すみません、でも、本当に平気ですから。お願いです、治癒院には行かないでください」
「強情だな」
「……本当は、行きたくないんです。妹の職場、なので……」
リリアナは治癒院に勤めている。今日は非番だろうけれど、結局明日になれば噂が広まるだろう。
治癒の力がないことで、どれほど惨めな気持ちになったか。リリアナはそれをわかっていて、忘れ物だの、なんだので私を治癒院に呼びつけていた時期がある。そのたびに嫌な思いをしたものだ。そんな感情を引きずるぐらいなら、痛みをこらえていた方がマシだ。
「わかった。今日はひとまず、軟膏を塗って、明日騎士団側の治癒士を呼ぶ。相手方に対しては、後ほど連絡をして、しかるべき対処を取る。それならいいか」
「はい」
私が頷くと、マーガスさまはどうしてか、泣きそうな顔をした。




