10王家からの使者
長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。完結まで書き終えていますので、お付き合いいただけると嬉しいです!
翌日、何故かクローゼットには大量の服があった。
ご丁寧に「アルジェリータ様の好みに合いそうな物を選んでみました」と書き置きが残されている。昨夜のうちに購入された商品が密かに運び込まれたのだろう。
橙色のワンピースを一枚手に取って、袖を通す。ミューティは私の服の寸法を昨日のあのひと時で把握したらしく、どれも長さはぴったり──身頃は少し余裕があった。私がこれから丸々と太り始めるに違いないと彼女は考えているのだろう。
遠征から戻られたマーガスさまは戦後の事務処理をしつつ、体を休めるために長期の休暇に入ったとのことで、しばらくはこの屋敷に滞在するそうだ。
率先して上司であるマーガスさまが休まなければ、生死を共にした部下たちはどこまでもついてくる。
「だからこうして、最低限の事務所類だけ届くようにして、身を潜めているというわけさ」
朝食のオムレツをつつきながら、マーガス様はまるで秘密を共有するかのような口ぶりだ。
メニューは決まりきったもの。オムレツに、ベーコン、パン、濃いめの紅茶。
初日に作ったメニューがそのまま固定されている。私だって他のレシピぐらい持っていますよ、お伝えしてみたのだがマーガス様は「俺はこれがいい」と断固譲ってくださらない。
「今日は何をするんだ?」
問いかけられて、すぐには答えられなかった。何をしようか。部屋ほどもあるクローゼットの中にある服は真新しくてほつれなどあるわけもなかった。庭師は今日やってくるらしい。騎竜は一頭しかいない。
──やる事がない。
押し黙ってしまった私に、マーガス様はやさしく微笑みかけた。
「不安になるのはわかる。俺はせっかちだから。こうしている間にも何か起きているんじゃないか、今のうちになあなあになっている事を着手すればもっと効率が良くなるんじゃないか。そんな事を考えて、何時も落ち着かない」
「マーガス様も、ですか」
彼はいつでも自分のやるべき事を分かっていて、迷いがないように私から見えている。けれど、そうではないらしい。
「あいまいな態度を見せると、部下の士気に影響する。だから常に気を張って生きてきた──そうして今では「祖父ゆずりの頑固者」だ」
頷くべきなのか、否定すべきなのか悩ましいところだ。
「……もうこんな時間か。それでは夕食時に、何をしたか聞かせてくれ」
マーガス様は時計を見て立ち上がった。
「はい。何か、いい報告ができるように頑張ります」
「……特に何も無ければ、それはそれでいい。……手紙の事はよろしく頼む。騎士団以外、中には誰も入れないでくれ」
「特別なのは、騎士団だけ、ですね」
「ああ。例外はない。たとえ王家でも、だ」
マーガス様は念入りに繰り返した。神妙に頷く。この言葉は絶対なのだ。
マーガス様が去った後、暢気に朝食をつついていると、ラクティスがひょいと顔を出した。
「アルジェリータ様、何かお手伝いすることはありますか?」
彼はまるでもう何回も顔を合わせているような雰囲気で問いかけてくる。
先に話を聞いておいて良かった──なんの予備知識もなしに再会したなら、私はきっと彼にぞんざいに扱われている、と誤解したままだったろうから。
「いいえ、大丈夫よ」
特に頼むべき用事は見つからなかった。私だってやる事を探しているぐらいなのだから、仕事を取られてしまっては大変だ。
「では、もう出かけても?」
「ええ。何か、面白い事があったら私にも教えて」
ラクティスは長い足で、颯爽と出て行ってしまった。彼は暇さえあれば市街地へ観光へ行っているそうだ。いつか帰るところがあると決まっているからこそ、今を存分に楽しもうという気持ちが生まれるのだろう。
──私は、どうだろうか?
この数日間の生活は充実している。騎竜の里に手紙を書くこともできた。顔を合わせる人たちは皆優しくて、いやな思いをしたことなんて一度もない。
今までの境遇を思うと、恵まれすぎていて怖いほどなのに──
そんな事を考えていると、不意に玄関のベルがなった。
郵便にしては随分と時間が早い。なにか重要な急ぎの連絡に違いなかった。
「はい」
扉を開けると、そこにはいかめしい顔をした男性が立っていた。上着の胸元には、王家の紋章がついている。
マーガス様は高位貴族。王家とやりとりがあるのは、当たり前なのだけれど。
使者が手にしているのは、美しい意匠があしらわれた紙製の箱。一目で、差出人が女性だとわかる。
「マーガス・フォン・ブラウニング様にお目通りを」
男性は冷たい瞳で私を見見下ろしながら、つっけんどんに答えた。
「お手紙は、私が受け取ってお渡しすることになっています」
マーガス様ははっきりとそう言ったのだから、これは不敬にあたらない。
しかし、使者の顔には「不愉快」の文字が見て取れた。
「第三王女セレーネさまからの親書です。使用人の手に渡すことはできかねます」
強い口調にひるんだ。
ラクティスに出かけても大丈夫、と行ったことが悔やまれた。彼がいれば対応して貰えただろうに。
今の私は使用人のワンピースを着ていない。けれど、私は「そう」としか見えないのだ。それもそうだろう。
──マーガス様はああいったけれど、誰も私が妻にふさわしいなんて思っていないのだ。
「マーガス・フォン・ブラウニング様にお目通りを」
使者は声を張り上げて、先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「い、今……」
「何の騒ぎだ」
お呼びします、と答えそうになった瞬間。話声を聞きつけて、マーガス様が書斎から出てきてしまった。
「この使用人が取り次がないと意味不明な事を申すのです。閣下、このような不出来な人間を取り次ぎに置くのは、ブラウニング家の名前に泥を塗ることになりますぞ」
「使用人?」
マーガス様が私をちらりと見たので、思わず目を逸らしてしまった。
「彼女がそう言ったのか?」
「いいえ」
何を明らかなことを──使者は慇懃無礼に笑った。
「彼女は私の妻だ」
「は?」
俯いたつむじに、使用人の面食らった声がぶつかった。
「聞こえなかったか? 彼女は私の妻だ、と言ったんだ」
マーガス様はぐい、と私の肩を抱き寄せた。
「な……」
何を言っているのだ──と、心の声が聞こえたような気さえした。
「そのような連絡は受けておりませんが」
ごほん、とした咳払いの後、使者はなんとか立て直したようだ。
「赤の他人に報告をするほど細かい性格ではない。気になるなら本家に問い合わせろ。ついでに、取り次ぐなと言ったのは俺だ」
「……左様でございましたか。大変失礼いたしました。しかしながら、私にも使命があります。どうぞこちらをお納めください」
恭しく差し出された書簡に、マーガス様は手を伸ばさなかった。
「受け取らない。それがお返事です、とお伝えしろ」
マーガス様の言葉を聞いて、使者はわなわなと震え始めた。さすがに、ここまで冷たくされてしまっては我慢の限界──と言う事だろうか。
「気が狂われたので?」
「俺は正気だ」
王女からの書簡を受け取らずに突き返す──マーガス様の真意はわからないけれど、なにかとんでもなく恐ろしい事態が始まりそう──いや、もう始まった後なのだろうか?
使者はこれ以上の押し問答は無為と悟ったのか、屋敷を去った。馬車の音が聞こえなくなってから、マーガスさまは、ふう、とため息をついた。
「あれだけ言っておけば、もう来ないだろう」
「よろしかったのですか?」
「ああ」
王家とブラウニング公爵家の関係性も、マーガス様の交友関係もわからない。マーガス様がそう決めたのなら、私が口を挟む事ではないのだろう。
「いやな思いをさせてすまなかったな」
「いえ、紛らわしい言動の私が良くないので……」
抱き寄せられた肩から指先の熱が伝わって、妙に落ち着かない。もじもじしていると、マーガス様はぱっと手を離した。
「妻だと言われた事がいやなら謝る」
嫌だ、とかそう言った感情ではない。ただただ、分からない、のだ。
「ど、どうしてですか……?」
騎竜のお世話係が欲しいのは分かる。けれど、それなら普通に雇えばいいだけだ。冗談ではなくて、マーガス様は私を対外的に妻として扱おうとしている。
──理由が分からない。
私の問いに、マーガス様は困った顔をした。
「早朝に話すような内容ではない。……これ以上、君に迷惑はかけないようにする」




