第十八話 ラヴィーナの一面
「——へえ、似合ってるじゃんか。魔王様もきっとイチコロだぜ?」
数十分後、女子更衣室にて。
シャワーを浴びて汗を流し、もろもろの準備を終えたヴィヴィアンはメイド服に着替えていた。
はじめて着るメイド服に羞恥心が溢れてくる。かわいらしい服だが、はたして自分に似合うのだろうか、と不安にもなる。
「軍服よりかは似合ってるぜ。さて、最終チェック入るぜえ」
「さ、最終チェック……?」
ラヴィーナはにっと笑い、尻尾を揺らしながらヴィヴィアンの首筋に鼻を寄せた。
「ぅぅ……っ!? ら、ら、ラヴィーナ様……なにをっ!?」
「くんくん……っ、くん……」
さらに胸の谷間、脇の下などに鼻をなぞっていき、全身をくんくんと匂いを嗅ぐラヴィーナ。
身をよじらせて、ヴィヴィアンはなんとか耐え切った。
「うん。いい匂いだな、おまえ」
「は、はあ……?(わんちゃんみたいだった……かわいいけど、恥ずかしい……っ)」
「よし、いくか。ついて来な」
「は、ハイッ」
最終チェックを通過したヴィヴィアンは、更衣室を出るラヴィーナの後を追う。
鍛錬場から城へ入り、リルと出会った中庭を通る。
「あ、あの……わたし、いったいどうなっちゃうのでしょうか……?」
「ん? リル様は説明してあるって言ってたぞ。そういうことするんだろ?」
「……もしかしてお勉強のことでしょうか……?(あのはなし本当だったんだ……その場だけの話かと思ってたけど……)」
「勉強? ああ、魔人語の読み書きがどうとか言ってたな。ンじゃ、アマリリスの代わりに呼ばれたってわけか。ハハッ、あの処女ビッチざまあねえなッ」
(わ、忘れてたぁぁぁっ!? わ、わたしアマリリス様に殺されないかなあ……ッ!?)
シェルリルング軍の三英傑にして大将軍の地位をたまわるアマリリス。手を伸ばしても届かないような英雄の代わりなんて……と、ヴィヴィアンは身を震わせた。
「まさかウチの軍から出るとはなあ。すっげえ出世だぜ、魔王様の側近ってのは」
「そ、側近……ですか?」
「そうだぞ。きょうから三ヶ月間、おまえは侍女としてリル様の身の回りの世話をすることになってる。宿舎から城ン中に移動だぜ」
「え、え、ええええ〜〜〜っ!!?」
「侍女つっても名ばかりだ。怒らせねえようにリル様の相手してくっついてまわってりゃいい。掃除とかそんなのはほら、そこらの使用人がやることになってるから。給金も跳ね上がるぜ?」
超高待遇じゃねえか——ハハッと笑うラヴィーナ。逆に頬を引きつらせるヴィヴィアン。
その話が本当なら、願ってもないことだ。あの魔王様に仕え、お側にいられる。しかも仕事としてだから給金ももらえるし、実家に仕送りもできる。弟妹たちが学校に行くためのお金を貯めるられる。
けど、
(絶対裏があるよ〜〜〜っ!! そんな超高待遇ありえないよぉぉぉっ!!)
侍女なんて専属使用人と同義だ。一介の使用人が、掃除などの雑用をこなさなくてもいい? 話し相手になるだけでいい? くっついて回っていればそれでいい?
(なにされるの私ぃぃぃ!? か、体!? 体目的……!? やっぱりそういうことなの……!?)
……でも、と考える。
(リル様……なら、いいかな……。うん、リル様カッコいいし……優しいし……お強いし……)
とくに、あの目が好きだった。
黒い瞳。何を考えているのかわからない、なんでも見抜いてしまいそうなあの目。やさしい目。
(ヤバい……見つめられた時のこと思い出して胸が……っ)
「おい? 緊張してんのか?」
「はっ!?」
「ま、そんな気負うなよ。リル様やさしいし、そう簡単に怒らねえって」
「は、はい……がんばります」
「おうおう。これであたしの株も上がったな。ハハッ——と、ここがリル様の自室だ。入るぞ? 覚悟はできたか?」
「……はいっ」
「よし——しっかりやれよ、ヴィヴィアン。あたしはおまえに期待してる」
ニッと表情を緩ませたラヴィーナが、ヴィヴィアンの金髪をわしゃわしゃと撫でた。細長くて、温かい指が頭皮に触れる。
(あぁ……っ! お、お、お姉ちゃん……! きっとお姉ちゃんがいたらこんな感じなんだろうな……はぁぁ、すきっ!! ラヴィーナさんかっこいいしかわいいし、好きっ!!)
頼れる姉御……ヴィヴィアンの頭のなかで、ラヴィーナが自身の姉としてともに青春を謳歌する妄想が膨れ上がった。
「じゃあ入るぜー」
「はいっ」
緊張は吹き飛んだ。
何があっても、この頼れる姉が助けてくれる……言葉にしなくとも、手のひらを介して伝わった想いを受け取って、ヴィヴィアンは——
瞬間、絶句した。
「リル様ぁぁぁっ! ラヴィが来たぜぇぇ…………あ゛?」
ラヴィーナはノックもせず、甘えるような高い声でドアを蹴り開けた。
尻尾が掃き掃除できそうなくらいに振り切っている。ラヴィーナの横顔は、にへらとだらしなく歪んでいた。
「……えと」
ついさきほどまでの、頼れる姉御キャラに亀裂が入る。
と同時に、そんな大将軍ラヴィーナの一面にも驚いたが……何よりも驚いたのが……
「——ぁんっ♡ もういいところだったのにぃ♡ ノックくらいしなさいよねえ、バカ犬ぅ♡」
「た……助かった……」
ラヴィーナに続き、大将軍の階級をたまわるアマリリスが艶かしく下唇を舐めた。その下で、彼女に押し倒されていたリルがホッと胸を撫で下ろす。
「おいおいおい……おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい——アマリリスてめえ、リル様に何してくれてンだゴラァッ!!」
「えぇ? どうしてそんなに怒るのぉ?♡ 先越されて悔しい?♡ 一緒にする?♡」
「するわけねえだろッ!! するなら二人っきりだ邪魔なんか入らせねえぞッ!!」
「きゃん♡ イチャラブがお好きなのね、見た目にそぐわず♡ この発情犬♡」
「殺す——」
「お、おおお落ち着いてくださいラヴィーナ様ぁっ!?」
目にも止まらぬ速さで鉤爪を装着したラヴィーナが戦闘態勢に移行する。が、寸前のところでヴィヴィアンが彼女にしがみついた。
(わあああ触っちゃったやわらかい腰ほっそめっちゃいい匂いする——ていうか、めちゃくちゃ力強ッ!!?)
「おいゴラ離せヴィヴィアン、あたしはあいつだけには負けたくないんだよッ!(おいおいマジかこの伍長、あたしの初動を止めやがったぞ……!?)
「だめです大将軍同士が戦ってはいけませんぅ! 軍法にも記載されてますから! 犯罪になっちゃいますからぁ!」
*
それから、一悶着あって……なんとか場を収めた俺は、紅茶を飲んで一息つく。
「——ンで? どうしてクビになったてめえがここにいんだぁ?」
紅茶を受け皿に置いたラヴィーナが、対面に座るアマリリスを見遣る。
「てめえの後釜はうちの優秀な部下が引き受けたんだぜ? リル様の自室に居座る理由なんてねえだろ」
「なぁに? 私の後釜はあなたぁ……?♡ ふぅん……この子がリル様のお気にぃ?♡ ふぅん……♡」
アマリリスが、ラヴィーナの斜め後ろに立つヴィヴィアンを舐めるように見た。
ヴィヴィアンはちいさく悲鳴を上げた後、俯いてエプロンをぎゅっと握る。どうやら、ガンを飛ばされたと勘違いしているらしい。
実際には、ガンではなく次の標的に見定めた……そんな感じの視線だ。
「アマリリス、いじめるなよ。彼女は俺の侍女だ」
「でも三ヶ月間だけですよねえ?♡ どうして期限付きなんですかあ?♡」
「三ヶ月もあれば魔人語を習得できると思ったからだ。ヴィヴィアンは教え方も上手で、わかりやすい」
「それはぁ、私の教え方が悪いってことですかあ、リル様ぁ」
「て……適材適所というヤツだ。アマリリスは他のことで頑張ってほしい」
「でもでもぉ、私は指示待ち人間だからぁ♡ リル様のご命令がないとなにもできない奴隷ちゃんなんですぅ♡」
「リル様、こいつ仕事が山のように溜まってるらしいぜ。アマリリス軍の軍長達が嘆いてた。印鑑もらいたいのにどこにもいないってな」
「なるほど。アマリリス、溜まっている仕事を終わらせてこい」
「そ……それはぁ、命令ですかぁ?」
「命令だ」
「魔王様の?」
「王命だ」
「……はぁい」
しょぼん、と肩を落として、アマリリスは自室を後にした。
「うっし……邪魔者もいなくなったことだし——リル様ぁ、さいきん忙しくて疲れが取れないんだよ……いつものアレ、やってくれないかなぁ?」
頬を紅潮させてすり寄ってくるラヴィーナ。
こいつ……三日前もしてあげたっていうのに。
「お願いだ、リル様ぁ。してくれたらきょうも頑張れるからっ」
「ヴィ……ヴィヴィアンの前だぞ……?」
「———」
おい、その顔……完全に忘れていただろ、ヴィヴィアンのこと。おまえが連れてきたのに。
「あ、あの……わたし、席を外しましょうか……?」
「……ヴィヴィアン。十分——いや二十分でいいから、席を外してくれ」
「は、はい……っ」
ラヴィーナの真剣な眼差しで命令され、ヴィヴィアンは恐るおそる部屋を出て行った。
*
「な、なにするんだろう……まだ午前中だよ……!? うぅぅ、気になる気になる気になる気になる……よし」
リルの自室をでたヴィヴィアンは、好奇心に負けて覗き見することにした。
(こ、これもお仕事……! ま、魔王様がどういうふうにされるのが好きなのかとか……そういうのって、やっぱり知っておいた方が大事だと思うし! ラヴィーナさんもどんな顔するのかちょっと気になるし……!!)
真っ赤になる顔を抑えて、そっとリルの自室を開くヴィヴィアン。
そこで、ヴィヴィアンは後悔した。
見なければよかった——と。
「——ラヴィーナ。あなたは本当に悪い子。駄犬。リルにこんなことされて、喜んじゃってる。変態さん。ほら、舐めなさい」
「あ、あひ、あひぃ、リルちゃ——」
そっと、ヴィヴィアンは自室のドアを閉めた。
……今のは、見なかったことにしよう。
想像を絶する美幼女に、首輪を引っ張られながらペチペチ叩かれている大将軍の姿は、見なかったことに。
(あんな趣味があったなんて……ちょっとショックですけど……かわいいからいっか)
ラヴィーナの頼れる姉御キャラがヴィヴィアンのなかで崩れていく。
表では姉御。裏では幼女の奴隷……そういう構図がヴィヴィアンの頭の中で出来上がった。
(……それにしても幼女姿の魔王様……可愛すぎる……っ)
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