59 オレは彼女だけの英雄
オレはまじまじとマリーを見返した。
一番よく知ってくれている人が、そんなこと言うなんて……。
「あ。そういう意味じゃないの。いわゆる国を救ったとかそういうのじゃね」
「じゃあどういう意味?」
オレの声は少しとがっていた。
「再会して、部屋でふたりきりになった時、あんたがさ、あたしの肩に上着をかけてくれて、それから、ぎゅっと抱きしめてくれたから」
「……それだけ?」
「それだけ」
「たったそれだけで……?」
オレはあの時、何も考えずにそうした。
学園時代、何度もそうしたように。
「あんたは言ってくれたの。あたしは覚えてる。『これからもきっと、マリーが寒そうだったらオレは、同じようにする。何度でも何度でも』って」
あの時の感触がはっきり思い出せる。
マリーは熱くてやわらかくていいにおいがして、オレの知っている限りの一番ステキがみんな詰まっているみたいだったのを。
「ああ……覚えてる」
この人は大事な人で、世界で一番大事な人で、2度と離したくないと思ったのを。
今は、あの時よりも、もっと強く強くそう思っている。
「あれでね、あたしは救われたの。あたしには、寒そうだったら、上着をかけるくらいの価値があるんだって」
「そんな大げさな……」
寒そうだから、上着をかけて、抱きしめる。
大切な人相手なら、誰でもがしていることだ。
マリーは首を振った。
「一年半ずっと、体以外はなんの価値もない……しかも、その価値だって、男が遊ぶのに具合がいいだろうから……周りからそういう風に扱われて来たんだよ……いつのまにか、自分の身体が気持ち悪くておぞましくなってた……」
夕日に染まった王都の広場は、春のはじめの気配であたたかかった。
だけど、オレ達のテーブルだけ、温度が下がっていくようだった。
「こんな身体じゃなかったら、がね……こんな身体だから、に変わっていくの……こんな身体をしている自分が悪いんだって……あそこの部屋にいた女は、みんなそういう風に壊されていったんだよ……」
だから、マリーは、第三室の女の同僚たちに関して、許せないのに同情もしていたんだ。
「再会した時、ヒースにもそういう風に見られるんだって思った……だって、あたしのこと、見ないようにしているのに見るんだもの……あたしの男を誘うふしだらな体に反応してるんだって……もう、あたしは、ヒースにとってもそういう女なんだって……もう、マリーとしては見て貰えないんだって……」
再会した時。
マリーは、あのデブの愛人なんだと思った。
なにもかも変わってしまったんだと。
オレと一緒に勉強したり、ひもじい思いをしたり、結婚しようと言ってくれたマリーは、どこにもいないんだと。
だけど、もしそれが事実だったとしても。
オレは、あの時、寒そうなマリーに上着を掛けただろう。
「それを全部吹き飛ばしてくれた。光がぱぁっと差したみたいだった」
マリーの顔は晴れやかだった。
下がっていた気温が、パッとほころんだみたいだった。
大したことじゃない、とオレはすぐに言う。それは謙遜じゃない。事実そうだからだ。
でも、彼女にとっては、大したことだったのだ。
「……これからも寒そうだったら、何度でも同じことをするさ」
考えるまでもなく、そうするだろう。
「もちろん、あんたが寒そうだったり、風邪ひきそうだな、って感じたら、あたしもするよ」
『どぶろく亭』で徹夜勉強してた時、そういいうことが何度もあったな……。
「じゃあそのうち、マリーがオレの英雄になるね」
「あはは。そうかもね」
でも、もしかしたら。
「オレがとか、そういうわけじゃないけど……英雄っていうのは、そういうものなのかもな……」
「そういうものって?」
「国が滅びそうじゃなければ、国を救う英雄は現れないだろ」
「そりゃそうね」
「いくら腕に覚えがあっても、知略がすごくてもさ。平和だったら英雄になる機会がない」
「それは、確かに」
「英雄っていうのは……英雄になろうと思って英雄になるんじゃなくてさ」
そういう人もいただろうけど。
「たまたまその時にその場所にいて、その行動ができた人間にすぎないのかもしれないな……」
オレは英雄なんて柄じゃない。
仕事を愚直にするしかできない、つまらない平凡で凡庸な男だ。
そんな人間が、時と機会に恵まれて。
好きな人の英雄になれたのなら、上出来だ。
「……オレは、マリーの英雄になれてよかった」
国を救ったとか言われるより、すごいことな気がした。
マリーがおどけたように。
「あたしの英雄さん。これからもよろしく」
「こちらこそ」




