第05話 本能の残留
警察署の中。
階段の所までやってきた賢治は、階段の上下を見比べてどうしようか考えていた。
「んー、取り敢えず上の階に行ってみるか」
賢治が居た留置場は四階であった。その階の上下に刑事課があり取調室に連れて行くの便利だからだ。
実際に利用したことは無いが、六階に食堂が在るらしいと取り調べの刑事に聞いたことを思い出していた。
「食堂に行けば食材ぐらい有るかもしれんしな」
賢治はゆっくりと階段を登っていた。階段の途中には息絶えていた者が多数いるので急げないからだ。
最初の何人かは肩を揺さぶったりして生存を確認したが、段々と面倒くさくなって足を蹴るだけになっていった。
(生きてる奴が居ないってどういう事よ……)
制服を着ていないものも居たが刑事課の警官であろう。
「ちょっと、寄り道してみるか……」
上の階で室内に入ってみた。だが、机に向かって突っ伏したままの者や床に倒れた警官だらけであった。
「警察署の中も全滅なんかな……」
賢治は事務机を漁り始めた。食い物を探しているのだ。しかし、書類や事務用品ばかりで食えそうな物は見つからなかった。
オヤツぐらい秘匿していても良さそうなのに無かった。警察官は妙な所に律儀で生真面目な人たちが多いのだ。
まあ、そうじゃないと警官になろうとは考えないのだろう。
「饅頭のひとつくらい持っておけよ……」
そう嘆いてから賢治は更に警察署の中を探してみることにした。
「しかし…… 物音一つしないな……」
賢治自身も歩きながら物音を立てないように注意しながら警察署の中を漁っていた。立場上で言えば賢治は脱獄したことになるからだ。
見つかってしまうと裁判官の心証が悪くなり刑期が重くなってしまう。
(まあ、気にしてもしょうが無いけどな……)
緊急避難だと言えば何となく良いかななどと考えていたのだ。
(大人になって上手くなったのは、言い訳を思いつく速度だけだな……)
そんな、自虐的なことを考えながら、死体だらけの警察署内を見て回った。しかし、生きている人間に出会うことは無かった。
「お、食堂だ……」
警察の中にも食堂は在る。職員専用なので部外者が来ることは無い。
だが、留置場で温かい弁当を食べたい時に利用する事が出来るのだ。
留置場で出される弁当は無料であるが、食中毒防止の為に冷え切っていて美味しくは無い。
そこで外弁と称して、有料でこういった所に頼む事も出来るのだった。
(ここにも誰も居ないのか……)
食事の時間とズレていたのか、食堂のホールはガランとしていた。その机の前を通り抜けて厨房に入っていった。
ひょっとしたら食事の下ごしらえの物が有るかもしれないと淡い期待を抱いていたのだ。
「…………」
だが、厨房の調理台の上には何も無かった。
(確か、朝の運動の時間だったから、朝食を作り終わったタイミングだったのかもしれないな……)
朝食が終わると次は昼食の準備なのだが、下準備の前に衛生のために清掃するのだそうだ。
なので、下準備をする前に異変が始まったのかもしれないと思い至った。
(確か異変の発生は朝方だったよな……)
賢治は当日の朝を思い浮かべてみた。
起床したら布団を片付けて洗顔歯磨きなどの身支度を行う。これは留置房に収納されている者全員だ。
自慢出来ない事だが、何度も警察の手間を掛けさせる賢治には手馴れたモノだった。
だが、担当たちの様子が変だったのを覚えていた。
『なんかなー、曇り空なんだけど眩しく感じるんだよ』
『雨が降りそうな気配だけど?』
『うーん……暗いんだけど眩しいんだよなー』
『なんだそれ……』
そうヒソヒソ声で話し合っているのを、横目で見ながら顔を洗っていたのだ。
(今日は検察官の取り調べを受けるはずだから雨は厭だな……)
会話を盗み聞きした時に感じた感想だ。
一般的に収監されている留置房に窓など付いていない。脱走防止もあるが外部と連絡を取らせない為にだ。
以前、手話と口話で連絡を取り交わされた事があったそうだ。
窓は監視用見廻り通路を挟んだ側にしかない。房内清掃の時に少しだけ開けて貰える。もちろん、近寄る事など出来ない。
なので収監されている間は、天気の事など分かりようが無い。空を見ることが出来るのが、朝の運動と称する喫煙タイムだ。
だから、ほとんどの奴は朝の運動に参加したがるのであった。
あの日は、食事を済ませると運動の時間だったが、賢治は猛烈に気分が悪くなっていたので辞めにしたのだった。
だから、異変があった時には前後不覚になっていたので丸で覚えていなかった。
「ちっ」
ガッカリとした賢治は厨房の中を見回すと壁際に待望の物を見つけた。銀色に輝く大型冷蔵庫だ。
(よし、お宝が有ったぜ!)
目的の物を見つけた賢治は、喜んで冷蔵庫のドアを開け放った。
「んあっ!」
扉を開けた瞬間に思わず飛ぶように後ずさった。予想外のモノに賢治は酷く驚いたのだ。
「……」
中には包丁を構えた女性が居た。年の頃は四十代半ばと言った所であろうか、割烹着を着ているので食堂の職員だと思われる。
「ああ……失礼。 驚かせてごめんなさい」
賢治は目一杯の愛想笑いを浮かべて挨拶した。それは胡散臭そうなセールスマンのようでもある。
窃盗の仕事をしていない時には、出所不明のサプリメントを売る商売をして糊口を凌いだりもしていたのだ。
「私は玄鉄賢治と申します」
出来るだけゆっくり話す。警戒した相手に話を聞かせるテクニックの一つである。
だが、女性は目を見開いて身じろぎもせずにいる。そして、その手には包丁を固く握っていた。
「少し食料を分けて貰いたくて……」
取り敢えずは留置場から逃げてきたことは伏せていようとは考えている。脱獄犯では相手も困惑してしまうのは目に見えているからだ。
(刺激するのは拙いしな……)
賢治は自己紹介したが女性は黙ったままなのに困惑してしまった。
「あの……?」
よく見ると彼女は身動きひとつしない。それどころか瞬きもしなかった。賢治は女性の目の前で手を振って反応を確かめた。
「……」
やはり何も反応が無かった。つまり、死んでいるのだ。騒動の中、逃げ場所に困り冷蔵庫に隠れたのであろう。
そして、そのまま暗闇の中で恐怖に呑まれてしまったのかもしれない。或いは、単に酸欠か低体温で死んだのかもしれない。
(医者じゃないから分からないし……)
冷蔵庫の中に居た女性が病気があったかどうか不明だ。だが、ぱっと見で怪我は無いらしい。
「…………孤独に負けたのか……」
賢治は扉をソッと閉めてしまった。本当なら冷蔵庫の中を探って食材を確保すべきなのだが、その気にならなかったのだ。
(コンビニにでも行った方が早そうだな……)
賢治は他の階を見て回るのを諦めて、外に出かける事にした。どこを探しても食料が無いのだ。
食堂に食材が在るはずだが、それらを探すのが面倒になってきたのだ。
不本意に遺体を発見してしまったせいであろう。
「気持ち悪いし……」
それに死体に囲まれて物を食うのは気持ち悪すぎる。賢治は大雑把な割に小心者なのであった。
外に出てコンビニを探した方が早いと考えたのだ。




