91話 展示室『赤の目覚め』(前)
園遊会まで三週間。
クロルたち三人は、朝から馬車に乗り込んでいた。彼らが着ているのは、ポレル私兵団の制服。展示室『赤の目覚め』の下見に行くのだ。
表向きは、私兵団として警備や防犯の現場確認をするのだが、その裏には盗賊として窃盗計画を立てるという目的がある。
そして、さらに裏を言えば、騎士として捕縛計画を立てるという本当の目的がある。裏には裏があるということだ。
窃盗計画と捕縛計画。その二つを決めるのが、今日という重要な日。だというのに、目の前に座るトリズは、なにやらイライラしている様子だった。今日だけでなく、ここ一週間ずっとイライラトリズだ。
「(イライラ)」
「……トリズ、どうした?」
「え、今さら聞く? もっと早く聞いてくれる~? 先週から、ずぅぅっと聞かれるの待ちだったんですけど?」
「うん。『察してトリズ』だったのは、分かってる。正直、ちょっと面倒で放置してた」
さすが放置プレイの権化は、放置がお上手。一週間前のフィッティングルームの件だって、さっさとカーテンを開けちまえばいいっていうのに、彼女を放置していたわけで、ホント最低な男だ。性癖って厄介。
いや、性癖なんかじゃない。彼だって心が潰れるほどにツラかったはずだ。あの晩は一睡もできずに、彼女の寝顔をずっと見ていたという事実など、到底書くこともできやしない。あぁ、もどかしい! 重苦しい!
「え? 僕を放置~? あはは、それ愉快だね~」
しかし、今回の放置相手はトリズだ。笑みを深めて蹴り一発。ドスンと重苦しい音がした。本当に愉快だ。
「いっっ……ってぇな! 蹴りが強い!」
「そういうとこ直した方がいいよ~? これだから、イケメンはヤダヤダ。女の子が放っておかないから、逆にバイアスかかっちゃって、放置癖が付いてるんだよ。そうやってアグラをかいていればいいさ。いつか足下すくわれて、ある日突然、好きな子が他の男と結婚なんかしちゃって、『あの子の本命は俺なんだけどね』とか強がりながら、毎晩赤色のクッションを抱きしめて、一生後悔する人生を歩めばいいと思う~」
「俺の人生への当たりも強い」
予言者だろうか。
そこで、ふわっと柔らかい声が間に入る。
「トリズさん、何かあったんですか?」
「ソワちゃんも聞いてよ~。サブリエの宿屋から引っ越したし、先週なら自由に動けると思ってさぁ。彼女に会いに自宅に向かったんだよ。なかなか会えないし、僕も溜まっちゃってて~」
「あらまあ、大変。そんなにストレスが、」
「レヴェイユ、お前は黙ってろ。……トリズ、まさか尾行された?」
トリズは「そのまさかだよ~!」と言って続けた。
「カドランなんて不吉な名前を使うんじゃなかったよ~。コゲ色アジトを出た時は大丈夫だったのに、途中で口紅を買おうと店に寄ったら、そのときにサブリエのやつに見つかったみたいで。いつの間にか、エタンスが張り付いてた……。僕は自宅でいくのを泣く泣く諦めたんだよ。ねぇ、そのときの僕の気持ちがわかる? ただ気持ち良くなりたかっただけなのに~」
「ゴホンゲフン! あー……その割には、あの日、帰宅が遅かったよな? 何してたんだよ?」
「荒ぶる少年トリを演じるためだけに、違法賭博場にいってた。爆勝ちした」
「おー、すげぇじゃん」
「バカクロル! お金なんかいらないやい! そもそも違法だから、騎士団に全額譲渡だし。僕はね、賭けなんかやりたくないんだよぉ! やりたいのは彼女の」
「トリズ、気持ちはわかった。俺が悪かった。これからは放置せずに、ちゃんと話を聞く。まじでごめん。直接的なワードはここでは、ちょっとごめん」
「あ、そう? じゃあ、今夜よろしく~。コゲ色アジトのリビング集合ね!」
「はい、わかりました(敬語)」
クロルブロックが発動したところで、王城に到着。紫色の制服を着たエタンスと、案内役の文官デュールと合流した。お仕事開始だ。
展示室『赤の目覚め』
百年経っても絶大な人気を誇る、アンテ王女。その亡骸は『赤の目覚め』の地下深くに眠っているとか、いないとか。
赤は、アンテ王女のシンボルカラー。目覚めは、王女が残した有名な言葉、『人々よ、目覚めなさい。他者を愛し、自己の心を自由に解き放つのです』から取られた。
彼女は、美貌の姫として有名であったが、その一方で、自由を愛する女性として革命的な意志を持っていたことでも知られている。
クロルとデュールが仲良しであるように、今でこそ貴族と平民の垣根が低く、同じ食事を取り、同じ場で会話を楽しむようになっているが、百年以上前は非常にギスギスした関係であった。
平民と貴族。対局にある二つの存在に橋をかけたのが、アンテ王女だ。一方の心に自由を与え、もう一方には他者を愛する心を教えた。
そんな王女が肌身離さずに持っていたとされる、赤い文字盤の懐中時計。今では、愛と自由の象徴として扱われている。
今の穏やかな日常の尊さを伝え続けていくために、五年に一度だけ、展示室『赤の目覚め』に飾られる。それが、今年の秋の園遊会だ。
展示室は、王族専用の庭であるロイヤルガーデンの最奥。薔薇と草木に守られるように存在する。『赤の目覚め』に行くためには、ロイヤルガーデンに入らなければならない。
が、しかし。クロルたちはロイヤルガーデンではなく、王城の裏庭にいた。
「ここは……裏庭ですよね」
私兵団クロルが問いかけると、文官デュールが「ここは裏庭です」と答える。
クロルは咳払いを一つ。
「コホン、文官殿。現場視察は、ロイヤルガーデンでは?」
「はい。残念ながら、ガーデン正門の解錠申請が却下されてしまいました」
カラスが「アー!」と鳴きながら、頭上を通り過ぎていった。クロルがチラリと見ると、エタンスは焦っている様子だった。眼鏡のくもりが半端ない。
三十秒ほど気まずい沈黙があって、文官デュールは「いやぁ、本当に」と続けた。
「カドラン伯爵家のご令息がいらっしゃって良かったです」
「え? 僕ですか?」
「ええ。正門はダメでしたが、トリズ・カドラン様のお名前を出したら、裏門からの入園が許可されました」
「それは……名乗った甲斐がありましたね」
「ええ、本当に。それで裏門から入ろうと思って、ご案内したというわけです」
「裏門?」
クロルが首を傾げると、文官デュールは裏庭の塀を指さした。
「知ってました? この塀の向こう側、ロイヤルガーデンなんですよ」
「へー、知るわけないですね」
「おや? もしやに、展示室が見られないと思って驚きました?」
「ええ、驚きました」
「ははっ、僕も驚かせてみたくて」
クロルは、偶然を装ってデュールの足を蹴っておいた。楽しんでんじゃねーよ、と。
しかし、文官デュールの言っていることは正しかった。
裏庭の一画には、とんでもなく高い塀がある。裏庭から塀の向こう側へ行くには、裏門を通るしかないだろう。
裏門と呼ばれてはいるものの、鉄格子ではなく、隙間のないしっかりとした金属製のドアだ。ロイヤルガーデンの様子を見ることはできない。
その金属製のドアを開けると、そこは展示室『赤の目覚め』の真裏だった。掃除係や庭師などの通用口なのだろう。
「事前に展示室の鍵も開けてもらっています。どうぞどうぞ」
「このドアですか?」
「ええ、そこが勝手口ですね」
「勝手口」
国民的な建造物に対して『勝手口』とか使っちゃう系の文官。そこは使用人専用のドアだ。グランドがいないからって、はっちゃけちゃって大丈夫だろうか。
その勝手口から入ると、細い通路があり、そこを抜けると展示室のメインスペース。
クロルたちは、そこに入る手前で足が止まった。
展示室は、中央に牢屋のような鉄格子があるだけで、他には何もなかった。高価な調度品も、大層な絵も花も飾られていなければ、人々を導く絨毯すらない。
天井は高く、ガランとした十五メートル四方の部屋。天窓から降り注ぐ光が、牢屋に反射して散乱する。何者も、この光を閉じ込めることは出来ないのだと、その部屋は語っていた。
散乱した光は四方に飛び散り、部屋全体を温める。誰かに抱きしめられているような温もりに、自然と心が開いていく。
愛と自由の象徴である、アンテ王女のランドマーク。何か特別なものに触れてしまったような、自分の一部を奪われたような、そんな心地がした。クロルも、そしてレヴェイユでさえも、誰もが、そう感じていた。
頭を深く下げてから入室し、壁掛けランプに火を灯す。正義の騎士として、仕事をし始めるのだ。




