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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
四章 少女達の戦い
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少女達の戦い(11)

 そして――明莉の起こした行動に対する周囲の反応は、実に単純なものだった。



 ――たとえ過去に罪を犯していたとしても、梢は友達だ。悪く言わないで欲しい。



 その明莉の表明に、もうずっと沈黙し続けていた彼女の煮え切らぬ態度に噴出寸前だった周囲の不満は、見事に爆発した。

 沈黙は肯定だと、さんざん梢を罵っていた生徒達は、突然手のひらを返されたと明莉を責めた。まだ同情的だった生徒達も、どうしてそこまで梢を庇うのかと、理解不能なものへの嫌悪を隠さなかった。


 しかし何を言われようと、明莉は吐いた言葉を撤回しなかった。冷たい現実を前にしても、席に座り膝の上で拳を握り締めて、あらゆる罵倒も同情も耐え抜くその姿に周囲が思わずたじろいでしまうほどに、本気だった。


「アカリ、やってくれたわね」


 紛糾する教室の中心となる明莉の前に、当然のように騒ぎを聞きつけた皆瀬は不敵な笑みとともに現れた。


「木野内さんは、あなたにとってよっぽど大切なのね。いいわよ。このまま木野内さんが潰れてくれても良かったけど、あの子思ったよりもずっとしぶとそうだし……あなたを使わせてもらうわ」


 これも皆瀬が描いていた数ある筋書きの一つでもあったのだろう。言葉とは裏腹に、彼女はこの状況さえも歓迎しているようだった。


「――クソが! 離せよ! 離しやがれッ!!」

「ほら、お友達を連れてきてあげたわよ」

「……梢!」

「こうなったのは、あなたのせいだからね?」


 明莉に責任をなすりつけるように言い放ち、皆瀬は多くの生徒に囲まれながら教室に連れ込まれた木野内梢を出迎えた。


「よく来てくれたわね、木野内さん」

「何様のつもりだよ! てめえ!」


 敵意を剥き出しに梢が雄叫びをあげる。爛々と煮えたぎる鋭い目に怯える生徒達もいたが、それは檻の中にいる猛獣を見ているようなものだ。

 誰もが安全圏から見世物として、梢の動向を楽しんでいる空気さえ感じられる。さしずめ梢と対峙する皆瀬は、調教師とでもいったところか。


「何で呼ばれたかわかってるでしょ? この子があなたを友達だって言って聞かないのよ」

「だったら何だってんだよ。そいつが勝手に言ってるだけだろうが」

「冷たいのね。でも、みんな知りたいと思うのよ。木野内さんとアカリが、本当に友達なのかってね」

「だから知るかよ! そいつとは友達でもなんでもねえ。これで満足か」

「……だそうだけど、どうなの?」


 もはや梢と同じような扱いで、明莉は集団の中――梢の前へと突き出されていた。

 梢は苛立ちを募らせた目で明莉を睨んでいる。それでも明莉は動揺を見せず、静かに、はっきりと首を横に振った。


「嘘だよ。梢はわたしの一番の友達だよ」

「お前……まだそんな!」

「ごめんね。こんなことになっちゃって……梢を巻き込んで、謝ってすむことじゃないと思う。でも、黙っていることも、嘘をつくこともしたくない」


 梢が何をされても黙っている理由は、もう明莉にだってわかっていた。 

 出逢ってから、ずっと守られっぱなしの関係。いまだってそうだ。

 梢が何も反撃しないのは家庭の問題だけじゃない。自分が悪者になって、守ろうとしてくれているのだ。

 そんなことは、とっくに理解している。


 でも、明莉にはもう我慢ならなかった。


「ねえ! みんなどうして笑っていられるの!?」


 他人の本音を否定する権利なんて誰にもないのに、どうして周りに合わせないといけないのか。

 大きな居場所なんて必要ないのだ。誰に認められなくてもいい。

 自分の本音だけを守れる場所があれば、ただそれだけでいいのに、どうして周りはその邪魔をする。


「どうして他人の居場所を簡単に奪えるの!?」


 人を傷つけても、平気で笑える人間がいる。

 自分が傷ついてでも、他人を守ろうとする人間がいる。


「もうお願いだから、わたし達のことは放っておいてよ!! お願いだから……!」


 どちらが多数で少数でも、善でも悪でも構わない。

 互いに相容れないものならそれでいい。ならせめて関わるなと叫びたかった。


 決死の叫びが響き渡り、どよめきがさざ波のように教室に広がっていく。

 その奥から、少女の願いに応えるように男子生徒の声があがった。


「なあ、もうこんなことやめようぜ。よってたかって、よくねえよ!」


 声の主が誰であるのか、明莉にはすぐにわかった。梢を見ると、彼女も理解したのか微かに目を瞠っている。


「中にはちゃんとわかってる奴だっているだろ!? くだらないって思うならやめればいいんだよ! 嫌な気分になるようなこと、周りに合わせてすることなんてねえんだって! それでいいじゃねえか!」


 どよめきから徐々に「そうかも……」「じつは俺も……」と主張を肯定するような声が聞こえ始める。それは場の半分にも満たない声だったが、確実に状況を変える波となり、明莉の心を勇気づけた。


「梢、ダメかな? あなたと友達でいたいって思うわたしを、許してくれないかな……?」

「…………あたしは……」


 訊ねる明莉に今度こそ即答できず、梢は言葉を詰まらせていた。

 言葉は届き、迷ってくれている。その後押しをするように、明莉はさらに口を開こうとした。

 しかし――


「何それ、つまんない」


 全ての流れを断ち切る、凍えた刃のような声が振り下ろされる。

 ぴたりと教室の騒ぎが静まり返る。言葉を放った張本人の皆瀬は、能面のように無表情だった。


「あーあ、とんだ茶番になっちゃったわね。でも、ダメよ。まだ終わらせたりしないんだから」


 周囲からは、この騒ぎを演出した元凶である皆瀬への批難の色も出始めていた。だが、自身の金髪をくるくると指で巻き取るように弄っていた少女は、そんな身勝手な他人の評価など我関せず、むしろそれを煽り返すように両手を広げて声を上げた。


「みんなー、安っぽい友情物語に感化されて勘違いしちゃってるみたいだから、再確認しとくね。木野内さんは人殺しだよ? そんな奴が私たちと同じ学校にいるのを許していいわけ?」


 いったいどこから湧き出てくるのか、自信に満ちた朗々とした皆瀬の語りに動揺の波が生まれる。何より、人殺しという言葉の効果インパクトは絶大だった。


「嘘をつかないで! 梢は人を殺してなんかいない! 皆瀬さんが見せた記事にだって、どこにもそんなことは書いてなかった!」


 すかさず明莉も言い返す。真実を知った彼女にとって、反論するのに恐れることはなにもなかった。


「だとしても、人を刺したのは間違いないんでしょ? 違うの?」


 しかしそれでも皆瀬は怯まず、吐いた言葉を撤回しなかった。


「ねえ、どうなの? アカリはお友達だから平気みたいだけど、そんな人と一緒にいるのって普通は気持ち悪いよね。いつ自分が同じ目に遭わされるんじゃないかって不安になるよねえ?」


 口を裂く皆瀬の姿が、明莉には自分を丸呑みにせんとする化け物に見えていた。

 彼女の掲げる理屈がまるで解らない。解りたくもなし、納得できる理由などあっていいはずがない。こんな考え方をする人が同じ人間だなんて信じたくなかった。


「アカリ、最後のチャンスをあげるわ」


 そう言って、皆瀬は懐から何かを取り出すと、明莉の足下に放り投げた。

 からんと転がる細長い形状のそれは、真新しい光沢を放つカッターナイフだった。


「何のつもり……?」

「それでそこの犯罪者を制裁するのよ。あなたがやるの。そしたら、今日のあなたの行いは全部水に流すわ」

「ふざけないで! そんなの嫌に決まってる!!」


 明莉は床に転がったその凶器にぞっとする。

 それは周りも同じだった。「さすがにやりすぎだろ……」と動揺を隠さぬ声も漏れ聞こえる。


「あら、やりすぎって思う? みんな血を見るのは嫌なのね。でも、変だわ。いままでだって、散々傷つけているくせに目に見えるとなると急に怯え出すなんて。アカリも、木野内さんもそう思わない?」


 周りの反応に期待外れだと言わんばかりに、皆瀬は哄笑を放った。


「心ない言葉をぶつけて、傷つかないわけないじゃない。あなたたちが今までやって来たことってそういうことよ? いまだってアカリと木野内さんが、こんなに綺麗な血を流しているのに、見えないなんておかしいわよね。善人気取りで、ホント……みんないい偽善者っぷり!」


 その言葉は明莉と梢を庇うものなどではない。周囲が感じ始めようとしていた罪悪感を掻き毟り、抉り出すものだった。これでは、この場の全員を敵に回すようなものである。


「…………もういいよ、皆瀬。あんたがあたし達を潰したいってのは、よくわかった」


 その皆瀬の薄気味悪さが恐慌を煽ろうとしていた、その流れを切るように梢が動いた。


「あんたの悪意は毒だよ。そんな迷惑なもんとっちらかしてんじゃねえ」

「梢……何してるの!? ダメだよ!」


 明莉が悲鳴を上げる。梢はカッターナイフを拾い上げ、あろうことかギチギチと刃を出そうとしていたのだった。


「明莉。あんたはよくやったよ」


 久しぶりに梢の口から名前を呼ばれた気がしたが、そんな感慨は耽る間もなく明莉の中から消し飛んでいた。

 仇を見るような眼差しで皆瀬を睨む梢が、カッターナイフを握る手に力をこめる。


「でも、こいつはダメだ。世の中にはどう足掻いたところで、話し合いが通じない奴がいるんだよ。ほんと迷惑だよな。こっちは関わりたくないってのに、狭苦しい檻に入れられてるせいでそうもいかねえ」

「木野内さん、それで? あなたが拾ったそれで、私を刺してくれるの?」

「あたしは人殺しだからな。一人やるのも、二人やるのも一緒だろ。やってやるよ」

「梢! やめて!!」


 身を挺して止めようとした明莉だったが、梢はカッターナイフを持たない方の腕を振り払って彼女を押し退ける。次の瞬間には、梢はもう皆瀬に突進していた。


 折り重なる悲鳴に教室が震撼する。


 梢はカッターナイフを突き出した姿勢で固まっていた。

 刃の先端は薄く血が滲み、その真横には皆瀬の顔がある。


「てめえ……! どこまで!!」

「前にも言ったはずよ。喧嘩する気はないって」


 皆瀬は頬に刻まれた傷を、薄ら笑いで歪めていた。彼女は抵抗するどころか、むしろ自ら頬を差し出したのである。あわや目を突き刺しかけたところを、梢が咄嗟に刃の向きを変えたのだ。


「やるならやりなさいよ。私は手を出さない。絶対にね」


 寸前で止めるつもりだった刃の手応えに、梢の声は動揺に震えている。

 その弱みを、隙を、皆瀬は決して逃しはしなかった。


「やってみなさいよ人殺し! こんなことくらいで私がビビってやめると思った? 残念だったわね! やめるかよ!!」


 固まった梢の手を怪物の両手が鷲掴みにする。そして刃の先を、己の喉に突きつけるように誘導した。


「私が生きてる限り、何度だってあなた達を追い詰めてやるよ! 他人の人生をめちゃめちゃにするなんて最高の遊び、楽しくてやめられるわけないじゃない! さあ、やれよ! ここで私を殺して、あなたの人生も終了ってね!」

「……この!!」


 手を引こうとする梢だったが、がっちりと掴まれて離せない。それどころか次第に前に引き寄せられていき、梢の表情は見る間に青ざめていった。


 たった一歩でも踏み違えれば取り返しのつかない状況に、誰も手を出すことができなかった。


 間もなく刃の先端から柔い皮を裂く感触が梢の手に伝わり、両眼に玉のような赤い雫が浮き出る様が映し出される。


「あぁ――」

「バカ野郎ッ!!」


 梢の気が狂う、その直前――


 野次馬の壁から猛然と飛び出した山岸が、両者の間に巨体を突っ込ませていた。彼は加減など考えずに両腕を振って皆瀬を梢から突き放し、梢にも同じようにしてその手からカッターナイフをむしり取る。


「門原! ぼさっとしてんじゃねえぞ!!」

「――! 梢っ!!」


 弾かれたように明莉は起き上がり、尻餅をついた梢に背中から抱きついた。

 逃すまいと必死だったが、すでに梢は放心状態で動く気配はない。


「もういいよ。大丈夫、大丈夫だから……こんなこと、もうやめよう?」


 小刻みに震える梢の両手を、自分の両手で包み込む。堰を切ったように入り乱れる怒号と叫喚さえも、いまは耳鳴りのように思えた。


 時が止まったような感覚のなか、ずっと明莉は梢の手に温もりを重ね続けた。

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