第538話
ミミルは早々にグラスのカヴァを空にすると、赤い顔をして風呂に向かった。
人によって合う合わないがあるのか、酔いやすい酒というのもある。ミミルにはカヴァやアスティ、シャンパンなどのスパークリングワインが合わないのかも知れない。
2杯目のビールをグラスに注いで、俺はまた縁側に座った。
防音処理されているせいでとても静かな空間に、ガラガラと何かが崩れるような音が鳴った。その発生源を探すように後ろを振り返ると、いくつものテーブルと椅子が並び、カウンター席も見えた。エスプレッソマシンが薄暗い客席の中で煌々と光を放っている。
厨房は扉や壁で仕切られているので見えないが、さっきまでピッツァを焼いたり、洗い物をしたりしていた。その場に行かなくても様子は目に浮かぶ。
「なんだ、製氷機か……」
年中、動いている機械だから夜中に氷ができることもある。
ただ、それなりに大きな音がするので驚いてしまうのも仕方がない。
再び庭の方に向かって居住まいを正すと、冷たいビールを喉に流し込む。
音を立てて喉を流れていくビールの刺激が心地いい。
半分くらい減ったところでグラスを口から離すと、思わず「ぷはあ」と声が出た。
再び庭のほうへと目を向けると、2週間前には無かった明かりがついていた。ミミルが入っている浴室の明かりだ。
ちょうど2週間前、ここで缶ビールを開けて飲んでいるときに異音が聞こえた。
慌てて奥庭に行くと大きな穴が開いていて、そこにミミルがいた。
それが出会いだった。
「2週間か……」
俺は改めてその長いようで短い期間を噛みしめるように呟いた。
たった2週間のことだけど、もう何か月も経っているかのように感じる。
2週間というのはあくまでも地球上での時間。それにダンジョン内で暮らした時間が加わるからだ。
しかし、ダンジョン内で過ごした日数は正直数える気がしない。朝にダンジョンへ入った日もあれば、夜だったときもあるから正確じゃないからだ。でもまあ、だいたいで言えば2週間以上をダンジョン内で過ごしていると思う。合計すれば1ヵ月以上はミミルと暮らしてきたのだろう。
そうしてミミルのことを考え、俺は思い出した。
毎日のように車でミミルを迎えに行くのも面倒なので、何か方法を考えないといけない。
といっても、すぐに思いつくのは近くにワンルームマンションでも借りて、そこに出口を設定することくらいだ。
ダンジョンから戻ってきたら、いつものようにミミルがお籠りになって、そのあと風呂。そこから車に乗っていつものところまで空間魔法Ⅴの出口を繋ぎに行くわけだ。それだけで朝の3時間を使うことになる。迎えに行く1時間を含めれば合計4時間だ。
近くに部屋を借りるだけで、そのうちの1時間は短縮できる。
俺は賃貸住宅の情報サイトをスマホで開いた。
条件は四条烏丸周辺、家賃は安い方がいい。ただ、ミミルが独りで出入りしやすいことが前提になる。
あとはセキュリティ面が心配だ。
いくら日本の治安が良いとはいえ、特殊な性癖を持つ輩は存在する。
そういう輩の前に、銀髪で透き通るような白い肌をした、赤い瞳の11歳くらいの美少女が現れたらどうなるか。
まあ、声を掛けるくらいならミミルが逃げてお終いだと思う。
だが、ミミルを追いかけまわしたり、抱き着いたりしようものならどうなるか。例え俺がミミルに魔法を使うことを禁止していても、身を守るためならミミルは躊躇なく魔法を使うだろう。
それが手加減した魔力弾であれば良いだろうが、俺のエアブレードのような明らかに殺傷能力があるものならどうなるか。
流石に命を奪うということをしないにしても、服を切り裂いたりするようなことがあるかも知れない。
「加害者が全裸にされて、被害者になる未来しか見えないな」
思わず言葉を漏らしてしまうほどに、滑稽な状況も想像してしまった。
普通ならミミルの心配をすべきなのだろうが、どうしても不審人物の方が不幸な目に遭うことしか俺には想像できない。
だが、その事件が原因でバレてはいけないことまで世間にバレてしまうのは非常に都合が悪い。
でもまあ、外をひとりで歩かせるなら防犯ブザーくらいは持たさないといけないだろう。それに学校用の鞄だとか、服だとか……あとでそれらも買い揃えるようにした方が良さそうだ。
とりあえず、物件を見ていくと駅からそんなに離れていないところで安価な物件をいくつか見つけた。実際は事故物件だったり、既に契約済みになっているのをわざと掲載している業者もあるので、不動産屋に相談しないと話が始まらない。
この京町家を見つけてくれた不動産屋に相談したいところだが、近くにマンションを借りるという話をするのはどうだろうか。
「うーん」
京町家を改装して一部を自宅として残し、残りを飲食店として改装したばかりの店主が近くに部屋を借りる――不動産屋にどこか不審に思われそうで怖いな。
そんなことを考えながら、俺は更に良さそうな物件探しに没頭していった。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






