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第二十九話 姉として

『——お姉ちゃんだけは、何があってもあなたを守ってあげるから』



遠い過去の記憶。


果たされることのなかった、思い出の一ページ。



『でも、わたしはお姉ちゃんを壊しちゃうかもしれないよ』


『私は強いから。妹より弱いお姉ちゃんなんていないよ』


『そうなんだ。なら、安心だね』


『うん。大丈夫。……ほら、お姉ちゃんは壊れないでしょ?』


『ホントだ……あったかいね、お姉ちゃん……』



思えば、それが最後だった。


アルテミスと触れ合った、最後の昼下がり——。



それがまさか、このようにして触れ合うことになるなんて。



「はぁぁぁぁッ!!!」


「壊れて消えろ、お姉ちゃぁぁぁんッ!!」



いいや、予期していたからこそ。


私は、アルテミスを地下深くに幽閉したのだ。


彼女が、救われることを願って。





「すぐに治してやる。意識をしっかり保て」


「あ、あ、あわわわ……ッ!(ひゃああああッ!? は、半裸! 半裸のリル様! リルお姉様おっぱいでかッ)」


「……意外に元気そうだな」



今にも崩れ落ちてしまいそうな状態だというのに、ヴィヴィアンは顔を赤くしてわしゃわしゃしていた。


案外、タフな女だ。とはいえ、まずい状況なのには変わりない。


ヴィヴィアンを抱き上げ、姉妹による戦闘域から脱出する。



「へカーティア様は……大丈夫でしょうか?」



第二形態へと変身し、治癒魔術を施す俺へヴィヴィアンが言った。


心配するのもムリはない。単純な戦闘力では、圧倒的にへカーティアが劣っている。


だが、



「俺に兄弟はいないから、よくわからないが……姉ってのは、そう易々妹に負けていい存在じゃないと思う」


「それは……はい。たしかに、わかる気がします。お姉ちゃんの役割は妹や弟のことを守ることだから。守るはずの存在に、弱味を見せちゃいけないですし、見せられないです」



魔王である俺が敗北する姿を見せれば、きっと民は絶望してしまう。


それと理屈は同じだと思う。


だからこそ、意地でもへカーティアは喰らいつく。


勝敗はわからない。だが、姉として勝てればいい。


あとは、生きてさえいてくれれば。


俺が到着するまで、生きてさえいてくれれば。



「負けるなよ……へカーティア」



そう願って、俺はヴィヴィアンの体を再生させることに集中した。





(たけ)り狂う剣撃の嵐が駆け抜ける。


その数は千を超え、万に匹敵する総量で放たれた。


呑み込まれれば一瞬にして散り散りとなってそよ風に消える——()級の災厄を前に、



「お姉ちゃんだから特別だよ。特別に、抜いてあげる」



意味深な言葉と同時に、アルテミスが虚空を掴む。


高位の魔術に、遠く離れた場所から物体を移動させる転移の法術がある。


一定水準の魔人族は皆、それを感覚的に習得していた。


いや、習得していなければ生き残れない。


例に漏れず、魔術に関しての知識がほとんどゼロであるアルテミスもまた、その魔術を習得していた。



「生まれながらの強者が武器を使うってのは、ちょっとダサいよね。でもこれだけは気に入ってるんだ。とっておきを殺すときにだけ使うって決めてたの」



ギギギ——甲高くいびつに鳴り響く虚空。


アルテミスが握りしめたそこから、何かが這い上がってくる。



「おいで——無銘(ムメイ)。記念すべき二人目の犠牲者だ」



歌うようにはにかんで、アルテミスはそれを逆袈裟に振り上げた。


瞬間——目前にまで迫っていた剣撃の災厄が、真っ二つに分かたれる。



「お姉ちゃんみっけ♪」



二つに割れ、左右にそれていく嵐の中心をアルテミスは駆けた。


砂塵を巻き上げ、音の壁を数段蹴破(けやぶ)って飛翔するアルテミスの両手に握られたそれ——持ち手を中心に、左右に刃が備わった両刃剣(りょうじんけん)を自在に()ってへカーティアへと叩きつける。


まるで舞踊(ぶよう)のように。


待ち望んだ姉とのダンスを楽しむように、両刃を薙ぐ。


当然のごとくそれらの攻撃には破壊という属性が付与され、触れれば崩壊。かすればその瞬間に決着がつく。


だというのに、へカーティアの長刀は(ひび)ひとつおこさない。


アルテミスが自在に()る両刃剣にも、壊れる気配はなかった。



「嬉しいな。嬉しいよ。わたしはずっと、お姉ちゃんとこうしたかったの。パパを殺したこの剣で、お姉ちゃんを殺したかったの」



担い手の闘気に長くあてられた得物は、一種の生物のように進化する。


元はただの鉄で作られたそれらは、長い間、担い手の強力な闘気にあてられたことによって存在を変えた。


二人が握るそれぞれの得物(えもの)は、互いの担い手の闘気が尽きぬ限り、壊れることなく切れ味も衰えない。


逆に、闘気が膨れ上がれば上がるほどに、切れ味は増していく。



「お姉ちゃんはどんな声で叫ぶのかな。どんなふうに泣くのかな。どんなふうに断末魔をあげてくれるんだろう?」


「……ッ」



身の毛もよだつ剣撃の猛攻に、へカーティアは防戦一方だった。


さばくので精一杯。攻撃に転じる余裕はない。


一瞬の油断、隙、気の緩みが勝敗を決する。


そんなのは、当たり前の理屈だ。


しかし、ことアルテミスという相手にいたっては、それが顕著(けんちょ)にあらわれていた。


指先でも触れれば、そこから破壊の輪が広がっていく。


視線に当てられただけで骨身が軋み、目線を合わせれば眼球から内部を破壊し尽くされる。


その気になれば、視線で殺せる——それほどまでに彼我の実力は開いていた。


ただ、そうしないのは。



「ほらほらほらっ! お姉ちゃん動きが遅くなってきたよっ」


「く……ッ! この……ッ」



お姉ちゃんの声が聞きたい。


お姉ちゃんの顔をもっと見ていたい。


お姉ちゃんの悔しそうな顔がたまらない。


お姉ちゃんの視線が好き。


お姉ちゃんの必死な姿が、たまらなく愛おしい。



ゆえに、壊したい。



じっくりと時間をかけて、草花に水を与えるように()でて愛して壊したい。



「もっと頑張って、お姉ちゃんっ! 忘れちゃったの? 妹より弱いお姉ちゃんなんていないんでしょう!?」



袈裟にへカーティアを太刀ごと薙ぎ払い、地上に叩きつける。


そこへ、紫色の破壊(オーラ)を纏わせた両刃剣が投擲(とうてき)された。


大気をえぐり、とどろく砲弾のごとく両刃剣がへカーティアの髪を散らす。


瞬間、ためらうことなくへカーティアは長かった桃色の髪を切り捨てた。



「ふふ……ふふふ……ふふ。そこまでしなくてもよかったのに。あーあ、長い髪も短くなっちゃったね」



手元に戻ってくる両刃剣を握り、アルテミスはあえかに笑う。



「………」


「どうしたの? ショックで口も聞けなくなっちゃった?」



小馬鹿にした表情の彼女へ。


へカーティアは、前髪を掻き上げながら言った。



「——相変わらず、甘えたがりなのね。あの時から何も変わっていない」


「んー? なあに、昔話?」


「要はあれでしょう。あなた、構って欲しいのよね。見ていて痛々しいわ。恥ずかしい。いい歳して、お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん……いい加減、ひとり立ちしなさいよ」


「———は?」



一瞬にして、立場が逆転した。


見下ろしているのは、アルテミスのはずなのに。


ボロボロとなって、見上げているのはへカーティアのはずなのに。


今、笑っているのは後者のへカーティアだった。



「愛に飢えているんでしょう? 愛されてなんかいない、そんなはずはないって信じたくないから、自分が愛されているってことを証明したいんでしょう? あの暗闇の中で学んだのはそれ? 馬鹿馬鹿しいわね。我が妹ながら、見苦しい」


「な……にを」


「いつまでも駄々こねてないで大人になりなさい。すべての原因は未熟なあなたにある。それぐらい、もう気づいているのでしょう?」



打って変わり、強張(こわば)った表情を浮かべたアルテミスへ——へカーティアは、口角を釣り上げて言った。



「過程において結果があるのなら、あなたの現状もまた自身の行いによるもの。愛されたいのなら愛される努力をしなさい。そうして来なかったあなたに、ああだこうだ言われる筋合いはない」



戦闘において、勝つことではなく。


姉として勝つ——へカーティアの反撃がはじまった。




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