第455話
北欧神話の本を開くと、アース神族の紹介が終ったところまで読んでいた。だいたい、内容は覚えていると自分でも思っているので、先へと目を進めた。
次に紹介されているのはロキという巨人だった。
妻のシギュンとの間にヴァーギとナルヴィ、アングルボーザという女巨人との間に狼のフェンリル、大ヘビのミドガルズオルム、死の女神ヘルを儲けた。オーディンが所有する8本足の馬、スレイブニルもロキの子どもだ。
ひねくれた性格に、気まぐれな行動。悪知恵に長けて狡賢いが、アース神族の神々を助けることもあった。だが、ロキはヘズをけしかけてオーディンの息子であるバルドルを殺害させ、最終戦争ではアース神族の敵として戦っている。
この本を読むまでは俺の中で、ロキは悪戯好きというイメージがあった。普段は大人しい男が大変身する映画に出てきた緑のマスクのことを思い出してしまうからだ。もちろん、モデルにはなっているのだろうが、こうして神話の本を読むと、そのイメージが間違っていることに気が付いた。
1時間ほど北欧神話の本を読んだが、その間にミミルが簡易ベッドを隣に移動させ、眠ってしまった。絵本の昔話など、10分あれば数冊読めてしまう。だから、数回もそれをすれば飽きて眠くなるのも道理というものだ。
空間収納から取り出したスマホの電源を入れ、タイマーを6時間後に設定する。また目覚めが悪くてぶん投げたりしないように気を付けないといけないが、ダンジョン内では目覚めが良い方なので問題ないだろう。それよりも寝すぎてしまい、第3層に戻ると「また夜でした」なんてことがないようにしたい。
部屋の中に立てた丸太の上のランタンの電源を切り、簡易ベッドに横たわる。手を伸ばせば届くような位置で眠っているミミルの表情は、充実感に溢れ、とても幸せそうだ。今日はどこか情緒不安定なところがあったが、いまこうして幸せな気持ちで夢でも見ていてくれたならそれでいい。
「おやすみ」
小さく呟くと、俺もリーディングライトの明りを消して眠りへと落ちた。
6時間後、スマホのアラームで目を覚ました俺は、第2層の地上へと出る階段の下まで移動して、その先を見つめた。
四角く開いた窓のようにも見える部屋の出口の向こう、青い空が広がっているのが見えた。
舞台の檀上に上がって周囲を見渡したところで景色に差がない。が、これまでの経験から、地下から上がる階段の向きと、第2層の太陽が沈む場所の位置関係は覚えている。
「だいたい、9時ぐらいかな?」
大まかな時間を確認したら、簡易テーブルと椅子を広げ、朝食の準備に入る。とはいえ、今日のところは簡単に残りもので済ませるつもりだ。準備作業はここまでにして、地下に下りてミミルを起こしに行った。
「ミミル、そろそろ起きてくれよ」
俺が声をかけると、ミミルは怒ったような唸り声を上げ俺に背を向けた。狭い簡易ベッドの上で、器用なものだ。
それにしても、ミミルの寝起きが悪い。
睡眠の質がよくないからだろうか。
人間の場合、睡眠の質に影響するものとしてはストレス、ホルモンバランスの乱れ、カフェインの摂りすぎ、アルコールによる睡眠深度への影響だとか……睡眠時無呼吸症候群やむずむず脚症候群なんていうのもある。
だが、ミミルは俺たち人間とは違う生物だ……と、ダンジョンに最適化されてしまった俺が言うのも何だが、とにかく原因が同じとは言いきれない。例えばホルモンバランスといっても、エルムという種族であるミミルの脳内にセロトニンやドーパミン、メラトニンが存在するのかさえわからないのだからしようがない。
しかし、ストレスが溜まっているのは確かだ。そもそも、ストレスというのは自分が結果の伴う行動を願うときに邪魔をされることで感じるもの。言葉が通じなくて、思っていることが伝わらない。話を聞いていてもわからないことが多すぎて理解できない。生活習慣が違うので、元の世界では当然だったことでも、地球では自由にできない。本を読みたくても文字がわからない、専門的な言葉や日本語ではない言語が混じっていて理解できない。
俺が考えただけでも、ミミルに溜まるストレスの原因はたくさんある。これではミミル自身が意識していないところでストレスが溜まっていても不思議ではない。
「まあ、ダンジョンで発散してもらうのが一番なのかな」
機嫌悪そうな顔をして寝ているミミルをみながら俺は呟いた。
だが、このまま寝かせてしまうといつになったら第3層へと進めるかわからない。
俺は溜息を吐いてから、ミミルの肩に手を置いて揺すった。
長い睫毛で飾られた白い瞼が開き、透き通った赤い瞳が小刻みに震えながら姿を現した。その焦点の合わない瞳が、少しずつ動きを落ち着かせる。
「おはよう」
「ん、おはよ」
俺が挨拶をすると、ミミルも右手で目を擦りながら返事をした。すぐに背筋と左手の指先を伸ばして小刻みにプルプルと震わせて就寝中に固まった筋肉を解すように伸びをしている。そして一気に脱力したあと、俺の方へと視線を向けた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






