19マーガスとの外出
「……来ないなあ」
私は1人、噴水広場で足をぶらぶらとさせていた。
マーガスさまとの待ち合わせの時間はとうに過ぎて「この時間までに来なければ帰ってくれ」と言われた時刻を告げる鐘の音が鳴った。
──残念。
単純に、マーガスさまと出かける、という事が私の心を浮き足だたせていた事は間違いない。
けれど、お出かけが遂行されなかったからと言って、私が不満を持つのはいけない事だ。
何しろ王宮からの手紙を受け取ったマーガスさまは、苦虫を噛みつぶしていたような顔をしていたから、とても急ぎかつ、難儀な内容である事は間違いがなかった。
マーガスさまからは「欲しい物があったら買いなさい」と、びっくりする位の大金を持たされている。そのせいで落ち着かないのはいいとして、何か買わないのも嫌味だし、先に買う物の目星をつけておくのもいいかもしれない、と立ち上がる。
──別に、1人でも行動できるもの。
どうせならミューティについてきて貰えばよかった、と思う気持ちを振りはらう。
豪華な馬車が往来する大通りには、この国の住人なら皆名前は知っている──そんな有名店が軒を連ねている。
人気のない森の中で生活して、王都に戻ってきた今でも屋敷からはあまり出ないので、新鮮な気持ちだ。
道端からあれやこれやと煌びやかな装飾品のショーケースを覗き込んでいると、不意にドアの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「もうやだ、ウィリアムったら。だから荷物持ちを雇いましょう、って言ったのに」
「リリアナ、無駄遣いはよくないよ……」
──リリアナと、ウィリアム!
思わず、発作的に建物の陰に隠れた。ガラス越しに私の姿が見えてやしなかったかと、悪いこともしていないのに心臓がバクバクと嫌な音を立てている。
──会いたくない。
別に未練があるわけではないけれど、わざわざふたりと顔を合わせたくはない。息を潜めて、二人が去って行くのを待つ。どうやら二人はこの店で買い物をして、馬車を待っている最中のようだった。
「御者は何処へ行ったの? 本当にとろくさいんだから。彼は首にして、もっといい馬車にしましょう」
「大通りで馬車を停めるためには許可が必要なんだよ。それに、こんなに無駄遣いをしなければ持って歩けるんだから……」
「無駄? 何を言っているのよ! もうすぐ公爵になるんだから、身支度を調えておかないといけないでしょう? ウィリアム、あなたは私に恥をかかせるつもりなの!?」
「は、恥だなんて。それに、相続の事をあまりお、大きな声では……」
「別にいいじゃない。あなたが相続人のいなくなった公爵家の養子に入る事はもう決まっているんだから。こっちが跡取りになってあげるって言ってるのに、どうして小さくなっていなきゃいけないの?」
──やはり、私の推測は正しかったみたい。
リリアナはウィリアムのもとに莫大な遺産が転がりこむことを知り、略奪を仕掛けた。そのお金を当てにして散財を始めているのだろう。けれど、遺産自体はまだ相続出来ていないから、両親のもとに支払いがたまっていて、それで私にお金の無心をしてきたのだろう。
小さくため息をついたけれど、二人が私に気が付く様子はなかった。そのまま細い路地を抜けて、中通りに移動する。道を一本入るだけで、途端に景色は食料品や生活雑貨、衣類などの、親近感の持てる店構えに変化する。
二人がこちらに来る事はないだろう、とこちらの通りを見て回ることにする。
「お嬢さん、今日は買い出しかい?」
「え、は、はい……」
肉屋の前で声をかけられて、立ち止まった。食料自体は毎日邸に配達されるため、買う必要は無いけれども。
「これはポルカが喜びそうだわ……」
騎竜は雑食だが、肉は格別のようで、とても食いつきが良い。
今はポルカには細くミンチにしたお肉と豆などを混ぜた物を与えているけれども、新鮮なお肉はとても喜ぶだろう。
騎竜の里にいた子たちはある程度老齢なこともあったけれど、ポルカはまだまだこれからの若い個体だ。毛艶がよくなるように、いろいろと面倒をみてあげなくては。
「すみません、このお肉をひとかたまり、いただけますか」
「はい、ありがとうございます! 配達しましょうか」
「自分で持ち帰りたいと思います」
少し考えてから、ブラウニング邸の事は口にしない事にした。
配達をすると時間がかかってしまうし、いつ来るかわからない。今すぐ屋敷に戻れば、ポルカの晩ご飯になるだろう。
──屋敷に戻れば、ポルカもきっと喜ぶわ。服を買うのは一先ず後回し──だってマーガスさまがいないのだもの。
包んで貰ったお肉を抱えて、足早に最初の広場へと戻る。昼時が過ぎたからか、人は先ほどより大分まばらになっていた。
──やっぱり、いないわよね。
マーガスさまを乗せた馬車がこちらに向かってやしないかと、一応あたりを確認しておく。
律儀な方だから、約束に遅れたとしてもこちらに顔を出すかもしれない、と思った。
──帰ろう。
噴水に背を向けて歩き始めたその時。
「──お嬢さん、危ない!」
「え……」
誰かが慌てて叫ぶ声が聞こえた。何事だろうとは思ったけれど、それが自分に向けての警告だと気が付くのに、時間がかかった。
ようやく振り向いた私の視線の先には、私に向かって、まっすぐに、暴走した馬車が突っ込んで来るのが見えた。




