第509話
〈ちょっと待て、その妖精たちの名前は?〉
〈白い妖精はエールヴと書かれている、住んでいた場所はエールヴヘイムだ〉
〈エルムの祖先なのか?〉
〈王宮史ではそういうことになっているが、他にも多くの種族がいるので必ずしもそうとは限らない。続けるぞ〉
人間が登場しないことくらいで、基本的には俺が読んでいた北欧神話に書かれていたことに酷似していると確認できた。
ここの壁文字は大量に書かれているせいもあり、説明には時間がかかるのでミミルは先を急いだ。
〈宇宙樹の根は無数に延びていたが、特に太い三本がアズガルズにあるウルズルの泉、霜の巨人の国にある賢者の泉、ニフルヘイムにある沸き立つ泉へと延びていた、と書かれている〉
壁の文字を指さしながらミミルが読み上げていく。呼び名が変っていたりするところがあるが、やはり内容は地球の北欧神話とほぼ同じだ。
ウルズルの泉はアースガルズにあるウルズの泉を指し、ニフルヘイムにある沸き立つ泉は、ニヴルヘイムのフヴェルゲルミルを指す。
だが、俺が最も気になっていたのは賢者の泉だ。北欧神話ではミーミルの泉と呼ばれているが、ミミルは初めてのダンジョンで加護を受けたときに気を失い、そこに落ちて溺れる夢を見たという。俺も、ダンジョンで魔力を使いすぎて気を失ったときに、その泉の水を飲むという夢をみた。
壁に刻まれたウルズルの泉の記述を読み上げると、ミミルはいよいよ賢者の泉について書いた文字を読み上げた。
〈賢者の泉の畔には、ミーミルという賢者が住んでいた。ミーミルはこの賢者の泉の水を、ギャリアホルンで飲んでいたからこそ賢者となった……〉
〈もしかして、ミミルの名の由来は賢者ミーミルからきているのかい?〉
〈そうだ。エルムヘイムでは赤目のエルムは賢く育つという言い伝えがあって、それで名をつけたらしい。妹は青い目をしているから豊穣の女神から名を取ってフレイヤと名付けたと聞いている〉
〈へえ、そうなんだ……〉
〈話を元に戻すぞ〉
そもそも、壁文字を読んでもらっていたんだから、文句はない。
ただ、両親の名前だとか、まだまだ俺もミミルのことを知らないことも多いな、と思った。
その後は、壁文字を読み上げてくれるミミルの姿をぼんやりと見つめて聞いていた。
さて、俺が壁文字や北欧神話の内容で非常に不思議に思っていたことがある。賢者の泉の場所が「霜の巨人の国」と書かれていることだ。
北欧神話ではユミルが殺されたときに発生した血の洪水で絶滅に追いやられる。妻を伴って逃れたベルゲルミルたちだけがヨトゥンヘイムという地に逃れ、子孫を作った。これが霜の巨人である。一方、ミーミルはヘーニルと共にヴァン神族との人質交換に出されたことが書かれている。ヴァン神族がいるのはヴァナヘイムだ。賢者の泉がヨトゥンヘイムにあったとしたなら、ミーミルが人質に出された間の管理はどうなっていたかという話になる。賢者の泉を管理していたのなら、ヴァナヘイムになければおかしい……などと俺は考えていた。
〈……しょーへい、聞いているのか?〉
〈あ、ああ。うん、聞いてる。ひとつ聞きたいんだがいいか?〉
〈なんだ?〉
〈賢者の泉はどこにあったんだ?〉
〈巨人の国だ〉
〈ヴァンアヘイム、ヤトゥンヘイムのどっちだ?〉
〈巨人の国としか書かれていない。エルムヘイムではヤトゥンヘイムと考えるのが妥当だろうと言われているな〉
〈どうしてだ?〉
〈簡単なことだ、アズガルズの神々とヴァンアヘイムの神々の和睦の際、アズガルズ側からヘニルの供として人質に出されているからだ。元々ヴァンアヘイムの者を人質に出す意味がなかろう〉
〈な、なるほど……〉
そう言われると、ミミルの言うとおりヨトゥンヘイムにあるというのが正しいように聞こえてくる。そもそもオーディンが泉の水を飲みたいというと、ミーミルは代償として眼球を寄越すように言ったというのだから、人質交換でヴァナヘイムに行くように言われて素直に行くだろうか。いや、素直に行かなかったからこそ、ヘーニルが凡庸な神だとバレて首を刎ねられるようなことになったのかも知れない。
〈賢者の泉なんだが。夢の中に出てきてまで技能や加護に影響を受けるというのはどういうことなのか、ここには書いていないのか?〉
〈書いていない。技能や加護を与えるというのは、神の御業というものだろう。ダンジョンは小さな宇宙樹の洞だという話はしたと思うが、宇宙樹の中に残る神々の思念が加護や技能の付与という形で現れるのだと私は思っている。何も裏付けできる根拠はないがな〉
〈そうか、参考になったよ〉
とは言ったものの、俺の表情は明らかに冴えないものなのだろう。ミミルが不満げに俺の顔を見ている。
エルムヘイムは科学文明が発達していない世界なのだから、俺が求めるような回答が返ってくる方が珍しいのだ。
最後に転移石の前まで移動し、その奥にある壁文字の説明へと話は進んでいった。
アールヴという呼び方は、ゲルマン民族から分離したアングロサクソン人により、先頭のアがアとエの中間音に変わり、そこから更にエルフへと変わっていきました。
一方、エルムたちの間では古代エルムであるアールヴが、エールヴになって伝わっていたのですが、楡の木との関りなどもあって自分たちをエルムと呼ぶようになったという感じです。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






