56.5. 閑話 あの風景の中にいつも
ジュドル視点。
二話に分割しようかと思ったのですが中途半端な長さだったので、長めの一話です。
きっかけは小さな硝子細工の置物だった。
少し濁りと気泡の入った硝子の小鳥の置物は、今思えばそれほど質の良くないものだった。だが、その今まで見たことのない透き通った繊細な小鳥の姿に、小さかった頃のジュドルはひと目で心を奪われてしまった。
そして、これが職人の手で生み出されたものだと聞いて衝撃を受けた。
アントレルでは男は大人になったら猟師か木こりになるのが当然で、気は進まないがジュドルもそうなるものなのだと思っていたのだが、そこに突然『硝子細工職人』という道があることを知ってしまったのだ。
問題は、どうしたらその道に進めるのか、ということだ。
まず両親に聞いた。だが、両親は「馬鹿なことを言うな」と怒り出した。あのときはなぜ怒られたのか理解できなかったが、それはきっと、息子の身を案じてのことだろう。
次に村の他の大人たちに聞いてみた。彼らは苦笑して、両親と同じように「馬鹿なことを言ったらいけない」と諫めてきたり、それか「村の外がどんなに大変なのかお前は知らないだろう」と訳知り顔で説いてきたりした。
どうやら硝子細工職人というものは、アントレルに生まれたジュドルには就けない職業らしい。
村の人々の話を総合すると、職人のように技術が必要な仕事に就くには、少なくとも村から出て、技術を教えてくれる場所に行かなければならないのだ。それも、山の麓の、ジュドルが知る限りで一番大きな町であるアイドクレースよりももっと遠くて大きな町へ。
そんなところへ、どうやって行くのか。
そして、教えてくれる人をどうやって見つけるのか。
なによりも、両親の反対を振り切って村を出て、自分一人の力で生きていく、その覚悟が自分にあるのか――それが自分にも分からなかった。
一度抱いた夢を諦めきれず、だからといって村を飛び出す覚悟も手段もなく――ただただ日々をくさくさしながら過ごしていたジュドルのもとに、ある日ステラがやってきた。
「ねえジュド、たまに来るキャラバンの人たちがいるでしょ?」
「あ? ああ、あの酒のんで騒いでる奴らだろ」
「そう。あの人達がね、親の許可があるならジュドをサニディンまで連れてってくれるって」
サニディンとは有名な硝子細工の町だ。
ずっと行きたいと焦がれていた町へ、連れて行ってくれる?
一瞬ステラの言っている言葉の意味が分からなくて、ジュドルはぱちくりと瞬きをした。
「……え?」
「うーんと、ウネウネの黒髪のおじさんがね、サニディンに顔が利く商人さんが知り合いにいるから、本気でやりたいなら工房に紹介するくらいはできるよって」
「ウネウネの黒髪のおじさん……」
手をうねうねさせながらステラが言っているのは、数ヶ月に一度村にやってきて商売をするキャラバンの男たちのことだ。
彼らはアントレルに来ると、昼に外から持ち込んだものと村の生産物の売り買いをして、そして夜は食堂で酒盛りをするのがお決まりだった。
酒盛りをしている彼らの荒っぽい雰囲気を怖がって他の子供達は近づかないのだが、ステラは毎度その酒盛りの席に潜り込んでは外の話を聞いている――というのはジュドルも知っていた。人懐こく好奇心旺盛なステラは、彼らからとても可愛がられているらしい。
そのウネウネの黒髪の……というのがどの男のことを指しているのかジュドルには分からないが、ステラを可愛がっている男たちの一人だろう。
「おじさんたちに聞いてみたの。硝子細工を作る職人になるにはどうしたらいいのって」
その言葉を聞いて、ジュドルは目からウロコが落ちたような気持ちになった。
確かに、国中を移動しているキャラバンの人間ならば、職人とも付き合いがあるだろうし、職人になる正確な方法も知っている可能性が高い。
外のことを知りたいのならば、村の中の大人ではなく、外から来た人間に聞くべきだったのだ。当然のことだが、ジュドルには全く思いつかなかった手段だった。
「えっとね、普通職人になるなら工房に弟子入りして修行するんだって。弟子入りするには直接行ってお願いするか、紹介が必要らしいの」
そこまではジュドルもなんとなく知っていた。だが、ステラはもう少し詳しい話を聞いてきたらしく、続けた。
「直接行く場合は自分の作品を持っていって見てもらうのが早いらしいんだけど、そうじゃない場合は何回もお願いしないといけなかったり門前払いされたりするみたい。ジュドの場合は作品を作る場所がなくって用意できないから、紹介があったほうがいいでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
いきなり現れた子供を弟子にしてくれるところなどそうそうないだろう、ということはジュドルにも分かる。紹介をしてもらえるのならばそれに越したことはない。
――問題は、なぜジュドルと付き合いのないキャラバンの人間がそんな口利きをしてくれるのだろうか、ということだ。
「俺、そのウネウネのおっさん知らないんだけど、何でそんな人が俺をわざわざ遠くの町まで連れていって口利きまでしてくれるんだよ」
眉をひそめたジュドルに、ステラは何でもないことのように軽く頷いた。
「ああそれね。もともとサニディンって、そういうふうにあちこちの村や町から人が集まって大きくなった町なんだって」
「?……そういうふうって?」
「えーと、ジュドみたいに、自分で硝子細工を作りたいとか、それを売るお店で働きたいとかいう人たちが集まってるの。家族に反対されて家出したり、遠くから来たりして住むところがないから工房住み込みで働いてるっていう人も多いんだって」
家を飛び出して職人を目指すなど、アントレルの中では信じられない話だが、外の世界では『よくある』ことらしい。
ステラはこともなげに話すが、ジュドルはカルチャーショックで空いた口が塞がらなくなってしまった。
「でね、ウネウネのおじさんも、旅しながら商売するのに憧れて、親の反対を押し切ってキャラバンに入ったんだって。だから、ジュドに本当にやる気があるなら応援したいってさ」
ジュドルのことを知っている大人たちはこぞって反対したというのに、ジュドルのことをちっとも知らないはずの大人が応援してくれるという。
じわりと胸の底が熱くなる。嬉しいけれど、喜んではいけないような、複雑な気持ちで歯を食いしばった。
「……やる気だけあったって、才能がなきゃどうにもならないだろ」
戸惑いの末に口から出てきたのはそんな言葉だった。
それを聞いたステラの頬がみるみるうちに膨らんだ。
「才能があってもやる気がなきゃどうにもならないでしょ」
「そういうのは屁理屈って言うんだよ」
ジュドルが両手でステラの頬を挟むと、ぶうというマヌケな音とともに空気が抜けた。ステラは頬を挟まれたまま、ふと真剣な目をしてジュドルを見つめた。
「私はジュドが物を作るのが好きなことも、意外と器用なことも知ってる。それに、本当に硝子細工が好きなことも。……別に無理に行けとは言わないよ。ジュドが村からいなくなったら寂しいし。だけど本当にやりたいなら、その道に進む方法もあるんだよって知っておいてほしくって」
その真剣な目と、急に目の前に拓かれた道と――。
あのときドキンと脈打った鼓動は、一体なにに対するものだったのか。
「……本当に……」
(職人の道に、進む方法がある……?)
無理だと思ったから、自分が諦めるための理由をたくさん並べていたのに。
かすれた声で呆然とつぶやいたジュドルに、ステラが慌てて付け足す。
「あっ、でも、黙って連れていくと今後アントレルで仕事できなくなるから、ちゃんと親の了解は取ってくれっておじさんが言ってたよ」
キャラバンは信用商売であるため、村の子供を勝手に連れ出すようないい加減なことはできない。逆に言えば、了解さえ取れればきちんと約束を守ってくれるということでもある。
しかし、「馬鹿なことを言うな」と怒った父と、困ったような顔をした母を思い出して苦い気持ちになる。
「親の了解……か。それは無理そうだな……」
「んー、キャラバンが次来るまでにはまだ時間があるから、おじさんたちとちゃんと話をしてみなよ。もしも次に間に合わなくてもその次のチャンスだってあるだろうし」
ね、と小さく首を傾げてステラがニヘッと笑う。
その顔を見て、肩の力が抜ける。
道はある。彼女が用意してくれた。――だから後は自分の覚悟だけ。
「……分かった。話してみる」
***
両親と何度も衝突して、なんとか納得してもらって村を出たのは結局それから一年経った後で、ジュドルが十四歳のときだった。
それから約五年。その間一度も、両親にもステラにも会っていなかった。
「ステラちゃん、今朝出発したんだって?」
「ああ、今日出るって言ってましたね」
作業の合間に暑い工房から出て日陰で涼んでいるところに、兄弟子がやってきて隣りに座った。
ゆるく吹いていた風が遮られてしまい、代わりに、離れているというのに相手の体温が熱気という形で伝わって来る。
ステラほどではないとはいえ、ジュドルも暑いのは苦手だ。思わず顔がゆがむ。
「そんな露骨に嫌そうな顔するなよ~。さてさて、ジュドル先生は幼なじみちゃんに告白したのかな?」
ニコッと笑う男に、ジュドルは盛大に顔をしかめた。
ジュドルはステラへの気持ちを全く隠せていなかったし、一方のステラの気持ちがジュドルに向いていないことは誰が見ても明らかだった。どうせ結果など分かっているというのに。
「……なんすか、分かってて傷をえぐりに来たんすか」
「可愛い後輩に僕がそんな意地悪をすると思っているのか?」
「思ってるから言ってるんですよ」
「可愛い後輩をからかいついでに慰めようと思ってるだけさ」
「からかいメインじゃん」
ジュドルが呆れ顔になると、兄弟子は笑いだした。
「ははは、それにエリンが心配しててさ。あいつまだお前に話しかけにくいっぽくって」
「……別に気にしなくていいんすけどね」
「どっちの気持ちも分かるからなんとも言えないな。とにかく、俺はすべての間を取ってお前をからかいに来たんだよ」
「結局からかいなのかよ……」
「まあ俺も心配してんだよ。言わせんなよ恥ずかしい」
「はあ」
「で、そんなに落ち込んでるなんて、どんなふうにこっぴどく振られたんだ? 『兄としか思えない』とか?」
「……お見通しじゃん」
実際ははっきり言われていないが、結局のところそのとおりだ。
アントレルは子供の人数が少ないため皆兄弟のように育ったし、無理もない。だが、ジュドルが凹んでいる理由はそこではなかった。
「っていうより……全然目がないっていうの分かってたのに、意外と自分が落ち込んでるっていう事実に落ち込んでるっていうか……」
「そりゃフラレたら落ち込むだろ、普通」
「いや、俺は硝子細工のほうが大事で村から飛び出したのに……なのにたまたま会って、ついでみたいに一方的に告ったわけだし、凹む資格もないっていうか……」
ぼそぼそと告げたジュドルの言葉を聞いた兄弟子は、憐れむような目をしてジュドルの肩を叩いた。
「あー、マジで好きだったのにちゃんと気づいてなかったんだな、お前」
「……」
「あのさ、大事なことが他にあってなにが悪いんだよ。片方を優先したからって、もう片方が大事じゃないわけじゃないだろ。凹む資格がないなんて誰が決めたんだよ」
それは――ジュドル自身だ。
彼女の気持ちが自分に向くことがないと知っていたから、そこまで大切な存在ではないと言い訳して自分を納得させたのだ。だから、傷つくことなどないのだと――。
「第一お前、『春』を作った時点で未練タラタラだろうが。誰がどう見ても特別な意味があるって分かるぜ?」
「……別に意識したわけじゃなく自然と頭に浮かんだから」
「どうでもいい相手のことは自然と浮かんだりしない」
「……っすね」
ジュドルは自分の生まれたアントレルがあまり好きではない。
豊かとはいえず、娯楽なんてなくて、閉鎖的で。
それでも『嫌い』ではないのは、あの風景の中にいつも彼女がいたからだ。
あの日、キャラバンの男たちから約束を取り付け、桃色の髪を揺らして自分のもとへと駆けてきた彼女の姿を、自分は一生忘れないだろう。
大事だった。大切だった。他の誰よりも。
――愛していた。
「はー……フラレて可哀想な後輩になんか飯奢ってください」
「ああ!? ……まあ仕方ねえなあ。いいよ」
「やった、じゃあ新しくできた向かいのレストランで」
「高級店じゃねえか!」
すかさず突っ込んだ兄弟子の声を聞きつけて、他の連中がわらわらと寄ってくる。
「おっ、なになに飯奢ってくれんの? 俺も行くー」
「来てもいいけどお前は自分で払え!! それと店は別のところだ!」
「ケチくせえなー」「うるせえ」と笑いながら小突き合うこの騒がしさが、ジュドルは割と好きだった。
今自分がこの場所にいられる幸福を、与えてくれたのは彼女だ。
それだけで十分――とは、まだ思えないが。
「じゃあ、めちゃくちゃ大量に食うために仕事頑張るかな」
伸びをしてニッと笑ったジュドルを見て、小突き合っていた男たちが少しホッとしたように笑った。
全く、おせっかいな奴らばかりだな……と、ジュドルは思わず笑いだした。




