111話 裏切る 【園遊会 11時15分】
【午前十一時十五分・展示室内】
展示室内の騎士は、目の前に何かがパラパラと舞っていることに気付く。ほこりかと思ったが、何か違う。なんだろうと思い、上を見た瞬間。男が降ってきたのだから、それはもう驚いたことだろう。
「なっ……!?」
クロルは騎士の前に着地し、低い姿勢のまま野蛮な足払いを決めた。体勢をくずした騎士の喉元に向かって全力の掌底を入れる。さらに、肺を狙って膝蹴りを追加して壁までぶっ飛ばした。
―― よし、一人目!
「何だ!?」
「貴様、なにをする!?」
残り二人が瞬時に剣を抜こうとしたので、ショートケーキを食べたときにくすねておいたフォークを二本同時に投げつける。
質の良いフォークは凶器だ。騎士だろうが何だろうが、顔面に鋭利な先端が向かってきたならば、剣を抜く前に反射的に首をひねって回避してしまう。
その隙に一気に間合いに入り込み、みぞおちに三発、最後は頭部側面に一発、全体重を乗せた恨み拳を叩き入れる。さすが第五! 体術特化の訓練は伊達じゃない!
―― あと一人!
最後の一人は、すでに剣を抜いて構えるところだった。舌打ちをしたかったが、そんなヒマもない。
クロルはポケットからナイフを取り出し、来るだろう長剣の斬撃を受けるために、それを握り締める。
思った通りのタイミングで金属同士がぶつかる音が響く。その衝撃は重く、ひじまで痺れが伝わる。
―― 強い
ここは展示室『赤の目覚め』だ。その警備を任せられた三人ならば、家柄か腕のどちらかが良いのは自明の理。長剣を振り下ろす騎士は、きっと後者なのだろう。
それならば、もうなりふり構っていられない。クロルはナイフを握り直し、体勢を低く、一足飛びで相手の懐に入り込む。
「くっ!」
相手は長剣を床に這うようにして下から上に振り上げるが、それをナイフ一本で受け止める。
―― あ、折れる
想定済み。長剣の威力を受け止めきれずナイフが折れたならば、相手は少しバランスを崩す。
クロルはその隙を利用して、のどを目掛けて拳一発、さらに相手の頭に渾身の蹴りを入れた。もう、ザ・騎士って感じの、美しい蹴りの入れ方だ。到底、盗賊とは思えない。
小部屋から見ているだろうグランドにどう思われるか。でも、本当になりふり構ってなどいられなかった。
それでも意識を手放さない騎士は、クロルの美しい蹴りの入れ方に違和感を覚えた様子。もう声帯は奪ってはいるものの、余計なことを言われる前に、勢いを殺さず華麗なる回し蹴り!
最後に全力で腹に一発入れれば、やっと意識をなくしてくれた。冷たい床に、三人の騎士が転がる。
「はぁ、はぁ……きっつ」
第五所属であっても、さすがに床に手をついて小休止。フォークが二本欲しくて、ショートケーキを二個も食べたのだ。正直、吐きそうだった。まじでやばかった。
本当ならば、先に裏門の内鍵を開けて、トリズにも戦ってもらいたいところだ。しかし、この後の展開を考えると、クロル一人で騎士三人と戦った方が説得力が増す。
それに、エタンスがいるとは言え、トリズも裏門の三人の騎士とやり合っているはず。
そこで、展示室の時計を見ると十一時三十五分。あと五分で約束の時間だ。
クロルは、ジャケットの内ポケットから縄を三本取り出し、転がる騎士三名の手を縛っておいた。
次に、勝手口の内鍵を回して、ドアを解錠。ソロリと開けるが、外には誰もいない。ホッと一息。
続いて、裏門までの五歩を移動しながら、ロイヤルガーデン側の喧騒に耳を傾ける。「ちがう、僕じゃない!」という悲痛な叫び声が聞こえてくるところから察するに、レヴェイユは誰かに罪を着せたのだろう。悲痛すぎる。あとでどうにかするから許しておくれ。
―― さて、トリズはどうかな?
クロルが裏門に近付くと、それはもう楽しそうな音が聞こえてきた。
トントトトンットン~♪
トントトトンットン~♪
どうやら、裏門チームも上手くことが運んだらしい。クロルは三秒ごとに流れる『トントトトンットン~♪』の合間に、『トンットンッ♪』と返事をしてあげた。
裏門の内鍵を開ければ、『ちぃ~っす』と核弾頭トリの顔をしたトリズ・モントルと、真面目眼鏡のエタンスと再会だ。
なるほど、二人は騎士の制服を着ていた。どうやら騎士にまぎれてここまでやってきたらしい。秋の園遊会、騎士はシフトとは無関係に王城や王都を練り歩くのだ。
相当楽しかったのだろう。戦闘民族のトリズは、爽やかな汗を拭い、とっても清々とした表情だ。
一方、エタンスは青い顔をして、トリズと物理的に距離を空けている。その様子を見て、クロルは裏門にいた騎士三人のことがとっても心配になった。
これも全て正義のためだ、たぶん、きっと。でも、彼らが第一騎士団でなければ、もしかしたら手加減されていたかもしれない。スリシスターのときに教会でひと悶着あったわけで、恨み拳が炸裂しても仕方がないということで……。南無阿弥陀仏。おっと、お亡くなりにはなっていない。
合流した三人は声を出すことなく、勝手口から展示室に入る。クロルは勝手口の内鍵を締めながら、小声で「エタンス、ここで見張ってて」と指示をする。
すると、エタンスは一言も何も言わず、軽く頷いて了承した。
その様子から、クロルもトリズも確信する。
エタンスは、グランドが小部屋にいることを全く知らない。いや、知らないだけじゃない。もっと言えば、『グランドがエタンスの言うことを聞かずに、ここに来ているかもしれない』という考えすらないのだ。
唯一の味方として、互いに何でも相談し、共有してきたからこそ生まれたグランドとエタンスの確固たる信頼関係。それが、逆に彼らを追い詰めることになっているのだ。
同じく、なんとなーく信頼関係で結ばれているだろう、クロルとトリズ。二人は目を合わせて、作戦続行を決めた。
ここから、盗賊同士の盗ませ合いが始まる。
【午前十一時二十五分】
小部屋にいるフラム・グランドは、盗賊 vs 騎士の戦いに大興奮していた。素晴らしい観劇であったと、鳴らすことのできない拍手を送る。
彼が天窓から下りてきた瞬間、どういうわけか灰色の雲をかき分け、まばゆい光が降り注いだのだ。『おや、天使の降臨であるか?』なんて思ってしまうほどに麗しい光景だった。
一人目の騎士を瞬く間に倒したのを見て、そこで初めて首領クロルだと気付いた。なんとも美しい男だ。
そのあとは、固唾を飲んで見守り、拳を握って観戦! 三人の騎士相手にクロルが勝った瞬間、グランドも拳を突き上げガッツポーズを決めていた。ドア一枚挟んだところでなにやってんだこいつ。見てたなら助けてやれ。
―― 首領クロルか。顔が良く、技量も度胸もあり、さらに強い。今後、懐中時計のメンテナンスで一年に一度は世話になるであろうが、信頼関係が築ければサブリエに引き入れたいものだな
グランドは、首領クロルを気に入っていた。エタンスに対する信頼とは異なり、それは物欲と呼ぶべき感情に近かったが。
しかし、そんなことを考えている余裕はない。展示室の時計を見ると、もう十一時四十分。あと、二十分も経てば、この展示室に招待客がどよどよと入り込む。
―― 早く脱出せねば
そこで、盗賊団アンテの二人が勝手口から戻ってきた。
―― ええい! 早く懐中時計を盗むのだ! 私を共に連れ出せ!
グランドはやきもきしながら、鍵穴から覗き込む。この場ですぐに出て行きたかったが、どういうわけかエタンスの姿が見えない。
エタンスがいなければ、サブリエ首領である証明もできないし、万が一、クロルとトリズに敵認定されてしまっては、あの拳でガツンと殴られることになる。たぶんワンパンで死ぬ。そっちのルートで事件が解決してしまいそうだ。とても困る。
―― エタンスのやつめ。何をしておる! 私が展示室にいることは知っているであろう!?
やきもきが止まらないまま様子を見ると、クロルは複製した鍵で鉄格子を開けて、ガラスケースのピッキングを始めた。秒で開けるかと思いきや、そうでもなさそうだ。
あと、ものすっごい集中している。鬼気迫るピッキングシーンだ。はて、そんなに大変な鍵なのだろうか、と少し首を傾げるグランド。
カンニングに替え玉。不正のツケを支払わなければならなくなった美形は、かなり必死だった。
片や、トリズは転がっている騎士を一発ずつ殴って意識を完全に取り除いていた。なんたる外道。そのままひょいと担いで、外に連れて行く。どうやら茂みに隠している様子。
―― なるほど、エタンスも外で茂みに隠す手伝いを? それとも、展示室に来られなかった……?
何らかのアクシデントがあった可能性もある。グランドは考えを巡らす。ここで出て行くべきか、エタンスを待つべきか。時計の針はチクタク進む。
展示室の時計が十一時五十分を差したとき、グランドは『出るべきだ』と判断をした。すぐにサブリエ首領であることを告げ、共に連れ立ってもらおうと。
意を決して、ドアノブに手をかける。しかし、それを回す前に手が止まった。
「よっしゃぁあ! 解錠!」
そのタイミングで、首領クロルがガラスケースの鍵を開けたのだ。なんかめちゃくちゃ嬉しそうな声だった。止まらないガッツポーズ。はてさて、そんな難しい鍵だったのだろうか。
―― ガラスケースが開いたか!
グランドはドアノブから手を離し、展示室を覗く。夢にまで見た光景だ、目に焼き付けたかった。
首領クロルは、ガラスケースを開ける。美しい手を伸ばして、赤い文字盤の懐中時計に、そっと触れた。
グランドは勝ちを確信して、高揚感で笑みがこぼれる。喜びで叫び出しそうだった。震える手で口元を押さえ、駆け出しそうな足を床に縫いつける。
あぁ、自分の手を汚さずに欲しいものが手に入るなんて。なんと素晴らしい快楽だろうか。
しかし、その高揚感を地の底まで突き落とすような声が響いた。
「そこまでだ。手を挙げろ」
心臓がドクンと跳ね上がった。鳥肌が立つほどにグランドが嫌悪している、あの独特な重低音。
いつの間にか掲げられていた、金色の胸章。雲の隙間から零れた光が反射する。痛いほど眩しい、正義の光。
「騎士団だ。盗賊団アンテ首領クロル・ロージュ。国宝窃盗の現行犯で捕縛する!」
グランドは苦々しく口の端を噛む。あの不安は的中したというわけだ。
声の主は、トリズ・モントルだった。




