第396話
案の定、ミミルの感想は「肉が無い」という肉食系少女な返事だった。だが、意外にもタコのサラダは気に入っているようで、おかわりまでしていた。ダンジョン産の肉は柔らかいといっても、厚みもあってそれなりの弾力がある。その弾力に慣れていれば淡白だが全身筋肉とも言われるタコの身が気に入るのも理解できる。
店の営業は11時から23時くらいまでになるので、働き続けることになる裏田君、田中君には休憩が必要だ。このまま1時間ほど休んでもらう前提で話しかける。
「裏田君と田中君はこのまま休憩に入ってもらいたいんだけど、途中の作業ってあるか?」
「僕は大丈夫です」
「うちもひと段落してます」
「だったら、このまま休憩に入ってくれていいよ」
裏田君、田中君の2人は「はい」と返事をし、カウンター席の方に向かった。カフェラテなどでも飲みながら休むのだろう。
ミミルも食事を終えてまたドリルで文字を勉強している。今度は小学1年生の漢字ドリルに変わっている。最初は漢数字から始まるようだ。ミミルに「アレ」や「コレ」、「ナニ」を教えたあと、数字について特に教えていなかった。だが、日本語スキルを身につけたときに数字に関する知識も身につけたのだろう。小学1年生のレベルなので千までしかないが、ただ黙々と薄い文字をなぞり続けている。
パートの2人に「食器を下げる」という実務訓練をしてもらい、残りの1時間は俺が来店客という想定で、席への案内をする練習を始めた。
15時になり、パートの2人の勤務時間が終った。4時間というのは勤務時間として短いと思うが、洗濯や家の掃除を済ませてから仕事に出て、子どもが帰宅するまでの間だけ働くという条件にはちょうどいいらしい。1日に5千円足らずの給料にしかならないが、1ヵ月で8万円もあれば家計も楽になる、と面接のときに吉田さんが言っていた。
お疲れさまでしたと声を掛けたあとのホッとした中村さんの表情は、初日の緊張感から解放されたものなのだろう。
パートの2人が着替えに向かったあと、俺は田中君が作った菓子類の撮影に入った。
まずはイタリアのピエモンテ州南部にあるランゲ地方で生まれたチョコレートプリン――ボネだ。名前はチョコレートプリンの型がピエモンテ地方の方言でボネという帽子に似ていたことに由来する。
白い皿に茶褐色のカラメルが溶け出し、更に暗い色をしたプリンが鎮座している。隣には、アマレッティが二個並んで添えられていた。アーモンド粉や卵白、砂糖等を使って作ったアーモンドクッキーだが、ボネはこれを砕いて作る。日本の親子丼とはまた異なるが、添えて出す以上は似たような意図があるのだろう。
「……それ、お菓子?」
気が付くと、ミミルが俺のシャツの肘のあたりを摘まんで引っ張っていた。
また俺が写真を撮り始めたので手を休め、様子を見に来たようだ。
「うん。食後のドルチェとか、おやつの時間に出すんだよ」
「……たべない?」
「撮影が終わったら食べてもいいぞ」
「……ん、まつ」
甘いもの好きなミミルは、はじめて目にする菓子なので気になるのだろう。
昼の賄いのときは手で摘まんで食べようとしたという話だが、今回はそんな素振りもない。昼の賄いのときは取り合いにでもなると勘違いしたのだろうか。
俺が角度を変え、高さを変えて写真を撮っているのを興味深そうにミミルは眺めている。
本格的なカメラを使って撮影するところをみせるのは初めてだから仕様がない。
「お先に失礼します」
後ろから声を掛けたのは吉田さんだ。続けて中村さんも帰る前に再度挨拶しに来たようだ。
そういえば、昨日つくったティラミスが残っていたはずだ。冷蔵庫で冷やしているとはいえ、明日になればもう美味しく食べられない。
「昨日、田中君とミミルが作ったティラミスがあるんですよ。まだ時間があるなら食べて帰りませんか?」
「え、うちはいいですけど」
「ええ、私も少しなら大丈夫です」
2人とも少し頬が緩んだ。やはり、甘いものは好きなのだろう。
ティラミスを食べることになったので、厨房に取りに行く。
既に盛付けが終ったパンナコッタ、焼き立てのバスク風チーズケーキが用意されていたが、急ぎ2人分のティラミスを盛付けてもらった。
客席で待つ吉田さん、中村さんのもとにティラミスを運んでいくと、2人がミミルを前に話しかけていた。
広い客席だが、吉田さんの声はよく響く。
「へえ、漢字の勉強したはるんや。偉いわあ」
「うっとこの子も見習わさなあかんわ」
中村さんの声もなかなかだ。注文を聞く時に困らないのはありがたいが、ミミルが怖がらないか心配だ。
「平仮名と片仮名は覚えたん?」
「……ん」
まだ日本に来て間がなく、言葉はまだ不自由だと話してあったはずだ。
だが、ミミルは発音に慣れていないだけで、日常的会話的な言葉なら聞き取れてしまう。あまり質問攻撃をされるとボロが出てしまうだろう。
「お待たせ、持ってきましたよ」
俺はパートの2人の前にティラミスを差し出し、ミミルとの会話を遮ることに成功した。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






