14早朝の散歩(後)
「──っ!」
マーガスさまの腕が、私を引き寄せた。思わず体重を預ける形になってしまうが、さすがと言うべきか、がっしりとした腕に抱きしめられると、怖さは感じない。
「ポルカ!」
マーガスさまが鋭い声で指示を出したけれど、ポルカはジグザグに走行したり、小さく跳んだり、大きく跳んだり、ぐるぐると同じところを回ってみたり。
「──ポルカっ!」
マーガスさまが今度は少しきつめに指示を出したけれど、ポルカは聞き入れない。本気を出せば人間を振り払うなんてたやすいのだから、彼女は遊んでいるのだろう。いや、もしかして私の事だけ振り落とそうとして、でもマーガスさまがしっかりがっしりと私を抱きしめているから上手く行かなくて、結果こうなっているのかもしれないけれど。
私が平気な顔をしているのが気に食わないのか、あるいは試しているのか。ポルカは素晴らしい脚力で高く飛び、馬小屋の屋根に飛び乗った。
「わぁ……」
目の前が一気に開けて、庭木の向こうに市街地が見えた。色とりどりの屋根が、まるで花畑のようだ。
「……は、はは、あはははっ」
なんだか楽しくなって、とうとう声を上げて笑ってしまった。
「怖くないのか?」
耳元で、マーガスさまの意外そうな声がした。
「ぜんぜん、怖くありません。……ポルカには、期待外れでしょうかね」
「そうか。助かる。このまま、遠乗りにでも……」
と、マーガスさまが言いかけた瞬間、ポルカはぴょんと馬小屋から飛び降りて、ぴたりと動きをとめた。マーガスさまが押しても引いても気まぐれで、わがままなポルカは言う事を聞かない。──私が振り落とされなかったのが誤算なのか、少しへそを曲げているのかもしれない。
「本当に、お前は……戦場では、こんな事はなかったんだが」
マーガスさまは呆れたように、前髪をかきむしった。
国いちばんの英雄なのに、そんな事は知らないとばかりにマーガスさまを振り回しているポルカが面白くて、とうとう我慢が出来ずに噴き出してしまった。
「今日は随分笑うな」
「も……申し訳ありません。マーガスさまがポルカを振り回しているのが面白くって……」
「楽しいのはいいことだ。この数年は、人を笑わせると言う事がとんとできなくなってきた。そんなはずもないのに、俺の前では笑ってはいけないとか、粗相をしないように気をつけよう、とか皆が勝手に気を遣ってくる」
その点では、ポルカはわがままに見えて、マーガスさまの素の表情を引き出して、心を解きほぐすのに一役買っているのかもしれない。……前向きなものの見方をすれば、だけれど。
「ありがとうございました。とても、楽しかったです。また乗りたいですけれど、ポルカは嫌そうですね」
「そうか? ……そうでもない。信用がないかもしれないけどな。君が騎竜に乗りたいなら、もう少し、のっそりとした動きの騎竜を連れてこようか。もうすぐ繁殖の季節だし、小さいのから育ててもいいかもしれない」
マーガスさまはそう言って、ふわりと、楽しげに微笑んだ。
マーガスさまの突然の提案を頭が理解すると同時に、全身の血が一気に回り始めて、体温が高くなる。自分だけの騎竜。もう少し大人しい性質の仔を、小さい頃から育てて、一緒に野を駆ける……?
「考えただけで、胸がどきどきしてきます」
……顔が真っ赤な気がして、思わず頬を押さえると、マーガスさまは目をそらした。
「?」
「なんでもない。喋りすぎた」
ポルカは私たちを降ろすと、悪びれもなく、いつもより激しくおねだりの仕草をした。二人分乗せたから、二倍おやつを貰う権利がある──そんな風に言いたげだ。
「はいはい、林檎ね」
厨房から持ってきた林檎を差し出すと、ポルカは二口で平らげてしまった。
「君は本当に、楽しそうに騎竜の世話をするな」
「最初は怖かったです。騎竜がその気になれば人間なんて、弱いものですからね。でも、言葉は通じなくても、信頼には応えてくれるでしょう? 誇り高い生き物ですから」
ポルカは自分が褒められたと思ったのか、ごろごろと喉を鳴らした。
「……元々騎竜に縁がある家系ではないと聞く。どうして伯爵令嬢である君が、騎竜の里に?」
マーガスさまの問いは尤もだった。私も、クラレンス家も、元婚約者のアシュベル家だって騎竜と関わる事はほぼ無い。
「……私は出来損ないなので、せめて人さまのお役に立つ事をしろ、と」
「それで、親の言われたままに老人の後妻になって、介護係になることを了承したのか?」
「……わかりません。たとえ自分が生きる為だったり、面倒事を押しつける為だったとしても──誰かに必要とされる事が、嬉しかったのかもしれません」
「では、俺が必要とする限り、ずっとここにいてくれるな?」
マーガスさまが私を必要とする理由が、私にはまだわからない。わからないけれど、私は頷いた。




