第482話
麺打ち台の上に、デンッと肉を置く。骨がついていないが、ラム肉でいえばラムラックに当たる部分だ。背中側に当たる部分には適度な脂肪がついている。ラム肉なら脂を取って成形しないといけないところだが、ファルの場合は誰かが成形してくれたのかと思ってしまうほど綺麗なかたちをしている。
〈おおっ、それをどうするのだ?〉
〈塩と胡椒をして、まずは表面を焼く。そして石窯で中まで火を通すんだ〉
途中でハーブを加えたりするのだが、説明はざっくりでいい。
塩を摘まんで高いところ――といっても30センチ程度だが――から満遍なく振りかけ、続いで胡椒を振る。肉を返してくり返したら準備は完了だ。
スキレットが温まるまでの間、避けておいたピッツァに俺は手を伸ばした。残っていた枚数は変わらず3枚だ。
「――ん?」
俺が取り分けたときとは少し違っている。8枚に切ったピッツァの残り6枚。そのうち隣接した三枚を取ったはずなのだが、いま見た俺の皿の上にはバラバラな3枚が残っていた。
〈な、なんだ?〉
ミミルが焦ったような声を出した。
どうやら、6枚のうち面積が小さいものを集めて俺のところに移し替えたらしい。
ほぼ完璧に8等分しなかった俺も悪いが、ミミルの行動はいたずらの範疇を加味してもせこい。こんな些細なことで俺が喚くのも大人気ないが、他の人の前では絶対にしないでほしい。
〈チキュウにいるときはやるなよ〉
〈う、うむ……〉
少し語気を強めてミミルに注意をした。
自分がやったことがバレたせいで、少しバツが悪そうにこちらを見上げるミミルだが、問題はそこではない。
潔癖症な人からすると、他人が触った食べ物を口にしたくないと思う人もいる。少なくとも店なら焼きあがったピッツァを切るところまでは誰かが手で触るということはないし、皿に取り分けるのもフォークなどを使えば手を触れることがない。そうしていれば、潔癖症な人でもピッツァくらいは食べられるだろう。でも、誰かが直接手で何度も触ったものは食べないと思う。潔癖すぎるのも問題だとは思うが、せめて同席する人を慮って手で触るようなことはやめて欲しい。
また、平気で手で摘まんでしまうというのは、ダンジョン内で細菌やウィルスの影響を受けない生活に慣れているミミルならではの問題だと思う。逆に地球では抵抗力がない状態になってしまうので感染しないようにしてもらわないといけない。例え、ダンジョンに入れば体内から滅菌されるとしてもだ。
〈ミミルには『エイセイカンネン』をしっかり身につけてもらわないとな〉
〈なんだそれは〉
スキレットの中に入れたトリュークから豊かな香りが立ちのぼってきた。セージの葉を数枚とローズマリーを入れ、香りが立ってきたらそこにファルの肉を入れて表面を焼き固めていく。
肉の焼ける匂いに、ハーブの香りとトリュークの香りが辺りに漂う。
その美味そうな香りにミミルが釣られ、犬のように空を見上げて匂いを懸命に嗅いでいる。
〈チキュウには目に見えない微細な生き物、『サイキン』や『ウィルス』がたくさんいる。それが身体に入らないよう――カンセンしないようにするんだ。『エイセイカンネン』っていうのは清潔に保って『カンセン』を予防するための生活習慣とか考え方だよ〉
〈『サイキン』や『ウィルス』とやらに『カンセン』しても、ダンジョンに入れば大丈夫だ〉
〈それは、ミミルはそうだろうな。でも、田中君や本宮君、岡田君、裏田君は違うだろう?〉
〈そうだな。しょーへい以外はダンジョンに入らない〉
〈で、ミミルが地上にいるときに『ウィルス』に『カンセン』して、その手で触ったものから他の人が感染したらどうする? 『サイキン』や『ウィルス』に感染して亡くなる人もかなりの数がいるんだぞ?〉
ファルの肉を焼きながらミミルに問いかけた。肉の表面はもう十分に焼けているので、そのままスキレットを石窯の中に入れた。
普段なら肉の行方を追ってくるミミルの視線を感じない。それが気になってミミルを見ると血の気の引いた蒼い顔をしていた。
〈ど、ど、どうすればいい?〉
実際は地上にいる裏田君や田中君をはじめとしたスタッフは細菌やウィルスに対する抵抗というものを持っている。逆に、ミミルが彼らから感染すいるリスクの方が高いくらいだ。
少し脅かしすぎたかも知れない……と、反省しつつ俺はミミルに返事をする。
〈ミミルが『カンセン』しないようにすれば、ミミルから誰かに『カンセン』することはない。そうだろう?〉
〈うむ、確かに私が『カンセン』とやらをしなければいい話だ〉
〈特に『サイキン』や『ウィルス』は手にもたくさんついているから、自分が食べるもの以外は手で触っちゃいけない〉
〈わかった、気をつける〉
特にうちは飲食店だから、衛生観念はとても大切だ。
それに、こう言っておけば行儀よくしてくれるだろうし、ミミル自身が誰かから病気を貰うこともないだろう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






