後編
「ふと思ったんだが」
「あん?」
食事中、向かいに座る親父が急に思い立ったように口を開いた。
紅葉色の手形はそれほど威力がなかったせいか、学校を出るころには頬から消えていた。しかし物理的な威力はなくとも、精神的な威力は半端なかったようで、今でも俺の心は荒れ模様だ。それでも大好きな両親の言葉を無視するほどガキでもない俺は、多少ぶっきらぼうになりつつも返事をした。
「その眼鏡――ミャンマー式スカウターなんだが、妙だと思ってな」
「何が?」
「いや、お前から見て俺の親愛度が94%だっただろ?」
「あー、あぁ」
今、眼鏡に映っている数値は、やや下がり気味の91%だった。なんだ、親父……俺の態度にちょっと不満を感じてんのか? んー、まぁ、かんっぺきに俺の一方的な心象の問題だからな、不満に思われてもまぁ仕方ないか。ちと気を付けて、いつも通りの口調を心がけるか。
「よくよく考えれば、そらおかしい話ってなもんだ」
「だからなんで?」
「いやな、俺は俺ほど家族を愛している男はいないと自負している。母さんも愛しているし、一人息子であるお前のことも愛している。当たり前のことのように「愛している」と公言できるほど、俺はそのことに関しちゃ自信を持ってるんだ」
「そ、そうなんだ」
真っ向から「愛している」なんて言われると、親とはいえ照れるもんは照れる。でも親父は照れる様子もなく、ごく当たり前のことのようにその言葉を口にした。本当に心の底からそう思っているかのように。
「ふふ、アナタったら。でも私も愛情でしたら負けませんわよ」
親父の隣に座り、終始ニコニコ顔の母さんも頬に手を当てながら、負けじと言葉を返した。お、いつもなら恥ずかしがって、照れた笑顔だけで返す母さんが珍しく積極的だな。きっと物珍しい眼鏡に対する興味も手伝ってのことなのだろう。
「はっはっは、愛らしい奥さんに可愛い息子! こんな家族に恵まれて、俺は幸せモンだなぁ!」
「ふふ、私もですよ、アナタ」
おぉ、今日の夕飯が唐突に甘くなってきたな。ミャンマー式スカウターという話題が潤滑油となり、親二人の会話がいつも以上にノリノリで甘ったるい。その空間に巻き込まれる俺の気持ちを考えてくれ……俺は二人ほど素直じゃねーんだよ。
「で、何が気になるんだよ」
俺が強引に話題を戻すと、親父も「おう、そういやそうだ。その話をしていたんだった」と思考を切り替え、改めて言葉を紡いだ。
「94……という数値がおかしいんだよ。だって俺の愛情は100%以外ありえないんだからな、うむ。で、昨日、俺が眼鏡をかけた際に見えた数値。あれ、100%だっただろ?」
「お、おぅ」
そこまで言われて、俺も一つの「勘違い」に思い当ってしまった。おいおい……まさか、と思うが。
「つまり、このミャンマー式スカウター。レンズに映る親愛度ってのは『相手が自分のことをどう思ってるか』の数値じゃなくて『自分が相手のことをどう思っているのか』の数値なんじゃないかなぁーって思ったわけだ」
「……」
「ほれ、ちと眼鏡、貸してみろ」
ぐわんぐわん、と今日の出来事を思い返している俺は何も言葉が出ず、素直に眼鏡を親父に渡した。
眼鏡を外したことで景色がぼやけてしまうが、親父が眼鏡をかけた様子は何となく見て取れた。
「うむ、やっぱりだ。100%」
「ねぇ、アナタ。私のことはどう?」
「いうまでもなく、100%だな。限界突破機能でもあれば、100%以上の数値が出るんだろうが、律儀にもそこは百分率の定義に忠実な造りらしいな」
「ね、ね、私もその眼鏡、かけてもいいかしら?」
「もちろんだとも」
「ありがとう、ふふっ。あら、本当ね。アナタも達也も。二人とも100%と表示されるわ」
「はっはっは、ま、そんなものに頼らなくとも分かり切っていたことだがなっ」
「あら、もう。アナタ、おかわりいる?」
「うん、もらおうかな」
「はい」
そんな夫婦の会話をBGMに、俺は後悔の念に苛まれていた。
え、じゃあ何?
今日、俺が学校で見てきた数値は全部…………俺から見た相手の印象だったわけ?
あぁぁぁ~……言われてみりゃ、納得のいく数値の変化はいくつかあった。思えば、さっき親父の数値が下がったのも、俺の中の感情が落ちていたから下がっただけで、親父自身は何も変わってなかったわけだ。俺の心境一つで数値が揺れ動いていただけ……ただそれだけのことだったようだ。
で、それは当然、御堂にも適用されるわけで。
あの時感じた俺の自信は全て――俺の「一目惚れ」を数値化したモノだったわけで。
「美少女大好き面食い男」と化した俺が勝手に暴走しただけの告白劇だったわけでぇぇ!
……そりゃ、ビンタ喰らって当然の話だわな。はぁ……ミャンマー式スカウターっちゅう後押しのせいで気持ちが大きくなってたんだろうけど、なんつーか虚しいというか、情けない気持ちになってくるわぁー。
冷静に思い返してみりゃ、あのタイミングでいきなり告白とか、どう考えても顔目的だけで近づいたようにしか見えねぇよなぁ……。だって親愛度は俺の中だけの数値だったわけで、彼女自身、俺に何か特別な感情を抱いていたわけでも何でもないんだからな。最悪だ……史上最悪の黒歴史を築いてしまった。
彼女、阿知波とかに今日のこと、相談とかしちゃってるかなぁ。してるだろうなぁ……俺だったら、マジでビビッて田村とかに言っちまいそうだもん。仲がいいわけでもねぇクラスメイトから告られたら、喜ぶよりもまず、何か裏がないか勘ぐっちゃいそうだもんな。
まあ、そうなったらそうなったで、受け入れるしかねぇか。
とりあえず……明日、謝ろう。可能であれば、眼鏡のことも話して……そうだな、彼女にもかけてもらって、実体験とともに信じてもらうことを願おう。そのうえで嫌われるんだったら仕方ない。眼鏡のことを話したところで、面食いなのか一目惚れなのかの判断なんて、俺以外につきようがねぇからな。
……はあ。
かなり気が重いが、いったんケジメをつけんと、これ以上前に進められない。いつまでも今日のことを引きずったまま生きるなんて器用な真似は俺には無理だ。頑張るしか……ないな。
「いやぁ、やっぱりメシは母さんの手料理に限るなぁ!」
「もう、アナタったら。そんなに褒め通しても何も出ませんよ」
「はっはっは」
「うふふ」
へぇへぇ、仲が宜しいこって何よりですわぁー!
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翌日。
俺は昨日のことを謝ろうと御堂を呼び止めようとしたが、彼女は俺の顔を見るや否や、パッと顔を俯かせ、慌てたように駆け足でパタパタと逃げていった。
ですよねー。
男の俺ならまだしも、彼女はか弱い女性だ。
ヤバい奴が再び声をかけてきたとくりゃ、そりゃ逃げますよねー。
「…………はぁ」
憂鬱だ。
もう帰りたくなってきた。
折れそうな心を全力で支えつつ、俺と御堂以外は変わらぬ教室の様子に安堵感を覚えながら、俺は自分の席に座った。
置き教科書していた机の中から、今日の一限目の社会史の教科書を取り出そうとして――ふと、慣れない手触りを指先に感じた。
「ん?」
教科書の上にあったそれを教科書ごと取り出してみると、それが手紙であったことが分かった。
手紙?
丁寧に封筒に仕舞われたは、薄っすらとピンク色のもので、星形のシールも含め、どこか女の子らしさを感じるものだった。
手に取って裏返してみると、右下に「御堂香奈より」という文字が書いてあり、俺は思わずギョッと目を見開いた。
思わず彼女の席の方を見ると、ちょうど彼女もこちらを見ていたようで、視線が合うや否や彼女は両手で持っていた教科書で口元を隠しながら、すぐに机と向かい合うように顔を逸らしていった。
なんだ? あの行為には何の意味が込められている?
俺は封筒をまじまじと見降ろした。
ここに……その答えが書かれている、と考えて――いいんだよな?
そうして俺は星形のシールに爪をかけ、ゆっくりと封筒を開き、中に入っていた便箋を開いた。
そこには読みやすくも、やや丸みを帯びた女の子らしい文字がつらつらと……つらつらと…………長いな!?
パッと見た感じだけでもかなりの文字数がびっしりと書かれている。しかも便箋は2枚入っていた。この文字量が2枚となると、それなりに読む時間も要するだろう。ホームルーム前に読もうと思っていたが、こりゃそれなりに落ち着いた時間をとって読んだ方が良さそうだ。昼休みにさっさと弁当食って、トイレかどっかで静かに読むこととしよう。
――なんて思っていたが、気になるものは気になる。
社会史の授業はその犠牲となったのだ、なんて思いつつ、俺は一時限目から先生の目を盗んで、手紙を読み始めた。
『昨日はいきなり叩いてしまって、ごめんなさい』
始まりは謝罪からだった。いや……俺が一方的に悪いんだから、御堂が謝る必要ないだろう。でも何ていうのかな……これだけで、何となく御堂の人柄というものが見えたような気がした。
『私、人と喋るのが苦手で、上手く思っていることとか伝えたいことを整理して言えないんです』
なんとなく、そんな感じの子だよな、御堂って。
『友達と言えるのも阿知波さんぐらいで、あんまりクラスの子たちと話すこともないから、昨日はいきなり海東君に声をかけられちゃって、ビックリしちゃいました。それもあって、昨日は動揺が大きくて……』
あ、ちなみに俺の苗字、海東っす。なんとなく自己紹介してみた。
――じゃなくて、なるほど。思い返せば、確かに表情が堅かったような気もする。俺がいきなり声をかけたことに驚いているところに、さらに告白という追撃をかましたわけだな、俺は。
『それで、あの言葉を貰った時、何か言わないとって思ったんですけど、やっぱり言葉が思いつかなくて、頭の中がグルグルしちゃって……ごめんなさい。自分でもなんであんなことをしちゃったのか分からないのですが、結果的に叩いてしまいました』
うん、きっと本能が危険を察したんだろうね。でもなんだ……俺の想像よりもずっと、怒っていない印象が文面から読み取れる。いや、文字上だから分かりづらいだけで、この手紙を書くまでに怒りで何本もの鉛筆をへし折っている可能性だってある。慎重に読みほどいていこう。
あ、補足だけど、俺が脳内で抜粋している手紙の内容は、延々と続く文字を要約して抜き取った部分である。実際の文字だと、長い上に要点が分かりづらいというか、無駄な言葉が前後につきすぎていて、読みにくいのだ。御堂よ……どうやら言葉だけじゃなく、手紙でもお前のコミュ障は発揮されているようだぞ……。
『面と向かってだと、また緊張して何も言えなくなってしまうから、手紙を認めました。きちんと言葉で伝えられず、本当にごめんなさい』
手紙を認める? うん? どういう意味だ。御堂め~、さては誤字ったな。
『頬、痛かったですか? もし病院に行かれるんでしたら、私も付き添いますので教えてください』
いやいや、あれで病院行ってどれだけ虚弱体質なんだよ、俺。…………待て、付き添います?
その後もずらずらと俺の容態を心配する文言が書かれているが、簡単にまとめると「頬、大丈夫でしたか?」の一言だ。
『あの、昨日……お姉ちゃんのコンタクトを借りて学校に来たのですが、やっぱり似合わなかったでしょうか? 阿知波さんは友達だから可愛いってお世辞を言ってくれたんですけど……クラスのみんなの視線がちょっと気になってしまって。良かったら、海東君から見てどう映ったか教えてくれると……嬉しいです』
阿知波は真実を語っているぞ、御堂よ。お前はマジで可愛い! 眼鏡外して、髪型変えるまでそんなことにすら気付かない俺が言っても説得力皆無だが、開き直って断言してもいい! って待て待て! なんだかこの文面だと、また俺と会話をする流れを希望しているように見えるんだが……!?
『あと……あの、あの……昨日の、その、海東君の言葉なんですけど……』
おお、ついに手紙だってのに、話し言葉みたいな雰囲気が混ざってきた。
『私の聞き間違いだったり、勘違いだったら恥ずかしいので……もし、そうだったらこの手紙を破いて捨ててくれると助かります』
んなことするかい! 大事にしまっておくわ、なめるなよ!
『その……もし、海東君の言葉が…………罰ゲームとかじゃなくて、本当の……告白だったら、嬉しいです』
……………………え? う、嬉しい?
『私、見た目通り……地味ですし、運動もできませんし、勉強も普通です。だからきっと、このまま男子とも仲良くできずに、学校生活が終わるんだろうなぁって思ってました。海東君が私なんかのどこに興味を持ってくれたのか分かりませんが、もし本当なら……これほど驚くことはありません』
お……おっ?
『うぅ……文字におこしても上手く表現できません。ごめんなさい。でも嬉しかった、というのは本当です。どう接したらいいか分かりませんけど、その辺りももし……海東君が良ければ、教えていただけると嬉しいです』
え、いいの? 手取り足取り、いいの?
『その……添い遂げたり、とかは学生のうちはまだ早いと思うので……最初は手を繋いだりとか、えっと……はい』
添い遂げ……あぁ、そういえばそんなワードも口にしていたね、俺。そうか……最初は手取りからか。足取りは順番を踏まえてからだな……って、冗談を考えている場合じゃない。これって、もしかして……もしかして?
『口で言えばいいのに……こうして手紙に書かないと言いたいことも言えない私ですが……海東君が本当に良ければ、あの、お付き合いくださると、私も嬉しいです』
ひょわっ!?
ま、まままま、まさかのっ、あれだけの醜態を晒した俺にオッケーサインが!?
ていうか、手紙から一切、俺への猜疑心を感じられないんだが、御堂、もしかして騙されやすい性格なんじゃ!? も、もし……この手紙こそドッキリじゃないんだったら。俺と御堂が本当に本当に付き合うことになるんだったら……俺がちゃんと守らないと、な。
『あと、海東君の眼鏡。とても似合ってるよ。いつもコンタクトだったんですね。眼鏡姿の海東君も理知的な感じがして、私、好きです。あと、お友達の田村君と話すときの海東君、すっごく楽しそうな笑顔をしていることが多くて、あの笑顔が私には眩しくて、とっても好きです。できれば……私も貴方にあんな笑顔を浮かべられるようなか、かか……彼女さん、になれたら嬉しい、です』
――――どうやら、彼女は俺のことも見ていてくれたようだ。俺なんか、彼女のイメチェンとミャンマー式スカウターが無けりゃ、見向きもしなかったであろう馬鹿な男だっていうのに。
きっかけはまぁ、微妙なアレだったのかもしれないが……彼女との繋がりを得られたと思えば、悪くないことだったのかもしれない。彼女の純粋さあっての奇跡的なモンだと理解はしているけどな。これからだ。これから真心を込めて、俺は御堂に向かい合っていけばいい。そうすりゃ……数年後には昨日の出来事も笑い話になっている――そんな日を迎えられるかもしれない。
なにはともあれ。
俺は彼女から告白の返事を――了承を貰ったわけだ!
「いよっしゃぁ!!」
感極まり、俺は椅子から立ち上がって、ガッツポーズをとった。
「うん、海東。ちょっと廊下行って、頭冷やしてきなさい」
「了解っす!」
にこやかに廊下への扉を指さす社会史の先生に敬礼し、俺は満面の笑顔で堂々と廊下へと出ていった。
出ていく際、御堂が少し驚いたように顔を上げている姿が見えた。彼女は俺が手紙を手にしていることに気付き、一瞬考えこむ様子を見せた。――そして、先ほどの俺の叫びと関連付けて、俺の思いを察したのか、彼女は徐々に顔を赤くして口元に両手を当てていた。
あぁ、本当に。
――こんな恋の始まり方も、悪くはないな。
ジャンルをコメディにするかどうか悩んだ作品でした(笑)
ここまでお読み下さり、ありがとうございましたm( _ _ )m




