安息の湯
ダンジョンが崩壊する前に脱出、サリオスたちを確認することなく、ロイはトラビア王国に戻って来た。
夕飯の時間が過ぎ、寮はすでに扉が閉まっているだろう。
日付が変わる時間帯ではないが、城下町はすっかり仕事終わりの職人たちが、酒場で飲み会を始めている時間帯だ。
ロイは、汗びっしょりで城下町を歩いていた。
「あー……もう本当に、こういうの勘弁してくれ」
『ダンジョンは四つ消えた。残りは一つ……辛抱しろ』
「へいへい。あー……寮のシャワー室、もう閉まってるよなあ」
ロイの学生寮には、シャワー室しかついていない。
女子の寮には浴槽がある。女子たちが結束し、寮に浴場を備えるよう嘆願書を出して実現したと、エレノアが言っていた。
「風呂、いいなあ」
『なら、そこはどうだ?』
「ん?」
すると、デスゲイズが教えてくれた先に、『湯屋』と書かれたボロッちい看板があった。
細い路地の先にあるようで、なんとも怪しい。
「湯屋って、風呂だよな……確か、大きな浴槽がある店で、金取って入ることができるとか」
『うってつけではないか』
「いやでも、見ろよあの看板……あんなボロい看板だぞ? あ、しかもあっち見ろよ。あっちにデカい湯屋あるぞ」
ボロい湯屋の看板の向かい側に、立派な異国風建築の湯屋があった。
しかも、綺麗で立派だ。入るならこちらだろう。
だが、デスゲイズは言う。
『大馬鹿め。こういう怪しい看板の店こそ、隠れた名店なのだ』
「それ何の知識だよ……」
『うるさい。とにかく、行くならこっちにしろ、いいな!』
「わ、わかったよ……ったく、行くかどうかも決めてないのに」
仕方なく、ロイはボロい看板のある方向へ。
薄暗い路地を進むと、意外にも大きな『湯屋』があった。
木造りでボロボロの入口。引き戸を開けると、受付に座っていた老婆がジロっとロイを見る。
「あ、あの」
「……いらっしゃい」
「えっと」
「銅貨三枚。手拭い付きなら五枚だよ」
「あ、はい……」
「三年ぶりのお客だね。ゆっくりしていきな」
「さ、三年……」
老婆に気おされ、思わず支払いをする。
しかも、三年ぶりの客らしい。ロイは帰りたかったが、支払いを済ませ、手拭いを受け取ってしまった以上、帰るに帰れない。
奥へ続く廊下……なぜか地下へ続いている階段を降り、脱衣所へ。
脱衣所は意外にも広い。
「あれ……?」
おかしい。
湯屋には『男湯』と『女湯』があるのだが、ここにはない。
「まさか、男女共用……」
『三年ぶりの客と言っていた。誰も来ないだろうし気にするな』
「あ、ああ……」
服を脱いで籠に入れ、浴場へのドアを開ける。
「おおお……い、いいじゃん!!」
浴場は、なかなか素晴らしかった。
浴場の真ん中に大きな円形の浴槽がある。石造りで、二十人以上入っても余裕がありそうだ。そして、洗い場も二十以上あり、なんとも開放感がある。
ロイは身体を洗い、湯船へ。
「うぁぁ……いいな」
不思議な香りのする湯だった。
湯屋の湯は、魔法で沸かしたお湯が循環しているらしいのだが、この湯は不思議な香り……どこか、塩辛そうな匂いがする。
ちょっと舐めてみると、やはりしょっぱい。だが、不思議と心地いい。
「はぁ~「ロイ」……んん?」
ふと、名前を呼ばれた。
振り返るとそこにいたのは、裸のユノだった。
「…………………………………………?????」
思考停止。
ユノ。手拭いを持っている。腰に巻いており上は隠していない。
しゃがみ、ロイの隣で湯を手で掬う。なぜここに? 意味不明。幻覚。
肌。胸。異性。どうして? 胸が見えている。
ロイは混乱した。なぜ、ユノがいるのか。
「王城に用事あって、その帰り。ロイがここに入るの見たから来たの。こんなところに湯屋あったんだね」
「……………………うん」
「ここ、ヒトこないみたい。受付のおばあちゃん、三年ぶりだって」
ユノは、手拭いを外して当たり前のようにロイの隣へ。
いろいろ見えていたが、全く気にしていない。羞恥心がないのだろうか?
ロイは、温かい湯に浸かっているのに、身体が冷えていくのを感じた。
「ロイ、どうしたの?」
「え、あ、いや」
目を反らすべきなのだが、反らせない。
ユノはロイの隣で、気持ちよさそうに頭を反らしている。
「あ、あの」
「ん~」
「こ、ここ、男湯……なのか?」
「ここ、男女いっしょ。一緒に入れるね」
「いや、おま……は、恥ずかしくないのか?」
「わたし、レイピアーゼ王国出身だから。レイピアーゼ王国、極寒の地……お湯を沸かすのも苦労する。入浴するときは家族一緒で、公衆浴場も男女一緒だよ」
「……そうなのか」
レイピアーゼ王国は雪国とロイは聞いたことがある。
さらに、湯船はほとんどない。蒸し風呂が多いと聞いたこともあった。
ユノは、ロイの肩にそっと頭を乗せてくる。
「きもちいい~……」
「お、おお、おう!!」
「ね、ロイ。ここに通おう。ここ、わたし好き」
「お、おれも好きかも」
「うん。みんなには内緒。エレノアにも」
「あ、ああ」
チラッとユノを見ると、にっこり笑った。
その笑顔が眩しく、首から下の肌がチラチラ見えるのも眩しく、直視できない。
だが、ユノは気にしていない。
「ロイ、身体洗おっか」
「おお、お先にどうぞ!!」
「えー? 一緒がいい」
ユノが立ち上がった。見えてはいけないモノまで見えてしまい、ロイは鼻血が噴き出した。
「すすす、すまん!! 鼻血出た!! あがる!!」
「あ」
ロイは慌てて湯船から飛び出し、脱衣所へ飛び込んだ。
◇◇◇◇◇◇
「うっぶ……や、やっべぇ」
『クックック。お楽しみだったようで』
デスゲイズの柄を思いきりブン殴る。
着替えようとすると、ユノが手拭い片手に脱衣所のドアを開けた。
「む、ロイ。わたしが来たからって上がるのダメ」
「なぁ!? おま、こっち来るなっての!?」
羞恥心が薄い、というか全くないユノ。裸身を晒しながらロイの元へ。
そして、まだ着替えていないロイの腕をグイグイ引く。
「お風呂、まだダメ」
「ちょぉぉぉっ!? あ、あのな? お前、女の子、俺、男の子。一緒、ダメ!!」
「わたしはいいよ?」
「俺がダメなんだ!!」
「むぅ……」
ユノがムスッとしている。だがロイは引かない。
手拭いしかないので身体を隠せない。ユノは腰に手拭いを巻き、胸は手で隠す。
「ロイ、わたしは本当に気にしない。それと……ロイと、お話したいの」
「え」
「おねがい。ちょっとでいいから……」
『ククク。これを拒否すればお前が悪人のようだなぁ?』
「くっ……わ、わかったよ」
ロイは仕方なく湯船に戻る。ただし、条件としてロイから少し距離を取ると言うと、ユノは渋々従った。
湯船では、ロイとユノの距離は二メートルほど離れている。だが、裸の女の子が近くにいるというだけで、二メートルという距離はあまり意味がないとロイは感じた。
「ね、ロイ」
「あ、ああ?」
「わたし……ロイに、お願いがあるの」
「な、なんだ?」
「あのね、わたし───……
ユノがロイを見て何かを言おうとした瞬間だった。
「「───……!?」」
地震が起きた。
しかも、かなりの揺れ。
「ユノ!!」
「ろ、ロイ!!」
ロイはユノを引き寄せる。
そして、無意識にユノに覆いかぶさるように抱きしめた。もし天井が崩落したら───……せめて、ユノだけでも。そんな思いからの行動だ。
地震は、二分ほど続いた。
「と、止まった……ユノ、大丈夫か?」
「う、うん。ロイ、ありがとう」
「ああ、気にすん───……」
ロイとユノは、いろんな意味でマズいくらい抱き合っていた。
ユノも気付き、顔を赤くする。
そして、受付にいた老婆が浴場のドアを開けた。
「お客さん、だいじょう……ああ、大丈夫そうだね。悪いけど、ここはそういう店じゃないんだ。さ、上がった上がった」
「「…………」」
二人は無言で上がり、無言で着替えをして、無言で湯屋を出た。
◇◇◇◇◇◇
湯屋から出て、大通りに戻ると───騒ぎの原因がようやくわかった。
「ロイ、あれ……」
「…………あれは」
見えたのは、空で輝く光。
それは、ダンジョン出現時、ロイの目の前に現れた巨大な『城』が、眩いくらいに輝いている光だった。
「きっと、四つのダンジョンが攻略されたからだ……最後のダンジョン、五つ目のダンジョンが、動きだした」
「…………え?」
ロイは、輝く城を見て『狩人』の顔になっていた。
その横顔を、ユノはジーっと見ていることに、ロイは気付いていなかった。
◇◇◇◇◇◇
つい、先程だった。
ユノ、エレノアが城に呼び出され、『四つのダンジョンが攻略された』と聞いたのは。
その帰りに、ロイを見つけて湯屋へ向かった。
そして、湯屋から出て、五つめの……最後のダンジョンが動き出した。
「きっと、四つのダンジョンが攻略されたからだ……最後のダンジョン、五つ目のダンジョンが、動きだした」
ロイのセリフに、違和感を感じた。
なぜ、そのことをロイが知っているのか?
七聖剣士であるユノですら、つい先ほどしった情報なのに。
そして、同時に聞いた『八咫烏』の話。
「…………ロイ」
妙な胸騒ぎがしたユノは、ロイから目が離せなかった。





