第16話 帰省と天ヶ瀬家での茶会
「副会長、じいちゃんに何か言われたんですか? なんだか怒っているように見えますが……」
「ん? 何を言っているんだ? 別に普通だろ?」
「いえ……ずっと眉間にしわが寄って、殺気立っているような感じで話しかけづらかったのですが……」
「は? そんなわけ……」
冬夜の言葉に呆れながら眼鏡に手をやると、眉間にしわが寄っていることに気が付いた。
「……なんという事だ。冷静沈着でポーカーフェイス、頭脳明晰な天才であるプロフェッサーたるものが感情を露わにしているだと?」
「頭脳明晰は認めますが、自分で天才とか言いますか……」
「何を言うか! 誰しもが認める稀代の天才科学者『プロフェッサー芹澤』ともあろうものが、冷静さを失いかけているとは……これは由々しき事態だぞ!」
「……そこまで大変な事でもないような……」
「最近頭の回転が鈍ってきていると思ったが、入院中から甘いものを口にしていなかったからに違いない! 糖分が不足しているのだ!」
「なんでそんな結論になるんですか!」
立ち止まると握りしめた右手で左手の甲を勢いよく叩く玲士。まるで憑き物が落ちたかのような清々しい顔で頷く玲士に対し、思わずツッコミを入れる冬夜。
「どうしてそんなに驚いているんだ?」
「ツッコミどころしかありませんよ! さっきまでこの世の終わりを見たような顔をしていた人が急に『甘いものが必要だ!』とか意味が分かりませんよ!」
「ふむ……そうか、疲労回復に糖分が有効であるというメカニズムから説明する必要があるのか……なるほど、冬夜くんも実に勉強熱心だ!」
「誰もそんなことは聞いていませんって!」
「大事なことだぞ? 根本的な原因を知っておくことにより、効率的に疲労回復して作業効率を上げることができる。前期試験の時に燃え尽きていたそうだが、回避できると言ったら聞きたくはないか?」
「そ、それはすごく聞きた……」
玲士の口から飛び出した魅力的な言葉に思わず心が揺れる冬夜。思わず聞き入りそうになった時、二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「何を道の真ん中で大声を出しているの……家の中までバッチリ聞こえたわよ……」
よく手入れされた背の低い垣根に囲まれた家の門から現れたのは、不審者でも見つけたような冷めた目をした言乃花。二人とは目も合わさず話しかけてきた。
「危なかった……言乃花が声をかけてくれなかったらまた同じ過ちを……」
「わざわざ出迎えご苦労だったな。冬夜くん、先ほどの件はまた時間のある時に詳しく説明してやろう!」
「ええ……時間のある時で大丈夫ですよ? 副会長もお忙しいでしょうから……」
冬夜が苦笑いをしながら足早にその場を離れようとした時、玲士が耳元で囁いた。
「……後期の試験でまた燃え尽きたくないなら聞いておいて損はないぞ。時間のある時に研究室へきたまえ」
「それはほんとですか?」
思わず立ち止って聞き返した冬夜の言葉は届いていないのか、颯爽と門の中へ入っていく玲士。
「何をしているの? 早くしないと紫雲さんに怒られるわよ」
「ああ、そうだな……」
固まっている冬夜を見ると小さく息を吐く言乃花。先に入っていった玲士に続くように二人は歩き出した。
「やっぱ何も変わっていないな」
「当たり前でしょ? 自分の家なんだし、数年ぶりに帰ってきたわけじゃないのよ」
ジト目で視線を突きさす言乃花をスルーし、嬉しそうに二階建ての実家を見つめる冬夜。玄関前の掃き出しには手の行き届いたプランターが両側に並び、綺麗な花を咲かせている。引き戸になっている玄関扉を開けると懐かしい香りと壁にかけられた時計が時を刻む音が冬夜を出迎える。
「ああ、この感じ……帰ってきたって実感するな、ただいま!」
「バカなことを言っていないでさっさと手を洗って来たら?」
玄関で感傷に浸る冬夜とは対照的に呆れを通り越し少し苛立ってきた言乃花。
「遅いぞ、冬夜! 早く座敷にくるんじゃ! みんなを待たせおって……」
「先ほど音も無く忍び込んで、おやつをつまみ食いしようとしたのはどなたでしょうか?」
「わ、ワシは何もしておらんぞ! ほら、あれじゃよ。冬夜たちが食べる前に安全かどうかを確かめないといけないじゃろ?」
「そうですか……私が用意したお菓子に変なものでも入っていると言いたいわけですね?」
「そ、そんなことは一言も言っておらんじゃろうが……万が一を考えてだな……」
「紫雲師匠、安心してください。このことは全部雪江師匠に筒抜けですからね」
「なっ……いや、ワシにそんなハッタリは通用せんぞ! ばあさんはレアたちと公園にいるんじゃからな!」
「だそうですよ、雪江師匠?」
弥乃さんがどこかに語りかけるように話すと思いもよらぬ声が聞こえてきた。
「弥乃さん、いつもごめんなさいね……おじいさん? あとでゆっくりお話しをしましょうか」
「げっ……いったいどういう事なんじゃ!」
「おじいさんが素直に待っているとは思えませんでしたので、弥乃さんにカメラを仕掛けてもらいました。まだこちらは時間がかかりそうなので……」
「ちょっとまて、ワシの話を……あ! 切るな!」
紫雲の慌てふためく声が家中に響き渡るが、雪江からの通信は切られてしまった。
「じいちゃん……何をやっているんだよ……」
「ほら、みんなが待っているから早くして」
玄関で頭を抱え込む冬夜に声をかけると、さっさと廊下を進んで左手奥の部屋に入っていく言乃花。
「結局先に行くのかよ……」
玄関に置き去りにされた冬夜は文句を言いながら急いで手を洗いに行き、後を追うように座敷へ向かった。
「遅いぞ! 目の前に美味しそうなおやつがあるのにどれだけ待たせるんじゃ……早く座らんかい!」
八畳ほどある畳の間には中央に大き目の座卓が置かれている。上座に紫雲が座り、反時計回りに弥乃、玲士、言乃花が並んでおり、向かい側にメイが座っている。
「冬夜くん、こっちだよ」
メイに手招きされ、右隣の席に座ると紫雲が口を開く。
「皆、長旅ご苦労じゃった。幻想世界、現実世界を楽しんできたかと思う。では、ゆっくりお茶を飲みながら話をしようではないか」
言い終えるとお茶に口を付け、意味ありげな笑みを浮かべる紫雲。
(じいちゃん、いったい何を考えているんだ……全く分からない……)
和やかな雰囲気の座敷が紫雲の一言で空気が変わる。
期待と不安が入り混じる茶会の幕が上がろうとしていた。




