第298話
たっぷりのキュリクスのタリアータを挟んだバケットを朝食にした俺とミミルは、食後の運動と安寧な日々が過ごせることに対するお礼をするため、市場の突き当りにある神社にやってきた。
既に、昨日と同じようにお参りも済ませているので、あとは帰るだけだ。
「違う道、通る。いい?」
「いいよ」
基本的に商店街を通って神社に来ているが、帰りは違う道を選んでいる。
初回は早過ぎて三条通りを通って帰ったのだが、昨日も六角通りのファストフード店で朝食を食べたこともあって三条通りを選んでいた。
同じルートばかり歩いていても地理感覚はわからない。
そういえば、この街に住むなら覚えておくと最も便利なことを教えるのを忘れていた。
いい機会だから教えることにしよう。
碁盤の目といっても囲碁がわからないから、碁盤も理解できないだろうな。網目……がいいかな?
「この街は中心部は縦横網目状に区割りされているんだ」
「……ん。わかる」
何度か外に出ているので、体感しているのだろう。
聡いので助かるが、囲碁は今度ネット検索して見せてやろう。
「一昨日、車で通った場所に、この国の王族の住居跡があっただろう?」
「住居跡、公園あった」
「そうそう。その南側にある通りを北から順番に覚えるための歌があるんだ」
「おー、うた。うた覚える」
10時前にもなると新京極通りにも人が増える。
大声で歌ってみせるのはさすがに恥ずかしいが、話すくらいの声なら大丈夫だろう。
「まるたけえびすにおしおいけ
あねさんろっかくたこにしき
しあやぶったかまつまんごじょう
せきだちゃらちゃらうおのたな
ろくじょうひっちょうとおりすぎ
はっちょうこえればとうじみち
くじょうおおじでとどめさす」
「歌だけ、わからない」
「ああ、そりゃそうだな。通りに出て、山が見えない方向が南……」
言って南へと身体を向けるのだが、新京極通りはアーケード街だ。しかも、北端は突き当りになっている。
「どこも見えないな。えっと、北から丸太町通り、夷川通り、押小路通り、御池通り、姉小路通り、三条通り……昨日通ったところな」
「昨日とおった、三条通り?」
「うん。ここが六角通り。曲がるか?」
「ん。ここ曲がる。六角通り」
斜め前に昨日朝食を摂ったファストフード店が見える。
これを西に進むと、頂法寺の六角堂があるのでこの名が付いている。
「さっき通り過ぎたのが蛸薬師通りで、市場があるところが錦通りだ」
「ん。次は大きい通り」
「そう、四条通りだな。その次から順に綾小路通り、仏光寺通り、高辻通り、松原通り、万寿寺通り、五条通り」
「高辻通り、しょーへいの苗字?」
「うん、そうだよ」
平安時代の公家は、住んでいた通りの名字が付いている。朝廷に力のあった藤原氏が増え、住んでいた屋敷のある場所で区別するようになり、そこから名字が生まれた。
俺の名字も、先祖が高辻通りに家を構えていたにすぎない。
「しょーへい、地主?」
「違うから」
応仁の乱以降、京の街は荒廃した。そして、江戸時代に高辻家の血は絶えかけたのだが、分家である五条家から養子を受けて再興した。
だが、江戸時代の家禄は小さな村が4つ……二百石程度の所領しかなかったらしい。とはいえ、近衛家の所領でも三千石に満たなかったのだから、公家の中では中の上……といったところだったようだ。
江戸時代が終わり、明治になって本家から独立し、商売に成功した俺の高祖父が高辻町の土地を手に入れた。
「つづけるぞ。高辻通り、松原通り、万寿寺通り、五条通り、雪駄屋町通り、鍵屋町通り、魚の棚通り、六条通り、七条通り、八条通り、九条通り――という順番だ」
「ちゃらちゃら、ないよ?」
「ああ、鍵屋町通りのことだね。鍵が沢山あるとチャラチャラと音がするから、チャラチャラなんだ」
「本当?」
ジトリとした目でミミルは俺を見つめるが、俺が作った歌じゃない。本当のところはわからないな……。
「少なくとも俺はそう教わった」
「ん。わかった」
「時間があるときに地図を見ながら話そうか」
「ん。地図見ながら、よくわかる」
六角通りに出て足を止め、前後を確認する。
正面は西……小さいビルがあって山並みなど見えはしない。後ろはもっと高いビルがある上、アーケードが邪魔になる。
「こっちが西」
正面に腕を伸ばし、ミミルに方角を示してやる。
「後ろが東、右が北……」
まだ教えていないのに、西に向かって右側が北とミミルには分かったようだ。ミミルの日本語スキルはⅡだが、方角くらいは基礎知識として与えられているのだろうか。
とても不思議だが、それを訊ねたところで「技能のおかげ」という言葉が返ってきて終わりそうだ――やめておくことにしよう。
ミミルに言われる通り、道を選んで店舗兼自宅へと向かって歩く。
六角通りにはまだ昔から続く店が残っている。
表具屋、扇屋……そして、少し先に見えるベンガラ格子の甘味処だ。
和菓子の味を覚えたことだし、近いうちにミミルを連れてきてやろう。
この物語はフィクションであり、実在の人物・地名・団体等とは一切関係ありません。






