黒猫の願い事(4)
そしてやってきた日曜の午前中に、梢と明莉は《黒猫》を発った。
目の覚めるような青空には雲一つなく、太陽が白く照り輝いている。冬にしては暖かく、昼になればもう少し気温も上がると思われた。
梢はいつものようにセーターとジーンズと機能性を重視したカジュアルな格好の上に、ベージュのダッフルコートを着ていた。
明莉は梢とはやはり対照的であり、ボリュームのある袖のニットに、レーススカートと白を基調にした服に黒いショートブーツを合わせている。
「梢は何を買うつもりなの?」
「それを言ったら楽しみがなくなるだろ」
二人は電車で市内を移動して、大型ショッピングモールのある繁華街を目指した。
身内のお遊び的なパーティではある。高校生の身の上で高価なものも買えないが、やはりせっかくなので色々と見て決めたいという思いもあって足を伸ばす形となったのだ。
休日の車内はそれなりに混み合っており、互いの口数も自然と少なくなる。明莉は車内にいる人々の顔をなんとなしに眺めながら、この人達はこれからどんな予定なのだろう、と益体もないことを考えたりもした。
「おい、明莉。ぼうっとしてんなよ」
「え……わっ」
停車する震動でふらつく明莉の肩を梢が掴む。降車時の人波にのまれないよう引き寄せられてしまい、思わず明莉は赤面した。
「あ、ありがとう」
「ったく、ガキじゃねえんだから……次の駅で降りるんだからな?」
結局電車を降りるときも、明莉は子供みたいに梢に手を引かれてしまっていた。
駅からショッピングモールは程近く、大半の人の流れはそちらへ向いている。梢と明莉もその流れに加わって歩道を進む。
なんとなく手を離すタイミングを逃してしまい、二人は目的地に着くまで手を繋いだままだった。
吹き抜けの構造となったモールは、一目見て退屈しそうになかった。
食料品や生活用品を主に扱う一階には人が溢れそうで、家族連れが多い印象だった。流れるBGMを雑踏が掻き消しており、幼児特有の大きな声もどこからともなく聞こえてくる。
「迷子になるなよ。お呼び出しなんてゴメンだからな」
「ならないよ。もしはぐれても携帯があるじゃない」
「あぁ、そりゃそうだ」
適当な軽口をたたき合ったところで、梢はこれからの方針を決めにかかった。
「先に昼にするか。何か食べたいものある?」
「そうだねぇ……。予算的に考えると――」
真剣に考え込んだ末に、三階の飲食店が並ぶエリアにあるカフェにした。全国展開もしている店で、お値段も優しいのが決めてである。
「うーん……、コーヒーの味は《黒猫》の方が美味いな」
「あ、あんまりそういう事は言わない方が……」
ホットコーヒーをちびちびと冷ましつつ、梢と明莉は他愛のない話に花を咲かせた。穏やかな時間に自然と頬も緩んでいる。
大切な人と一緒に笑顔になれる幸福を、明莉は噛み締めていた。
「さて、そろそろ出るか」
スマホで時間を確認した梢が切り出し、互いに席を立つ。エスカレーターで降りた先の二階が雑貨店や服飾店を中心としたフロアであり、今回の主目的である。
「ね、どこから見て回ろうか?」
カラフルで遊び心もあって楽しそうな店。大人っぽくてちょっと敷居が高そうな店。どこの店も個性があり、明莉は目移りし始める。はしゃぐ子供を宥める親のように、梢は笑った。
「ま、とりあえずぐるっと一回りしてみようぜ。時間はあるから、慌てなさんなって」
「うん!」
その後、雑貨店で小物やアクセサリーを見てみたり、アパレルショップでは気の進まなさそうな梢を着せ替えしてみたりと、明莉は思う存分休日の一時を堪能した。
「やれやれ、これじゃこっちの身が持たねえな」
「え? そんなに?」
広い通路に据えられている休息用のソファの一つに腰を下ろし、梢がどっと息を吐き出す。彼女の隣に明莉もちょこんと腰掛けて、心配そうに眉をひそめた。
「ちょっと人に酔ったかも。ま、問題ないよ」
高い天井を仰いで深呼吸してから、梢は苦笑して明莉を見た。
「そうだ、丁度良い。一通り見て回ったことだし、ぼちぼちプレゼント選びを始めようぜ。あたしはもうちょっと休憩したら動くからさ。ここで待ち合わせってことで」
「それって、別々に行動するってこと?」
「お互いに何買うのか見てたら、楽しみがなくなるって来る前も話しただろ?」
「そうだけど……」
「じゃ、決まりな。選び終わったら連絡して、ここで落ち合おうぜ」
「……絶対だからね? ちゃんと連絡してよ?」
不安げに瞳を揺らす明莉の頭に梢の手が置かれる。半ば強引に言い渡されて、仕方なく明莉は念を押しながら梢の意見に従うことにした。
とはいえ、明莉は買う物を既に決めていたため迷うことはなく、少しだけ予算と相談する必要はあったが、雑貨屋と衣料品店を回って無事に目的を果たした。
明莉が休憩場所に戻ると、まだ梢の姿はなかった。宣言通り彼女もプレゼントを見繕っているところなのだろう。メッセージを送ると、『あと十分くらい待って』と返信があった。
手持ち無沙汰になった明莉は、さっき梢が座っていた位置に座って待つことにした。
目の前を通り過ぎていく人々の姿を眺め続け、ちらちらと時間を確認しているうちに、あっという間に十分が過ぎる。
そして、まだかなと背筋を伸ばし、明莉が周囲に梢の姿を探し始めようとした時だった。
「キミ、ひとり?」
囁くような低音の声が明莉の耳をくすぐった。驚いて正面を向くと、目の前には薄く微笑む顔があり、明莉は心臓が止まるかと思った。
その人物は、赤いメタルフレームの眼鏡をかけており、目元を隠すようにハンチング帽を深く被っていた。紺色のマフラーで顎から下の顔のラインは隠れているが、顔立ちは細く綺麗なように思える。
「可愛いね。誰かと待ち合わせ? 暇ならちょっと付き合わない?」
「え……いや、もしかして、わたしに言ってます?」
どう考えてもそうなのだが、気が動転した明莉はそんな台詞を口走っていた。
言いながら、これはナンパというやつなのではと遅まきながら気がついて、ぶわっと変な汗が出そうになる。
じっと見つめられて目を逸らす。と、そこで視界に映ったその人物の服装を見て、明莉はしばし固まった。
地味目のセーターとジーンズ。片腕には脱いだダッフルコートが掛けられている。妙な既視感……というより、その服装はついさっきまで、ずっと彼女の隣にいた人のものだった。
「…………梢?」
「く……はは。さすがに気付くか」
声色を使うのをやめたその人は、ハンチング帽を脱いで中に収めていた茶髪を下ろした。顔を隠すようにしていたマフラーも取り、種明かしをするみたいに両手を広げて肩を竦める。
「も、もう! どういうつもり!? ほんとにびっくりしたんだから!」
地声がハスキーなせいもあったが、梢の演技に一瞬でも男の人だと騙された自分が恥ずかしい。
安堵と怒りと羞恥がごっちゃになって、何を優先すべきか判らない。ともかく抗議の声を上げる明莉だった。
「悪い悪い。ちょっとした悪戯というか、実験というかだな」
「実験?」
「ああ。一応、ぱっと見だとあたしだって判らなかっただろ?」
「……うん。それは、そうだね」
明莉はまだ納得しきっていない顔で頷く。事前に梢の服装を知っていたから判ったが、人混みに紛れて近付かれるまで彼女の存在に気付けなかったのは事実だ。
それを考慮すれば、服装まで変えられた場合に見破れるか、明莉にも自信は持てない。
しかし、だから何だという疑問が浮かぶ。梢は実験と言ったが、こんな変装のような真似に何の意味があるのか。
……変装?
「ところで明莉、プレゼントは買えたか?」
「え? あぁ……うん。買えたよ。……わざわざ悪戯を仕掛けるくらいなんだから、もちろん梢も買えたんだよね?」
明莉は胸を焦がすような予感を覚えたが、梢に快活な笑みを向けられて我に返る。皮肉をぶつけると、梢は「そう怒るなよ」と更に笑って明莉の隣に座った。
「あたしの方も終わったよ。だからまあ、あとは帰るだけなんだけど……その前に、少し付き合ってくれないか?」
明莉は目を瞠った。
不意に、求めるように伸ばされた梢の左手が明莉の右手に重なっていた。その指先は微かに震えていて、彼女の横顔もまた深刻な影を刻んでいたのである。
「付き合うって、どこに?」
「ああ……」
その明莉の問い掛けに、梢は己の中の黒い感情を押し殺すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「個人的な話だ。これから、父親に会いに行こうと思う」




