第534話
俺が階段を下りていくと、ミミルも後に続いてきた。
隠し階段の扉を出ると、招待客の視線がミミルへと集まった。ミミルは秦さんを目で探すと、近づいていった。
「ミミルちゃん、おばんどす」
「こんばんは」
「こっちおいでやす。もう晩ごはんは食べたん?」
「まだ、でもあとたべる」
ミミルは首を左右に振って、まだ食事を終えていないことを伝えた。
このレセプションが終ったら、裏田君の子どもである陽菜ちゃんと、陸くんを含め皆で食事をすると伝えてあるからだ。
「終わってから皆で食べる予定なんですよ」
「でもちょっとくらいええやろ?」
「ま、まあ、少しくらいなら」
時間帯的にも後半に差し掛かっていて、ちょうどドルチェを並べた皿がテーブルの上に運ばれてきた。
ミルクの旨味を生かしたパンナコッタに、ラム酒の香りが漂うほろ苦いボネがテーブルの上に並んでいく。
その大きさに、パンナコッタやボネくらいなら食事前に食べても大丈夫だと判断し、ミミルには秦さんを任せることにした。ミミルの方が1.5倍ほど長生きしているが、そこは黙っておくが吉だ。
「高辻、まいど」
「おう、藤田。悪いな、忙しいのに」
寿司屋という職業柄か、頭を丸めている藤田は俺を見つけると帽子を取って話しかけてきた。
「いやいや、今日は運よく休みやったさかいな」
「そういやそうだったな。来てくれてありがとうな」
一昨日、藤田の寿司を食いながら自分の店を開く話をした。その場でレセプションを開く日――今日が中央卸売市場が臨時休業日だと確認した藤田は、すぐに「俺も参加する」と言い出したのだった。
魚は鮮度が一番というが、実際は死後硬直が解けてからの方が美味くなる。逆に死後硬直している魚はほとんど味がしない。だから、臨時休業日に合わせて休む必要なんてないと思うのだが、そこは藤田の拘りなんだろう。
「いやいや、一緒に学校で修行した仲やん。お祝いくらいせんとあかんやろ」
「でもなあ、一昨日のお会計の半額はする花まで贈ってもらってるし」
「またミミルちゃん連れて来てくれたらええ」
「そうか、よく食うからな……」
「ほんま、かいらしいのによお食う子やな。ほんで、あと3人ほど呼んでるんやけど、連れて来てええか?」
「あ、うん。誰だ?」
「それは連れてくるまでのお楽しみや」
藤田は店の入口の方へと調理師学校時代の知人を呼びに行った。
中に入ってきたのは、松本、長谷川、佐々木の3人だった。
俺以外は和食系コースの出身者。俺だけ、西洋料理コースの出身者だった。
当然、松本は日本料理店の板場で働いているらしく、長谷川は割烹を経営、佐々木は何故か中華料理店をやっているらしい。
この4人が20時になる時間帯に来たということは、ふたつ理由があって、ひとつは他の招待客に気を遣わなくていい時間帯になっていること。もう1つは、最も忙しい時間帯を誰かに任せて抜けてこられることにあると思う。
「久しぶりやな」
「元気そうで何よりや」
「ほんまほんま」
などと3人が声を掛けてくる。学科共通で受ける授業などで少しずつ仲良くなっていったメンバーだった。
「看板娘がおるんやって?」
松本がたずねた。俺としては看板娘という認識はないのだが、そういう話を松本が耳にしているとしたら、ネタ元は藤田のはずだ。藤田が会ったのはミミルだけなので、ミミルが看板娘ということなのだろう。実際には娘といえる年齢ではないのだが……。
「ああ、娘ならそこに……そこの銀髪の子が娘のミミルだ」
俺の方もだんだんとミミルのことで嘘をつくのに慣れてきた。
「スペインにいたときに、スウェーデン出身の女性と知り合ってな。その、そういうことだ」
「ってことは、奥さんはスウェーデン人ってことかいな?」
「いや、亡くなったんだ。それで俺がミミルを引き取った」
俺の妻が外国人女性と聞いて一瞬ざわついた4人だったが、亡くなったと聞いて一気に元気をなくした。
まあ、これでいろいろと質問してくることもないだろう。
「そうか、そらすまんことしたな……」
と、最初にネタを振ってきた松本が申し訳なさそうに言った。
俺としては架空人物のことだから特に気にすることでもなく、「気にするな」と返事をしておいた。
「で、あの子の隣にいてるのはもしかして秦さんか?」
「そう、1本東の通りにある日本料理店の大女将さん。知り合いなのか?」
「いや、知りあいというか、怖い人と聞いてるからさ」
佐々木の質問に、俺は素直に思うとおりのことを言った。
確かに人を射殺しそうなほどの鋭い目つきに、キリッと強い口調、更に老獪ささえ感じさせる巧みな言葉は畏怖の念を感じることがある。
「ミミルのことを気に入ってくれて、とてもいい人だよ。一緒に仕事をするわけじゃないから、仕事の方はよくわからんが」
「お前は肝が据わっとんなあ」
俺から見ると本当にいい人でしかないのだが、他の料理人からすると怖い人らしい。
一応、怒らさないようにした方がよさどうだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






