14早朝の散歩(前)
朝が来るとポルカの面倒を──彼女の様子を見てやって、食事と水を与える。次に小屋の掃除をして、食後の毛繕いをしてやる。
そのあとはマーガスさまに挨拶をし、自分の朝食を食べてから通いの使用人を出迎える。あとは彼らに任せるだけで、たまにポルカが鳴いたら様子を見に行く。郵便が来たら受け取って、それを分別してマーガスさまに渡す。合間にポルカの様子を見ながら、マーガスさまに差し入れるお茶の用意をする。
それ以外は、することがない。馬の世話も手伝いましょうか、とラクティスに言ったら「これは私の馬です」と言われてしまうし、ミューティは食堂の仕事を明け渡してはくれない。マーガスさまのいらっしゃる書斎から本を借りて勉強をしているけれど、それも集中力が長くは続かない。
何か仕事を探しても『奥さまはごゆっくりなさってください』と気を遣われてしまって、手伝わせて貰えない。というより、私が声をかける前に終わってしまっている。
「仕事がない……」
──だって、騎竜が一頭しかいないのだもの。
思い返せば、何もすることがない、という状況は殆どなかった。だから今、余計に困っているし、暇を持て余した結果、マーガスさまや実家の事、これからの自分についての悪い事を考えてしまうのだ。
やることがなくて、今日三回目にポルカのところへ向かうと、そこに彼女はいなかった。
逃げた訳がない。あたりを見渡すと、マーガスさまがポルカに乗り運動をさせているのが見えた。
マーガスさまの表情はうかがい知れない。風に乗って何かポルカに話しかけている──あるいは指示を出している。そんな事がわかるくらいだ。
けれど、きっと彼は優しい顔をしているに違いない。そう思うと、なんだか無性に目が離せなくなって、なんとかマーガスさまとポルカの顔が見えやしないかと、目を細めてみる。
柔らかな日差しを浴びながら二人一緒に過ごしているマーガスさまとポルカは、まるで物語に出てくる伝説の騎士だ。
──あ、こっちを見た。
不躾な視線に気が付いたのか、ポルカがゆっくりと首を上下に動かしながら近づいてくる。もちろん、マーガスさまも一緒に。
「日光浴かな」
「ええ、はい。そんなところです。ポルカに乗り運動をさせていたのですね」
「構ってやらないと、すぐ拗ねるからな。俺と一緒だ」
「まあ、そんな事は……」
ありませんよ、と返事をしようと顔を上げると、目が合った。急に昨夜の出来事が思い起こされて、思わず目を逸らしてしまう。
──怪しまれてしまう。
別に悪い事をしたつもりはないけれど、地位のある男性にとっては、悪夢を見てうなされていて、それを他人が眺めていたなんて事は、とてもじゃないけれどいい気分がしないだろう。
「……先ほど、ポルカに話をしているのが聞こえたか?」
「いいえ」
ゆっくりと首を振る。もし私が他の動物だったなら、会話を盗み聞きする事ができただろう。でも、人間はそんな事ができないのだ。
「そうか」
ちらりと視線を戻すと、マーガスさまは少し残念そうな顔をしていた。……まるで盗み聞きして欲しがっているみたいに思える。
せっかくのお散歩を中断されて焦れたポルカが、足踏みをして私から離れたがるしぐさを見せた。
「私、邪魔をしないように戻りますね。ポルカも走り回りたいでしょうし。それでは……」
「──君は、騎竜に乗れるか?」
背中を向けると、まるで引き留めるように声をかけられた。
「い、いいえ」
慌てて、先ほどより大きく首を振る。騎乗の訓練は決められた場所で行わなければいけない。私ができるはずがないのだ。……できたら、大問題。そういう事に、しなければいけない。
「そうか」
優しいけれど、寡黙な方ではある。マーガスさまは私を見ているけれど、その瞳の奥では何か別の事を考えているようだ。
「では、私はこれで……」
マーガスさまはポルカに跨がったまま、すっとこちらに向かって手を差し伸べた。
「……っ」
初日に握手をしたはずなのに、その手を取るのを躊躇われた。
マーガスさまは私にレッスンを付けてくれようとしているのだ。騎竜には乗りたい。乗りたいけれど、その手を取っていいものか。だって、つまりそれは相乗りをしよう、の意味だから。
だって、なにしろこのお屋敷には騎竜が一頭しかいないのだもの。
「乗りたいのかと……」
「乗りたくないわけでは、ありませんが……閣下に、お手間をかけさせては、と……」
どうしようかともじもじしていると、ポルカが再び焦れたように足踏みをした。彼女に台詞をつけるとしたら『ねえマーガスったら、こんな女の事は放っておいて、はやく向こうに行きましょうよ!』だろう。
「ポルカが早く乗ってくれと言っている」
「ぎーっ」
一対二で急かされては、さすがに断り切れない。おそるおそるマーガスさまの手を取り、体を引き上げてもらう。
「……ぎっ」
ポルカは首を曲げて、じろり、と私を見た。琥珀色の瞳は『今回だけなんだからね』と言いたげだ。
マーガスさまの腕の中にすっぽりと体をおさめると、ポルカはのそのそと動き出した。人間で言うなら、抜き足差し足──そのぐらいのゆっくりさ。
「怖いか?」
「いえ。大丈夫です」
怖い訳がなかった。実は、私は何回か騎竜に乗った事がある。もちろんこっそりだ。ポルカは流石に慣れていて、不承不承ながらも、私に気を遣って歩いてくれているのがわかる。
──なんだかんだ、お世話係としては受け入れられているのよね。
心地よいリズムに揺られながら、自分の頬が緩んでくるのがわかった。
「騎竜に触れていると落ち着く。アルジェリータ、君はどうだ」
「私は落ち着くと言うより、心がうきうきします。ああ、なんてかわいいんだろう、って。でも……そうですね。慣れてきて、首とか胸の辺りを触らせてくれるようになると、そこに手を入れて、冬は暖を取ったりしていました。その点で言うと落ち着きますね」
私とマーガスさまの共通点は人間であること、あとは騎竜が好きということ。騎竜の話ならいくらでもできる。
「人間相手では、心が落ち着かないか?」
「……このお屋敷の人は、好きです。皆いい人ですし。ちょうどいい塩梅なんですよね、頼りにはなるけど、そこまで固くはないので話しかけやすいんです。世渡り上手なのを見習いたいぐらいですね」
「……そうか。俺もあの二人を見習うことにしよう」
「い、いえ。マーガスさまはそのままで居てください。ラクティスみたいな洒落にならない冗談を言い出したら、どうしていいかわからなくなります」
「洒落にならない冗談とは?」
失言だった。気持ちが弾んで、マーガスさまにお世話になっているにも関わらず、緊張を忘れて饒舌になっている自分を感じる。
「申し訳ありません、それは何とも……」
「嫉妬はするが、深追いはしないでおこう」
もごもごと言い訳をすると、マーガスさまは許してくださった。会話が途切れても、ポルカはゆっくりと歩いている。
「まだまだ、ポルカは私を乗せてくれるみたいですね。もし良ければ、しばらくこのままで居ていいでしょうか」
何しろ、こんな立派な騎竜に乗れるなんて、人生ではそう何回も起きないだろう。
「君が同じ気持ちでいてくれて嬉しい」
マーガスさまが足で小さく合図をすると、ポルカは方向転換して、庭の反対側へと向かいはじめた。どうやらぐるりと屋敷の周りを一周するつもりのようだ。
「子供の頃は、自分は大きくなったら騎竜便の配達員になるのだと思っていた」
マーガスさまの言葉に静かに耳を傾ける。
「祖父は軍人だったから、物心ついた時から騎竜がそばにいて──それこそ仕事や付き合いで忙しかった両親に代わって、騎竜と顔を突き合わせている時間の方が長かったぐらいだ」
「騎竜便って、騎竜が物を配達するのですよね。街では見かけませんけれど……」
「ああ、そうだ。市街地で走行するには危険があるが、荒野では馬より騎竜が早い」
マーガスさまの言葉に、ポルカは嬉しそうに声を上げた。
「ある程度大きくなってからは、訓練と称して祖父に色々な場所へ連れていかれた。その頃にはもう自分は騎竜便の配達員になれないと理解していたが──寒い所では犬ぞり、暑い所ではラクダ。色々な動物を使役した結果、騎竜が一番好きだから騎士でいいか、と納得できたのは救いだな」
彼の話を聞くたび、私は自分の世界の小ささを感じて、不謹慎ながら──本当に戦場帰りの人に対して不謹慎だとは思うけれど、少しうらやましいと思ってしまうのだった。
「騎竜に乗れると、いろんな仕事があると聞きます。……羨ましいです」
「今からでも十分だ。なかなか体幹がしっかりしているから、すぐに人並み以上になるだろう」
「そ、そんな事は……」
私は別に筋が良いわけではなくて、少しばかりズルをしているのだ。……でも、マーガスさまになら、あの立派で偉大な騎竜──ウェルフィンの話を、してもいいかもしれない。
「騎竜の素晴らしさを広めるのも、俺が祖父から引き継いだ役目の一つだ。貴婦人は騎竜を敬遠しがちだから、ぜひ挑戦してみるべきだ。……もちろん、君が望むなら」
騎竜に乗るためには、専門的な訓練が必要になる。もちろん設備や場所、時間。一介の市民の習い事としては、かなり高額の部類に入るだろうけれど、
「もしできるなら、私も──」
「きゅっ!」
ぜひ騎竜の騎乗訓練をしたいのですけれど。と言う前に、ポルカが予備動作もなく高く跳びあがった。




