第381話
安全地帯を通って第3層の入口に戻ると、太陽は西の空を赤く染めていた。
〈すごいな、ニホンでは見られない景色だよ〉
〈これくらいは普通だがな〉
エルムヘイムでの年齢は128歳だが、ダンジョンに入っている時間で数えると600歳を超えるというミミルのことだ。何百回とこのような夕日を見てきたことだろう。
だが、俺はまだダンジョン内で生活した時間をすべて足しても10日そこそこだ。どうしても、地上では見ることができない景色に見惚れてしまう。
数百メートル先では中洲の先で川が合流し、断崖から海へと落ちて消える。その陸地と空の境界線しか見えない場所に沈みゆく茜色の太陽は心が震えるほど美しい。
正に日が沈む2分ほどのあいだ、俺は黙って、何も考えず、ただジッとその様子を眺めていた。
地平線の向こうに太陽が姿を消し、ゆっくりと夜の帳が下りてきた。
第3層の太陽が沈んだところで視線を入口へと向けると、そこにはテントや簡易テーブルなどが既に並べられていた。
〈気が済んだか?〉
〈ああ、待たせたな〉
少しミミルを待たせてしまったが、特に2分少々待ったところで気にもしていないようだ。
ただ、月明りだけでテントを設営したり、料理をしたりするわけにもいかない。
俺は野営道具からLEDランタンを取り出して点灯すると、急いでテントの設営作業に取り掛かった。
何度もテントの組み立てや、簡易テーブルなどのセッティングをしているので、慣れて来たのだろう。30分もしないうちに野営の準備は終わった。焚火台の薪に火を着けるのも今回は俺がやった。
ミミルが暇そうにしていたが、仕方がない。椅子を広げるくらいはミミルでもできるだろうが、テントの設営などはミミルの体格ではたいへんだし、簡易テーブルを組み立てるのも大きさ的に厳しい……と思う。
簡易テーブルを広げると、ミミルは「待ってました」と言わんばかりに食材を空間収納から取り出して並べていく。よほど暇だったのだろう。
さて、今夜の料理だが……空間収納を身につけることができたのだから、お祝いを兼ねてヴォンゴレを作るときに残った白ワインを飲み切ってしまおう。バーベキューをした際に使ったズッキーニの残りも使い切りたい。
まずは下拵えからだ。
赤と黄色のピーマンを角切りに、皮を剥いたジャガイモ、タマネギ擬きのリューク、ズッキーニはスライスしておく。それをボウルに入れてオリーブオイルを掛け、混ぜ合わせる。こうすることで、炒める段階でくっついて火が通らないなんてことがない。
フライパンの中に具材を入れてしまい、焚火の上に置いて遠火でじっくり炒める。少し焦げ目がついてきたら蓋をして具材の水分だけで蒸し焼きに。最後に塩、胡椒で味を調えたらアラゴンフライ(Fritada aragonesa)のできあがりだ。その名の通り、スペイン北東部にあるアラゴン地方の料理だ。
俺が皿に装ったアラゴンフライをミミルの前に差し出すと、ミミルはひと目見て眉間に小さく皺を寄せ、ジッと俺を見上げる。
〈肉がない〉
〈肉はあとで焼くから、まあ食ってみろ〉
これまでの実験でダンジョン野菜は半分以下にすることで水を入れても魔素の抜けを防ぐことができることがわかっている。それは肉を入れた場合でも同じだと思う。いま、地上の野菜で残っているのはニンニクが数片とカリフラワー、パプリカ、レモン……煮込みを作るには材料が心許ないので、焼いて食べるしかない。
コップを2つ用意し、そこに残った白ワインを注いでいく。前回と同じ安価なチリワインだ。
念のために味見をしてみるが、ミミルの空間収納に仕舞っていたものなので蓋が空いていても劣化はしていない。
フォークでアラゴンフライを突いていたミミルの前に、俺は白ワインの入ったコップを差し出した。
ミミルは少しキョトンとしていたが、コップの縁から漂う酒精とフルーティな香りにそれがワインだと気が付いたのだろう。俺の顔を見上げて、嬉しそうな笑顔をみせた。
〈ミミルのおかげで空間収納の技能が手に入った。ありがとう〉
〈いや、それはしょーへいが雷のことを教えてくれたからだと言っているだろう〉
〈まあ、それはいいよ。とにかく、乾杯だ〉
腕を伸ばし、俺のコップをミミルの手にあるコップへ軽く当てた。ガラス製ではない、壊れにくいコップというのもあって、いい音はしない。
〈う、うむ……〉
どこか納得してないような顔でミミルはコップを口元に運び、ちびりと口をつけた。
こうして乾杯するならビールもいい。今度から冷えた缶ビールを自分の空間収納に仕舞っておくのも悪くない。というか、食材やキャンプ道具などは俺が持つ方が良いんじゃないだろうか。いや、そうすると今度はミミルが何も持たないことになってしまう。それはそれで甘やかし過ぎというか、何か違う気がする。
などと考えながら俺もフォークにアラゴンフライを刺して口へと運んだ。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。






