表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/122

113話 捕らえる【園遊会 11時45分】



「お前は……伯爵令嬢……?」


 展示室『赤の目覚め』に立ち、彼女は髪をふわりと揺らした。


「もし天窓から飛び降りるご令嬢がいたら、そうだったでしょうね。さて、私は誰でしょう?」


 レヴェイユの楽しそうな声に、グランドは瞳を丸くする。驚きこそしたけれど、不思議なことに心臓は平坦になっていく。彼女の持つ雰囲気に、逆に安心感さえ抱く。赤い瞳を見開いて、女の赤い髪を見て、あぁ、この女は同類だと思った。


「なんと……ほう、お前がソワールであったか」

「ご明察~」

「であれば、騎士なのでは?」

「ふふっ、『騎士』ですって」


 彼女は楽しそうにクスクスと笑う。その皮肉たっぷりの言い方に、いつしかエタンスが言っていたことを思い出す。『あの悪女が改心して騎士を全うするなんてことは有り得ない』と。


「そうよ。司法取引なんかさせられた哀れな泥棒が、この私。あの紫髪のトリズって騎士と組んで、潜入させられてたのよ。盗賊団アンテの首領クロルと、貴方を同時に捕まえるためにね。ふふっ、存分に正義を楽しめたわ」


 赤い瞳を光らせて、ギロリと睨む。


「我を捕縛? それはどういう意味であるか?」

「あなた、盗賊団サブリエの首領なんでしょ?」

「証拠は?」

「証拠が無いから、今、私とあなたはここに立たされているのよ。そして、サブリエ首領である証拠はなくても、国宝窃盗犯の証拠はあなたが握ってる」


 グランドは口の端を噛んで「どんな手を使っても逃げ切る」と言い切ってやった。

 しかし、そんな言葉とは裏腹に、身体はひどく冷えていた。抱える心臓の痛みを少しでも慰めるために、そこに手を当てる。


 ソワールは訳知り顔で、グランドを眺めていた。


「罪悪感で心が重いんでしょう? その鈍痛を、少し軽くしてあげることなら出来るかも」

「……どういう意味であるか?」


 ソワールは「三つ」と言いながら、指を三本立たせてた。


「よーく聞いて判断して。貴方は、すでに三つ奪われているわ」

「三つ?」

「一つは、えーっと……なんて言ったかしら。エタンス? あなたの部下は、もう捕縛されてるはずよ。同じく、二つ目は宿屋『水の音色』。ここも今頃、包囲されてる。壊滅するでしょうね。あなたを守る盾は一つもない。逃げることは難しいわ」

「……そうであるか」


 グランドは、少し俯いた。しかし、すぐに顔を上げ「三つ目は?」と促す。


 レヴェイユは、壁掛け時計を差した。


「十二時を越えたわね」

「まさか……招待客は入場しないのか?」

「いいえ、来るわ。あなたの時間を盗んだだけ」


 彼女は楽しそうに、指先をくるりと回して時計の針を戻す仕草をした。


「この展示室の時計は、十五分だけ進んでいるの。外の時間は、現在十一時四十七分。気付かなかった?」

「十二時ではないのか!?」

「ええ。その証拠に、正午に鳴るはずの大時計の鐘の音は? リーンゴーン、リーンゴーン?」

「……なるほど、聞こえぬな」

「あの鐘の音は、よく響くから。この展示室にも聞こえるのよ」


 グランドはそこで初めて騙されていたことに気付いた。あの緊迫感を思い出し、少し笑ってしまう。


「はっはっは。では、あと十三分。天下の女泥棒ソワールとおしゃべりができるというわけか。議題は?」

「フラム・グランド、私と取引をしない?」

「取引? 捕縛するのではなく?」


 ソワールはコツコツとヒールの音を響かせて、小部屋の前に立った。鍵穴を塞ぐように。


「私ね、貴方は懐中時計を盗めないんじゃないかと思ってた」

「ほう?」

「ここにアンテ王女がいるんだもの。彼女の大切なものを、彼女の目の前で盗むなんて……とても難しいことでしょう? 盗んだ瞬間から、もう心が重くて仕方がないんじゃないかしら? 何なら、ガラスケースに返したいくらいに」


 グランドは赤い瞳を揺らした。


「……なぜそう思う?」

「私も同じだから。本当、不思議なものよね。どんな悪いことをやっても、全然平気なの。それが悪いことなのかどうかもわからないし、バレなければやってないのと一緒だって、心底思ってる。でもね、彼にどう思われるか考えただけで、指一本、動かせない。バレるかバレないかなんて関係なく、心が重くなるの」


 まるで独り言のように、言葉が床に落ちていく。彼女は俯きながら、クロルを愛おしそうに見ていた。


「彼を、愛してるの」 


 その声は、少し震えていた。その震えに共振し、グランドはひどく高揚する。冷えていた身体に熱が灯る。

 小さく笑みをこぼしながら「任務ではなく?」と問えば、彼女はこくりと頷いた。


「私が騎士団の手先であることを、クロルは知らない。……どうか、私を助けて」

「助ける?」

「あなたなら分かるはずよ。彼の前では、ただの普通の……どこにでもいるような、普通の娘でいたい。だから、彼が目を覚ます前に取引をさせて」 


 グランドは勝手口の内鍵を閉め、レヴェイユに近付いた。商談に乗る価値があると思ったからだ。


()()、私がサブリエ首領であるとして、お前は何を賭ける?」


 ソワールは、鍵穴を隠したままスッと手を出した。屋根を登ったからだろう、白い手袋は汚れきっていた。


「あなたを助けてあげる。懐中時計は、私が盗む。そして、貴方を無事に逃がしてあげるわ」

「ほう。私に何を望む?」

「望みは二つ。一つ目は、私の大切なものを返してほしい」

「ソワールの大切なもの? 盗られたことはあれど、盗ったことはないが」

「六年半前、西の街の外れにあるオルの時計店で、苺色の目覚まし時計を盗んだはず。あれは、私のものよ」

「なるほど、これまでの行いは()()()だったということか。腑に落ちたな」


 グランドは記憶を探りながら、人差し指をこめかみに当てる。「オル……西の街」と呟き、思い出して目を見開く。


「カラクリ町。王女の懐中時計をメンテナンスしていた時計屋オルであるか!」

「え、そうなの?」

「知らぬのか。あぁ、彼らには守秘義務が課せられるのであったな。時計屋オルは長年、その懐中時計のメンテナンスを担っていた技術者だ」

「へ~、そうだったのね~」


 突然の、のん気ボイス。グランドは少し呆れながらも、「二つ目は?」と問いただす。


「……クロルと、ずっと一緒にいたい。離れたくない」


 ソワールは下唇を軽く噛む。


「普通の恋人みたいに、冗談を言い合って笑って暮らせたら、それだけでいいの。騎士団から……逃げたい」

「ほう?」

「だから、ほとぼりが冷めるまで匿ってほしい。その後は、二人でどこかへ逃げるから、あなたに迷惑はかけないわ」


 逃走のために大金でもせびるのかと思いきや、匿うだけとは。あまりの慎ましさに、グランドは虚をつかれた。思わず「はっはっは!」と笑った。

  

「あの天下の女泥棒が、誠にささやかなことを願うものだな」

「あら、あなただって、そんなに王女を愛しているくせに、懐中時計だけで()()()()なんて、とってもささやかじゃない? 私だったら、会わずにはいられない」


 なんて女だ。遠回しに『愛する人に会えないのに生きてる意味なんてあるの?』と言っているわけだ。グランドも苦笑い。


「さすがソワールであるな。至極、同感だ」

「そのソワールを雇える最大のチャンスが転がり込んできたのよ? 賭けてみる気はない?」


 グランドはそれには答えずに「どうすれば良い?」とだけ問う。


「正午になったら正面扉が開くわ。クロルと共に小部屋に隠れていて。私が騎士全員を引きつける。会場をめちゃくちゃにしながらね」

「そんな容易(たやす)く行くものか? ドレス姿で何ができる?」

「彼のためなら何でもできるわ」


 そう言うと、ソワールはスカートをビリっと引きちぎった。グランドは「おお!?」と、かなりビックリしたが、そんなのお構いなしに彼女は変身完了。


 これは、客のニーズを掴みすぎているドレス工房作製、思いっきり千切るとミニスカートになるドレスだ。もし騎士四十七人ほどを相手にして逃走劇を繰り広げるのであれば、スカートは短ければ短いほど良い。


「これで文句はないでしょ。あなたはクロルを連れてロイヤルガーデンの正門から堂々と逃げて」

「裏門ではなく?」

「そっちは第五騎士団が見張ってる。無理よ」

「では、その後はどうする?」

「逃走用の馬車や馬をたくさん用意したのは、サブリエ側でしょ? 王城の至る所に用意してあるのは知ってるわ。騒ぎで怪我をした貴族令息(クロル)使用人(グランド)。誰も怪しまない」


 グランドは「ふむ」と一言。時計の針は、十二時五分を差している。ということは、時刻は十一時五十分。


 このまま裏門に行ったならば、即捕縛されるのだろう。盗賊団サブリエの首領である証拠はないが、国宝窃盗犯で処刑一択だ。

 この赤髪の女を信頼できるわけもないが、盾であったエタンスもサブリエも、もうなくなってしまった。グランドに、選択肢はなかった。


 何よりも、この心の重さを少しでも取り除きたかった。純粋なまでの愛を抱える、犯罪者の仲間。欠片ほども信頼できない女泥棒にすがりつきたいほどに、心が重くて痛かった。


 グランドは、少し俯いてから承諾を告げる。


「わかった。ソワール、取引に応じる」


 それを合図に、彼女はふわりと微笑んでヒールの音を響かせた。そのまま、何の躊躇もなく、グランドの手から懐中時計を盗み取る。まるで林檎を摘み取るみたいな仕草だった。


「交渉成立ね。懐中時計とクロル、()()()()の待ち合わせ場所はどこかしら? 信頼の証に『苺色の目覚まし時計』をすぐにでも渡してほしいんだけど」

「……致し方あるまい。貴様らを匿うにしても、そこしか当てもないからな。王都を出て東にある別荘地だ」

「東の別荘地? あなたとバカンスを過ごせとでも? ふふっ、いいわね。狩りで対決でもする?」


 茶化す口振りに、グランドは苛立った。ソワールが与えた安心感、高揚、苛立ち、そして焦り。閉ざすべき口を開かせるのに、十分だった。


「自惚れるな赤髪。そこに隠れ家があるのだ。サブリエに盗ませた品々もそこにある」


 そう言った瞬間、グランドは足先が少し痛むような感覚がした。まるでドライアイスみたいな、冷ややかな熱が床を這う。


「へ~、()()()は、そんなところにあったのね。あなたのことだから、王都にあるんだとばかり思ってたわ」

「浅はかな。王都になど置けぬ」


 煩わしそうに答えつつ、グランドが壁掛け時計を確認すると、残り八分。


「時間がない。首領クロルを人質として、もらい受ける」


 そう言いながら、もう二度と訪れることはないだろう『赤の目覚め』に別れを告げようと、視線を上げた。


 しかし、別れを告げることはできなかった。その前に、膝を震わせるような、いや、展示室全体を震わせるような低い声が響いたからだ。


「その必要はない」


 独特の重低音。それを放つ職業は、一つだけ。その声を聞いた瞬間、グランドは自分の失態を全て理解した。()()()()なんて思う余裕すらなかった。絶望とも言える乾いた笑いが、口からこぼれる。


「レヴェイユ、よくやった」


 赤髪の女は嬉しそうに微笑む。ソワールのときの微笑みとは違う。それは純粋なまでの愛を抱える、ただの女の顔だった。

 首領クロルが本物なのではなく、彼らの間にある愛が本物だったのだ。ソワールという狂気を武器にできるほどに、彼女の心は正しく彼に繋がれていた。


 その歪な清らかさに、グランドは目の奥をガンガンと叩き割られる。狭まった視界を限りなく広げられる。

 そこには、踏まれても泥まみれにされても、汚れることなく生きてきただろう騎士が、金色の胸章を掲げて立っていた。


「騎士団だ。フラム・グランド。盗賊団サブリエ首領としての窃盗教唆、および国宝窃盗の現行犯で捕縛する!」


 暗い雲をかき分け、降り注ぐ白い光。展示室に散乱する自由な可視光を集約させ、それは眩しく輝く。

 神様なんて一度たりとも信じたことのないグランドは、ここで初めて、神様という存在から罰が下されたのだと理解した。


 どこからどう見ても正義そのものじゃないか。なぜ今まで気付かなかったのかと思うほどに、クロル・ロージュは美しく清廉であった。


 逃げる手立てを考えることも、のらりくらりと弁を振るうこともできない。ずる賢い頭に、策は一つも浮かばない。ただ、呆然と立つことしかできなかった。


 クロルがしていた手枷には鍵なんてされていなかったのだろう。いつの間にか解かれていたそれで、グランドは後ろ手に拘束される。


 神のように美しい男は、そこで何かに気付いたように小さく笑った。独り言のような細い声で、彼は呟く。


「この瞬間を、ずっと待ってた。……でも……こういうことでは、前に進めないんだよなぁ。失ってきたから、今ここにいるんだと思うと、人生って難しい」


 赤い瞳を閉じて、失ったものを思い返す。最後だと、背を向けていた小部屋に視線を移した。

 皮肉なものだ。失ったものの中に、心の重さも痛みも含まれていることに気付かされる。ソワールの宣言通り、確かに、それらはなくなっていた。


 愛する王女のランドマーク『赤の目覚め』で捕縛されるなど、何とも滑稽なことだ。


 底のない屈辱と、天のない解放感。


 グランドは「はっはっは!」と大きく笑った。手枷がジャラリと音を立てる。


「……そうか、貴様も騎士であったか。良き演技だった。拍手を出来ぬのが、残念であるな」


 グランドはそう言って、展示室『赤の目覚め』から連行されたのだった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ