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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
エピローグ
37/37

幸せの黒い猫

 年が明け、更に月日が流れ――梢と明莉は高校三年に進級した。

 今日はその始業式で、クラス発表の日でもあった。


「梢、やったね! わたし達同じクラスだよ!」

「はいはい。はしゃがない、はしゃがない」


 クラス分けが貼り出された掲示板の前では生徒達で賑わっており、その結果に一喜一憂している。


 梢は掲げられた親友の両手に、自分の両手をぱちんと合わせた。


「でも、よかった。別々のクラスだったら寂しいもん」


 明莉は朗らかな笑みを見せながら、飛び跳ねて乱れた髪を整える。

 彼女の耳の上あたりには、デフォルメされた黒猫の顔がデザインされたヘアピンがきらりと輝いていた。


「ま、そうだな。あたしも嬉しいよ」


 素直じゃない口ぶりで言うが、それが照れ隠しであることはもうバレている。梢はぽりぽりと頬を掻きつつ、はにかんだ。

 彼女のポニーテールの髪型は変わらない。けれどいまは飾り気のないヘアゴムではなく、猫柄のシュシュをつけていた。


 ささやかだが、いつも身につけていられる物を二人は交換していた。


「……うん、本当によかったよ……」

「どうした?」


 ふと明莉の表情に差す影に気づき、梢が訊ねる。明莉の目は掲示板に向けられており、誰かの名前を探しているみたいだった。


「やっぱり、皆瀬さんの名前はなかったよ」

「……ああ」


 三年のクラスのどの名簿にも、皆瀬佳奈の名は載っていなかった。

 皆瀬は転校したのだ。詳しい行き先は二人も知らないが、別の県ということだけは聞いている。


 公式に彼女の非行の数々が罪に問われたかは別にして、少なくとも彼女の両親はこの町にいられないと判断したということだ。


 また、それに伴い皆瀬が主導していたグループも自然消滅したそうだ。関わっていた少女達の中には、児童相談所の世話になっている子もいるらしい。

 体育教諭の浮田も懲戒処分となった。こうしてみると、皆瀬の悪意に関わった者は自業自得も含め、浅からぬ傷を負うことになったわけである。


 皆瀬に対する正直な気持ちを言えば、地獄に落ちろと梢は思っている。

 しかし、父親のことと同じで割り切ろうとしていた。決して忘れはしないだろうが、過去は過去として。


 いまは目の前を生きることに忙しい。

 それは明莉も同じだった。


「よお、お二人さん! 無事に一緒のクラスになれたみたいだな」

「あ、山岸くん」

「はっはー、何を隠そう、俺も一緒だぜ!」

「あー、あんたもいたんだ。っていうか暑苦しいのよ。あんたそんなキャラだったっけ?」

「これが本来の俺だっての。いつも木野内が素っ気ない返しばっかするからだ。これからは、もっと俺を知ってもらうぞ。もちろん門原も……」

「丁重にお断りするわ。行くわよ、明莉」

「わ! ちょっと! ご……ごめんね、山岸くん。またあとでね」


 ぐいと手を引かれるまま、明莉は愛想笑いをして駆け足となる。

 もう少し打ち解けてもいいのにともったいなく思うが、そのうち時間が解決してくれる予感はあった。


「梢って、やっぱり素直じゃないよね」

「はあ!?」

「山岸くんの手の怪我……謝ったんでしょ? だったら」

「それとこれと話は別よ」


 梢は明莉の手を離して振り返り、両手に腰を当てぐっと彼女に顔を寄せた。


「明莉こそ、やけにあいつの肩を持つじゃない。何か裏で言われてるんじゃないでしょうね?」

「もう、そんなわけないじゃない。心にもないこと言わないの」


 前言撤回。やはり前途多難そうだと、明莉は苦笑した。


「天然」

「へ?」

「明莉は将来、きっと魔性の女になるわ」


 何か不名誉な称号を与えられようだが、気のせいだろうか。梢のじとっとした批難の視線を受けて、明莉は首を傾げる。


「ま、いいや。山岸のアホのことはいいんだよ。そんなことより、今日は分かってんだろうな?」

「あはは……山岸くんには悪いけど、もちろん! わかってるよ」

「ったく、千香さんも気が利かないよな。画像くらい送れってのに」

「うん。こればっかりは同意だよ。わざとだよね、絶対」


 気を取り直して言う梢に、阿吽の呼吸で明莉が頷く。

 梢はスマホを出して、昨夜に千香から送られてきたメールの文面を忌々しそうに見つめた。


「とにかく、始業式が終わったら《黒猫》に直行だ」


 昨日の夜中に梢と明莉に届いた千香からのメールには、次のたった一文が添えられていた。




『産まれたわよ~(*^o^*)』




 まだ生後間もなく目も開ききっていない五匹の仔猫達は、ケージに敷かれた毛布の上でよちよちと手足を懸命に動かそうとしている。


《黒猫》二階の洋室で繰り広げられているその光景に、少女達はすっかり心奪われ、目を輝かせていた。


「……これは、一日中見てられるな」

「……だね」


 仔猫たちのすぐ側には、母親となった黒猫が寝そべっている。

 その首には、首輪の代わりにまだ真新しさの残るレースつきの赤いシュシュがつけられていた。

 それは明莉からの気持ちとして、クリスマスに贈った手製の品だった。


「それにしても、全然警戒してないな。やっぱりシュヴァルツは、変わり種だよ」


 梢が苦笑する。産後は警戒心も強まるというが、黒猫の様子は実に堂に入っていた。


 この事態が発覚したとき、「いったい全体いつの間に……」というのが《黒猫》従業員と関係者一同の感想だった。

 外への出入りは自由にさせていたため、そういう事もあるのだろうが、予兆らしいものはなかったように思う。

 最初に黒猫のお腹が大きくなっていることに気付いたマスターでさえ、驚きを隠さなかったくらいだった。


「ふふ、あまりじろじろ見てるとシュヴァルツも落ち着かないわよ。さあさあ、そろそろ二人にもお仕事も始めてもらわないとね~」


 自分はとっくに堪能したのだろう千香が二人を促す。か細い声で合唱を続ける仔猫達に後ろ髪引かれたが、千香に背中を叩かれて二人は《黒猫》の制服へと着替え始めた。


「明莉ちゃん、しっかりね。初日だからって、緊張する必要はないから」

「はい!」


 明莉は元気よく返事をした。

 この日、あの雨の日に貸してもらった制服は、本当に明莉専用のものになった。今日から彼女も《黒猫》の一員として働き始めるのである。


「門原明莉です。本日から働かせて頂くことになりました。えっと、至らないところもあると思いますが、皆さんよろしくお願いします!」


 ホールに降りて挨拶と共に一礼。新人アルバイトを暖かく迎え入れる拍手が起こり、明莉は頬を染めて微笑んだ。


「さてさて、働き手が一人増えたから、私も少しは楽させてもらえるかしらね~。梢ちゃん、しっかりお仕事は教えてあげてね」

「はいよ。というわけで、あたしが教育担当ね。厳しくいくから覚悟するように」

「お、お手柔らかにお願いします」


 そんな風にかしましくなる女性陣を見守りつつ、マスターは珍しく控えめに声をあげて笑っていた。


「これでまた、店が賑やかになりますね」

「ええ、まったく。ところでマスター」


 同調して笑う城森が、マスターに水を向ける。


「シュヴァルツの子達は、どうするつもりなんすか? 流石に全員の面倒を《黒猫》で見るわけにはいかないっすよね?」 

「そうですね。常連様に里親になってくれる方はいるでしょう。もう、何人か候補は見つけていますから……」

「はいはい! マスター! その話ちょっと待って!」


 と、二人の会話を耳ざとく聞きつけた梢が、勢いよく割り込んできた。


「あたし高校卒業したら一人暮らしするつもりなんだよね。そしたら、絶対ペット飼えるところにするから! ね、だからマスターお願い!」

「お気に入りの子がいましたか?」

「うん! シュヴァルツ似の黒い子!」

「やはりそうですか。ええ、構いませんよ」

「わ、梢いいな~。ずるい……」

「へへ、明莉も悔しかったら一人暮らししろよ」

「そんな簡単に言わないでよ~」


 喧々囂々、話が転がり続ける。

 やがてそれぞれが持ち場に戻り始めた頃、カランと来客のベルが鳴る。



「――いらっしゃいませ。喫茶《黒猫》へようこそ!」



 そして少女二人の明るい声も、温かな空間に重なり響く。


 未来これからを思うその声は、溢れんばかりの幸福に満ちていた。

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