40話 縛る
「……ごめん、な……さい」
流れる涙を必死に止めようとしているのだろう、彼女は目を細めていた。
嘘をついていたこと、蹴りを入れてきたこと、泥棒をしていたこと。彼女が何を謝ったのか分からなくて、でも分かったところで何の意味もないことは理解できたから、クロルは返事をしなかった。
「……騎士だったのね。私を捕縛するために?」
「そういうこと」
「潜入騎士って本当にいるのね、都市伝説だと思ってた。……じゃあ、記憶喪失は?」
「嘘に決まってんじゃん」
クロルが突き放すように言うと、レヴェイユは涙をそのままに「む~」とふくれっ面になった。
正直、クロルは面食らった。レヴェイユが、レヴェイユだったからだ。お互いに仮面を剥がした今、なんていうか……もっと彼女の素であるはずの『ソワールっぽい感じ』で騎士のクロルに接してくると思っていたのだ。
「本気で心配してたのに~」
「……任務。仕事だから」
平坦な声で答えれば、レヴェイユはハッとしたように「任務……」と呟く。
「なに?」
「ううん、仕事なら仕方ないわね」
彼女は小さく笑って「起き上がっていい?」と聞いた。
「逃げるなよ?」
「逃げないわよ、ふふっ」
楽しそうに声を出して笑うレヴェイユ。月明かりの下で見せた笑顔に、なんか、何ていうか思っていたよりも。
「……なんで笑ってんの? 悲壮感ねぇな」
「だって、もう元には戻れないもの。仕方ないわ」
レヴェイユはグチャグチャの顔を黒い手袋で拭い、それを脱ぎ捨てて、そのまま両手を差し出してきた。
―― そうだよな……縛らないと
立てた誓いを思い出し、クロルは彼女を縛る。
例えば悪態をつくとか責めるとか、縛るときは一言くらい傷つけてやろうと思ってたのに、不思議なことに何も言葉が出てこない。何を言えばいいかも分からないし、言いたいこともなかった。だから、黙って一時捕縛用の麻縄を取り出した。
しかし、そこでレヴェイユが「ぇえ?」と不満そうな声を出す。
「……なんだよ? やっぱり捕縛はイヤだって?」
「違うわ。だって、あれは言ってくれないの?」
「あれって?」
「ほら、騎士団だーみたいな決め台詞。アレを言われて捕縛されたいわ」
「別に決め台詞じゃねぇけど」
リクエストがあるとは思わなかった。とは言え、確かに便宜上言っておくべきか。
「騎士団だ。不法侵入および窃盗未遂の現行犯で捕縛する」
「わぁ、騎士のクロルも素敵~」
「……それ素で言ってる?」
「うん?」
「なんか想定してた感じと違うんだけど」
「え? なぁに?」
「いや、別に……。これで満足?」
「うん、大満足。思い残すことナシ」
彼女の白い手首を麻縄で縛ると、レヴェイユは「くすぐったい」とか「もっときつくしていいよ?」とか言いながらくすくす笑っていた。
想像していたよりもずっと和やかな捕縛に、クロルは少しずつ気が抜けていく。おっとりのんびりな空気は、相反して侵食が早いものなのだ。
「私を捕まえたんだから、大金星ね?」
「どうだろ」
「出世とかするの?」
「興味ねぇよ」
「ふふっ、捕まったのがクロルで良かったぁ」
のん気な物言いに、さすがにイラっとする。
「騎士団本部に連行する。さっさと行くぞ」
「はぁい」
レヴェイユは歩きながらあーだこーだお喋りをしていた。まるで答え合わせをするみたいに、二人が出会ってからのことを楽しそうに話す。
月明かりの下、静かな公園。まるで夜のお散歩デートみたい。手ではなく、麻縄を繋いでいるけれど。
「騎士だなんて全然気付かなかったなぁ、あんなにナヨナヨしてたのも全部演技だったの?」
「そー、演技」
「そうなんだ、すごいわね~。もしかして、骨なしチキンは好物じゃなかったのかしら? ショートケーキは?」
「どっちも好物」
「じゃあ辛いものが苦手なのも?」
「本当」
「ふふっ、私も一緒」
彼女は嬉しそうに、ふにゃっと笑っていた。
「あ! やっぱり既婚者だったの?」
「違う、独身」
「意外~。じゃあ、恋人は?」
「いねぇよ」
「あら、そうなの? 選びたい放題なのに不思議ね」
思わず、舌打ちをしそうになった。
「あ、でも特定の恋人がいたら仕事がしにくいのかしら……任務でそういうことしたら浮気だって恋人に怒られちゃうわよね」
さて、仕事仕事。森林公園の出口はどこだろうか。クロルは辺りを見回す。きょろきょろ。
「クロルって、いつも任務であんなことしてるの?」
暗いし茂っているし道がよく分からない。確か、こちらの方だったはずだ。迷いそうな深い森だ。
「あんなことっていうのは、えっちなことって意味ね。好きでもない相手に大変じゃない? あ、男の人は好き嫌い関係なくできちゃうんだっけ……そんなことを聞いたことがあるような無いような」
「ったく、うるせぇな。誰にでもするわけじゃねーよ」
「あ、そうなんだぁ。そうよね、誰にでもってことはないわよね~」
あぁ、道が見えてきたぞ。ここは王都の真ん中だ、そんな深い森なわけもない。そうそう、こっちだったはずだ。
「思えば、私ってキスすらしてもらえなかったんだっけ……。クロルのお眼鏡にかなわなくて、ちょびっと残念気分~。もっと美人だったら違ってたのかしら」
おっと、道だと思ったら獣道じゃないか。早く森林公園を抜けねば。草木をなぎ倒して、スタスタスタ。
「……そんなことより、もっと気にすることがあるだろ」
「え?」
「レイ、っつーかブロンのこと。変だと思わねぇのかよ?」
「え!? やだ、ばれちゃったの? もしかして捕縛されてるの? 待って、あの子は別に捕まるようなことしてないの。本当、ちょっとギリギリなところもあるけど、盗みを手伝ってもらったこともないし! お願い、何でもするから見逃してあげて!」
彼女が両手を合わせて拝むようにしていたので、手首に巻かれた麻縄がやたら視界に入り込む。
「姉弟そろって、のん気なやつら」
「え?」
「ここだけの話にしろよ? ブロンの幼なじみが俺の相棒で、そいつの家に匿われてる。俺としては捕縛したいとこだけど、俺の仕事はソワールの捕縛だからな。それは遂行したし、ブロンの件はデュールに任せることにした」
「そ、それで?」
「デュールの事情聴取にも素直に応じてるらしいし、このまま捕縛しないで上手く処理できると思う」
「ホント!? よかったぁ……」
ホッとしたように、ふにゃっと笑う彼女。
歩く度に枝や草を踏んで、パキパキガサガサと音がする。クロルはひどく煩わしく感じた。
さて、そろそろ夜のデートも終わりだ。やっと森を抜けると、デュールが騎士団の馬車で待ち合わせ場所に来ていた。騎士団本部は歩いてすぐそこだけど、逃げられないように馬車を使う。
「あら、あちらの方がクロルの相棒さん?」
「そう、デュール」
「黒髪で青い瞳……あ、ブロンから聞いたことがあるわ」
そう言って、レヴェイユはニッコリ笑って「こんばんは、弟がお世話になっています」ときちんとした挨拶と、匿ってくれている謝辞を送る。とても捕縛されているとは思えない和やかさだ。
「どうも」
デュールも少し面食らいながら挨拶を返す。レヴェイユは「ふふっ」と小さく笑って、馬車に乗り込んだ。
「ご苦労だったな。クロルも乗るか?」
「……いや、歩いて寮に帰る。そいつの肩に裏拳入れちゃったから、医務室いった方がいいかも」
「了解」
デュールが馬車のドアを閉めようとしたところで、レヴェイユが「クロル、ありがとうね」と言った。
「なんでお礼?」
「だって、クロルが捕縛してくれたから最後に会えたんだもの。捕まえてくれてありがとう」
「なんだそれ」
「ブロンに会うことがあったら、もう女装しなくていいからね、今までごめんね、愛してる、って伝えておいてくれる?」
まるで今生の別れとでも言うような彼女の言動。クロルは首を傾げて返す。罰を下すことに慣れすぎていたクロル・ロージュにとって、牢屋も収容所も身近な場所だったからだ。牢屋は第五の棟の地下にあるし、担当騎士として収容所に行くことだってある。
「そんなの自分で言えよ。会うことあるだろ? 姉弟なら、申請すれば収容所での面会も通るかもしれないし」
「面会?」
レヴェイユはイマイチ理解できない様子で首を傾げていたが、クロルはそれには気付かずにそこらへんの草木を見て話を続ける。花が咲いてるなーとか、夜風の匂いが春だなー、とか思いながら。
「それに刑罰が終わって出てきたら、……どれくらい先になるか分かんねぇけど、その、また会えるだろ……」
二人の間を、ひゅーっと風が通り抜けた。草木が揺れる。
「え? 私、きっと死刑だろうし、ブロンに会うことないんじゃないかしら~。あ、供花は赤いバラにしてって伝えてね! 可愛いお墓になりそう、やっぱり白じゃ味気ないでしょ?」
「は?」
「じゃあ元気でね、さようなら~。御者さん、お手数おかけしますが、騎士団本部までお願いしまぁす」
呆気にとられるクロルを置いて、レヴェイユのにこやかな笑顔と共に馬車は走り出した。
「……死刑?」
クロルの呟きはガラガラ……と走り去る馬車の音にかき消された。
こうしてソワールは第五騎士団によって捕縛。翌々日の朝には、ソワール捕縛と処刑予定の大ニュースが新聞の紙面を占拠し、二十年間の悪女伝説はぬるっと幕を閉じたのだった。




