第十六話 伍長
「逃げ出したはいいが、教科書を持ってきた俺は素直に偉いと思う」
城内にある中庭にやってきた俺は、教科書片手に自賛した。
すれ違う使用人が頭を垂れる。この光景にも慣れてきて、俺は片手をあげて「お疲れ様」と労った。
そのすぐ後で、背後から黄色い声が漏れたのは聞かなかったことにする。いつものことだ。
「それにしても、ここの庭園はすごいな……いつ見ても飽きない」
真四角に囲まれた中庭には、ちいさな庭園が作られていた。
中央には巨大な樹木があって、その周囲にはベンチ。すぐ隣には橋のかかった池があって、芝生が全体に伸びている。
花壇には色とりどりの花々が伸びていて、手入れの良さをうかがわせた。
「この庭園で勉強ってのもいいな。風情があるし、自然の中は癒される」
とても城の中だとは思えない光景に足を踏み入れる。
芝生を踏み、ちいさな橋を渡って巨大樹のふもとまで来た。
「ふん、ふふん、ふふーん♪」
「………」
どうやら先客がいたようで、鼻歌をうたっているようだった。
巨大樹の後ろか。
廊下からは見えない位置だ。
一瞬、立ち去ろうかと迷ったが……まあいいだろう。
一応、断りは入れておくかな。
俺は巨大樹をまわって裏側に顔を出した。
「ふんふん、ふふーん♪」
巨大樹に背中を預け、芝生に座る少女。
歳は十八の俺よりすこし下ぐらいか。使用人ではなく、服装から兵士だとわかった。
日陰の中でもきらめく金色の短い髪に、かわいらしく整った横顔。
どこか活発そうなイメージがある。雰囲気からは優しさと清らかさがにじみ出ている。
身長はだいたい百六十五センチくらいか。
身の丈ほどの突撃槍に付着した汚れを整備しているようだった。
野外での訓練がない間、兵士たちは城の真横に作られた鍛錬場で訓練を受けている。
城の中も一定の場所以外、兵士なら出入りは自由だ。ここに彼女のような人間がいてもおかしくはない。
「ふんふふーん———だれ!?」
「お?」
気配を殺して一歩踏み出した俺へ、ほぼ反射だろう——突撃槍の切先を俺に向けた少女。
驚かせようと気配を殺したんだが……なかなかに敏感な触覚をもっているようだ。
俺が感心していると、少女の鋭く尖った翡翠色の瞳が揺らいだ。
「———あ」
「……どうした?」
「———」
俺の顔を見て、間抜けな声を漏らした少女は……うるうると瞳を濡らした。
刹那、声にもならぬ絶叫をあげて突撃槍を放り捨て、地面に額をこすりつけた。
「ももももももおももももももも———申し訳ございません陛下ぁぁぁぁっっ!!?」
「……おう」
たぶん、号泣してる。
「いや別に……その、俺も悪かった。ついつい出来心で……。きみは当然の対応をしたと思うぞ。兵士として」
「いえいえいえいえいえいえいえっっ!! 魔王様に刃を向けるなんてそんなことあってはなりません自害しますのでどうか弟妹にはご慈悲をぉぉぉぉっ!!!」
これは、しばらく時間がかかりそうだな。
——案の定、なだめるのに数十分の時間を要した。
ふつうに慰めても効果はなかったので、これは王命である、とか偉そうにいってみたらピタッと泣き止んだ。
「——も、申し遅れました! わたしはヴィヴィアンと申します! 階級は伍長! ラヴィーナ大将軍第五軍長ヘスカタ様の指揮下に入っております!!」
「ヴィヴィアンか。すまなかったな、驚かせて」
「いえ、とんでもありません! わたしの方こそ、不敬罪で処刑されてもおかしくはない大罪を……っ!」
「黙っておくから自害するなよ。——とりあえず、座れよ。俺に付き合ってほしい」
「は、ハイッ」
巨大樹に背中を預けて、隣をポンポン叩く。
ヴィヴィアンは緊張に体を震わせて、恐るおそる芝生に腰を下ろした。
……ガチガチだな。そんなに緊張することは……いや、そうか。ここ最近の記憶が濃密すぎて忘れていたが、つい一ヶ月前までは軍人だったのだ、俺も。
軍時代、一度だけ国王と会ったことがある。
勇者パーティに従事し魔王を討て、と。王自ら命令を下された。
たしかあの時、今のヴィヴィアンじゃないにせよ、緊張した記憶がある。
なら、本題に入る前に緊張を解いてやろう。
これも王の責務だ。
たぶん。
決して勉強が嫌になったわけじゃない。これは必要なことなんだ。
「好きな食べ物はなんだ? ヴィヴィアン」
「え? ——と、カレーでありますッ」
「ああ、隣の大陸から伝わったという、香辛料で味付けをしたあのカレー?」
「ハイッ!!」
「……もうすこしやわらかくていいんだぞ。大声で返事しなくていいし。ふつうで頼む」
「……はい」
「うん、それくらいの声量で。——じゃあ、趣味は?」
「す、素振りと突きの練習です」
「素振りと突き? 趣味なのか、それ。まあいいや。じゃあ好きな言葉は?」
「諦めなければ夢は必ず叶う、です。……あの、魔王様? これは何かの試験でしょうか……?」
困惑するヴィヴィアンに、俺は首をかしげた。
「いや。ただの世間話ってヤツだ」
「そ……そうですか」
初対面だからな。しかも女性だ。
顔には出さないが、俺は女性と話すと緊張してしまう。
へカーティアやラヴィーナとの初戦闘時も、緊張して口数が少なくなっていたと思う。
慣れれば問題ないのだが、やはり初対面となると俺も緊張する。
ここ最近でアマリリスとも難なく話せるようになったが、彼女はまた違う感覚で心臓が震える。
「家族構成を教えてくれ」
「は、はい……えと、両親と、弟と妹とわたしで五人家族です」
「五人家族か。いいな、とても楽しそうだ」
「は、はい……楽しいです」
「………」
「………」
ふむ。話し慣れていないせいか、話題が見つからないぞ。
仕方ない。本題に入ろうか。
「ところで、今は忙しいか? すこしばかり俺に時間を割いてほしいんだが」
「問題ありません! 魔王様の命令であればたとえ両親の葬儀でも……葬儀でも……っ!」
「それほど深刻な場合はこちらも気をつかうが……」
命令でもないしな。そこは両親の葬儀を優先してほしい。
「実は俺、いま勉強中なんだ」
「お勉強ですか?」
「ああ。この教科書をなんなく読めるようになりたい」
「これは……小学生用の教科書ですね。魔人語が苦手なんですか?」
「話す分には問題ないんだ。ただ、読み書きが一切できない。ここ一ヶ月、ずっと勉強してるんだが身にならないんだ」
「なるほど。わかりました! わたしでよければお力になりますよ!」
「それはありがたい」
ということで、俺はさっそくヴィヴィアンに魔人語を教わることにした。
*
「——ヴィヴィアン」
「は……はい……!?」
ヴィヴィアンに教授されること二時間。
俺はそっと教科書を閉じて、ヴィヴィアンの瞳を見た。
「一ページ読めるようになった」
「そ、それは……おめでとうございます?」
「教え方がうまいおかげだ。はじめて一ページまるごと読めた。ありがとう」
「そ、そんな……! わたしはただ、本当に基礎を教えただけで……」
「いや、大きな進歩だ。くっついてきたり触れてきたり寝てたりするアマリリスとは大違いだ」
「あ、あ、アマリリス様……っ!? とんでもないです、一介の下っ端兵士が大将軍様と比べられるなんて……!」
「いや、誇っていい。きみはアマリリスより優秀だ」
「いえいえいえいッ!!」
大袈裟に否定するヴィヴィアンだが、嘘は言っていない。本気でそう思っている。
戦闘力だけがすべての世界じゃない。今は戦乱で、武力の高い者が優遇されているのは事実だ。
しかし、それよりも大事なことがあると俺は知っている。
「さて、昼食時だ。一緒に飯を食いに行かないか?」
「ええええええっ!? そんなことはできませんっ!!」
「もしヴィヴィアンが嫌じゃなければなんだが、明日からも教えてほしい。アマリリスの代わりに」
「ムリですダメですそんなアマリリス様の代わりなんてっ!! それにわたし、よわっちいですからひと一倍鍛えないとすぐについていけなくなりますし……!」
「ふむ……」
口元に手をあてて、ヴィヴィアンを凝視する。
「きれいな翡翠色だな」
「……っ!?」
おっと、おもわず声に出てしまったが。
俺が見ていたのは瞳ではなく、彼女の戦闘力。
第一形態は鑑定を使えないが、ある程度の戦闘力なら感覚でわかる。
「ぁぅ……ぅぅぅ……恥ずかしいです……ぅっ」
「ふむ」
「ぅぅぅ……っ」
大体……200〜400前後といったところだろうか。
この状態の俺は、戦闘力20万はある。
ラヴィーナやへカーティアと比べると雑魚の部類だが、それでも何か教えられることはあるはず。
せめて10万は引き上げてやれるだろう。
「ちなみにヴィヴィアン。今はどこに住んでるんだ?」
「——ぇ?」
「どうした? 顔が赤いぞ」
「い、いえいえなんでもありませんっ!」
「……? それで、どこに住んでるんだ?」
「えと、今は宿舎に住んでいます。休日は実家に帰ってますが、平日は訓練が終われば寮の部屋にいます」
「実家からは通えないのか?」
「まだ伍長なので。百人将になれば実家から通えるようになるんです」
「そうか。なら問題ないか」
「え?」
実家通いから城内生活になるのは嫌かと思ったが、寮ならそう変わらんか。
「さっきの件、考えておいてくれ。俺はおまえを気に入った」
「———え」
立ち上がった俺は、呆然とするヴィヴィアンに手を差し伸べる。
「飯、食いに行くぞ」
「———」
顔が爆発してしまいそうなほど赤いが……本当に大丈夫だろうか。
「おもしろかった!」
「続きが気になる!」
「早く読みたい!」
と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いします!
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、どんなものでも泣いて喜びます!
ブックマークもいただけると最高にうれしいです!
何卒、よろしくお願いします!




