『とりあえずホットケーキ』が合言葉になるまで
彼が眠る場所に朝日が差す。
「おはよ。今日の朝ごはん何にしよっか。とりあえずホットケーキ?」
私は笑って訊けるようになっていた。
十三年前
小学校の調理実習はホットケーキだった。
班で一番手だった私のは、しっかり焼こうとしてとても濃い茶色になってしまった。
「黒コゲじゃん」
「うううるさいなっ、ギリ黒じゃないし!」
「じゃあ、とりあえずコレでいいよ」
後の自分の方がキレイに焼けたのに、焦げた私が作った方を食べだす同じ班の男子。
食えるじゃん、と完食したのが彼だった。
六年前
今日で見納めの制服を見せに行った。
「一緒に受け取ってきたよ」
「あんがと」
卒業証書を手渡した腕は、私よりずっと細くなっていた。
「実感ないなぁ」
「私も。将来のこととか考えたら実感湧くかな」
「将来なんて……」
「何でもいいじゃん。ほら、治ったら何食べたいとか」
それなら、と片腕に繋がる点滴の管を見て、彼は願望を口にした。
「とりあえずホットケーキ。お前が焦がしたの」
「もう焦がさないし!」
あれからめちゃくちゃ練習したのを彼は知らない。
「目赤くない?」
「卒業式だもん」
もう涙は枯れ果てて、空笑いが得意になっていた。
三年前
その頃には彼と未来の話をしなくなっていた。
「緊張してる?」
「いや、もうあと少しだし、なんかもうどうにでもなれ的な感じ」
なにもかも通り過ぎて悟ったようなのが腹立たしくて、彼の眼前に突き付ける。
「結婚しよっ、婚姻届も準備してきた!」
「用意周到すぎ」
証人も埋まってるじゃん、と彼は感心する。残すは彼の名前の欄だけ。
「なんで今」
「今だからだよ」
夜間受付もあるから届出をだせば今夜中に夫婦になれる。本当に出すのか半信半疑で彼は名前を書いた。
「これで私たち夫婦じゃん。こんな可愛い奥さん一人にしたら許さないから」
睨んだのに、おまいうと爆笑された。
「俺だけの家族がいるんじゃ仕方ないな」
ひとしきり笑ったあと、彼は足掻くと誓ってくれた。
キレイなキツネ色のホットケーキを焼きあげてテーブルにおく。
「おお、上手になったじゃん」
問いかけに、正解、と答えた彼の要望通りの朝食だ。
「うん、うん……」
「もー、また泣く」
俺の奥さんは泣き虫だな、と彼が笑う。一緒に迎える朝が嬉しくて堪らない。
「うまいっ、マジ毎朝コレでもいいレベル」
「でしょう? いくらでも作ってあげるよ、これから」
とりあえずホットケーキが合言葉になるぐらい、毎朝作ろう。飽きるぐらいの未来が待っている。






