109話 踏み込む【園遊会 10時】
【午前十時・王城前】
クロルとレヴェイユは、馬車の中という狭い世界で、仮初めの恋人として最後の時間を過ごしていた。
「もうすぐ王城に着くぞ」
「うん……はぁ、うん、そうね。あぁ、もうダメ」
「おいおい、しっかりしろよ。ただでさえ、ぼんやりフェイスなのに、いつもに増して顔がデロデロ。だらしなさすぎるんだけど」
クロルがレヴェイユのおでこを軽く小突くと、彼女はバランスを取りながらも、ゆるりんと顔を溶かした。よく溶けるお顔だこと。
「あぁだめ。はぁ……ダメよ。こっち見ないで……」
「あのなぁ、いい加減に慣れろよ。もう一時間以上、経ってるぞ?」
「はぁ……くろるぅ、最高にカッコイイ。最っ高に美しいわ。あぁもう、本当に、顔が……良いぃ。ねぇ、園遊会に行く前に、絵姿を描いてもらいましょ? ね、お願い。一生のお願いだから~!」
「……だめだこいつ」
レヴェイユは、でろんでろんに締まりのない顔をしていた。
それもそのはず、クロルの正装の美しさと言ったら! 人を殺しかねないほどの色気と輝き。くもり空だというのに、クロルのいるところだけ常に一点の光が差し込み、その可視光線は馬車の天井すら突き破る謎。眺めが良くて、空気も美味い。
普通、こういう場面では女性側の化けっぷりを褒めるべきなのだろうが、クロルを前にしてしまっては、ヒロインと言えども霞んで消散。可愛いけど、もはや無に等しい。
「はぁ、すてき。目立たないように黒のタキシードをチョイスしておきながら、驚くほどに目を引く~。差し色に、私の赤を持ってくるなんて、あのドレス工房、良い仕事しすぎ~」
「え? これ、お前の赤なの? 王女のシンボルカラーの赤じゃなくて?」
「ノンノン。クロルもまだまだね~。秋の園遊会のパートナーは、即ち将来を誓い合った者同士。相手の髪色や瞳の色を衣装に使うものなのです……って、店員さんが言ってたわ。ほら、私のドレスも茶色のリボン~♪」
「受け売りかよ」
「丸暗記したの」
「ただでさえ少ない脳みそなのに、無駄な情報で占有すんな」
クロルがげんなり顔を披露すると、「え、すごぉい。その顔も良いぃ……」と、またもや顔の鑑賞会。こんなんで任務をこなせるのだろうか。常に不安を煽ってくる女だ。
そのとき、馬車がガタンと大きく揺れた。クロルは少しドキッとして、彼女を支えようと手を伸ばす。
でも、なんてことはない。彼女は微動だにせずに、クロルの顔を鑑賞し続けていた。
「あぁ、顔が良いわぁ」
「……お前、中腰だっていうのに、今の揺れでバランス崩さないのすごくね?」
揺れる馬車の中、レヴェイユはドレスアップしたステキ状態なのに、不格好なことに中腰で立っていた。
というのも、彼女のおしり側には武器や道具を仕込んだ道具入れがある関係上、座ることが出来ないのだ。かと言って、立ち乗り乗車ができるほど天井は高くない。よって、中腰だ。
ガタンガタガタと揺れる馬車。レヴェイユは揺れに合わせて、上手いこと体重を移動させる。全くぶれない剛の者。
「体幹がすごすぎる」
「こう見えて、太ももが震えてるわ」
「もう着くから、辛抱辛抱」
「大丈夫、クロルの顔を拝めばいくらでもがんばれる。あと百年はいけるけど、どうかしら?」
「太ももが発達して違う生き物になってそうだから、やめてほしい」
二十四年間、毎日見てきた顔だ。もう見飽きたクロルは、『この顔がそんなに好きかねぇ』と思いつつ、太ももを労うために美顔を向けてあげた。
彼女は「やだぁ、すごくカッコイイ。こっちみないで~」と、真っ赤な顔ででろんと溶け出す。ドレスアップで中腰でろん。なんとも不格好だ。さすがのクロルも、笑いが込み上げてくる。
「……中腰令嬢……ぶふっ」
「あ! 笑った! 笑わないでって言ったのに~。ひどい!」
「悪い。笑わないように気を張ってたんだけど、お前を見てると緩むんだよ。ごめんごめん」
「次に笑ったら、道具入れを窓からポイしちゃうからね?」
「待って、すぐ気持ちを整えるから。よし、もう笑わない……ふはっ、ちょっと待って、くっ……あー、だめだ笑う」
「くろるぅ?」
彼女のたれ目が少しクイッと上がったのを見て、クロルはまた笑いそうになるが、なんとか堪える。これは何度も思い出し笑いをしてしまいそうな、深みがある笑いだ。
そこでガタンと馬車が止まる。
「お、ベストタイミング。王城に着いたな。中腰タイム終了だ」
クロルは先に降りて、彼女をエスコートする。レヴェイユは馬車を降りる直前、小さな声で呟いた。
「……恋人タイムも、終了ね」
彼女の髪に飾られている白い薔薇が、目前を通り抜ける。それは独り言のようなもので、きっと答える必要はないのだろう。
でも、クロルは白い薔薇を見て、「レヴェイユ」と声をかけた。
「恋人タイムは、ここからが本番。お互い手加減なしだからな?」
彼女は「ふふっ」とやわらかく笑った後に、一瞬だけ妖艶に微笑んで「当然よ」と言った。そして、すぐに伯爵令嬢の気品あふれる笑みを乗せてみせる。潜る気満々だ。
「上等」
クロルもそれに応えるように、王子よろしく素敵な微笑みをふわりと浮かべる。すると、あら不思議。とんでもない美形と、美しい赤髪のステキな貴族カップルの出来上がりだ。
二人は騎士や文官が立ち並ぶ王城の中庭を通り抜け、ロイヤルガーデンの正門前に立つ。ポケットから招待状を取り出し、王室管理の文官にそれを渡した。
次いで、名を告げて、身分を証明する家紋入りの品物を見せなければならない。
当然、レヴェイユは家出をしてきた伯爵家の家紋入りのハンカチ。偽造ではなく本物だし、伯爵令嬢として戸籍登録してあるため、すんなりと通過。
招待客であるレヴェイユさえ通過してしまえば、こっちのもの。それでも、クロルもどこぞの貴族の家紋入りペンダントを持参していたため、難なく通過。
続いて、ボディチェック。先ほどのペンダントは勿論、腕時計や万年筆、ポケットに入れていたコイン一枚でさえ、全てを預けなければならない。
「お客様、大変申し訳ございませんが、靴を拝見させて頂いても宜しいでしょうか?」
「靴?」
「あら、失礼な方ですわね。なぜ靴を脱がなければなりませんの?」
レヴェイユのお遊び半分な高飛車演技を真に受けた文官は、「公にはしておりませんが、」と声を低くする
「靴底にハサミを忍ばせ、ロイヤルガーデンの薔薇を一つ切り取ったという事例があったそうなんです。ご協力、お願い申し上げます」
「それは不道徳な人間がいたものだね。聞いたかい、レヴェイユ?」
「あらまあ、大変。薔薇を一つだけで? 道徳とは何か、深く考えさせられますわね」
皮肉がすごい。やめておけ。
「ホントウニ。ははは、協力させて頂くよ」
「おほほ」
にこやかに笑う彼女は、国一番のアンモラル娘だ。スカートの中はハサミより激烈にやばい。お見せできないのが残念だ。
文官は靴底をよーく観察し、数秒の後に「感謝いたします」と、にこやかに返してくれた。
はて、靴底の胸章と隠しナイフはどうしたのだろうかと思われることだろう。
無事にボディチェックを通過した二人は、にこやかな笑顔のまま小声で話す。
「靴底は大丈夫だったの? ドキドキしちゃった」
「バラ切り取り事件は、うちでも話題になってたからな。どーせチェックされるだろうと思って対策済み。ナイフは留守番、胸章は引っ越し」
クロルは美しいウインクをしながら、ベルトのバックルをトントンと指で弾いた。なんと! 脱がない派のトリズ同様、胸章の隠し場所がバックルになっていたのだ。これは世にも珍しい、脱がない派のクロルということだ。
ということは、まぁ、そういうことなのだろう。え? だから、そういうことだよ。
「……俺が潜入するのは、今日で最後。これからは、靴底に隠す必要もなくなる」
「え?」
クロルはロイヤルガーデンの境界線を越えて、一歩踏み込む。
「……だから、……次の目覚まし時計のメンテナンスまでの間も、そういうことしないで済むから」
なるほど、こういうことだ。彼女とは、オルの目覚まし時計のメンテナンスで、一年に一回は会う約束をしたけれど、会わない間だって、誰とも何もないからねってこと。
別に、深い意味はない。恋人になるわけではないし、彼女に『何もない』ことを求めているわけではない。ただ、『こちらは何もない』と伝えただけだ。
深い意味はないけど、ちょっとそわそわしてしまうクロル。そわそわしながら、レヴェイユを横目で見る。
でも、彼女はきょとんとしていた。あまりのきょとん具合に、クロルは思わず二度見する。彼女は靴底に胸章を隠していた理由を知らないのだから、当然の反応だ。
あぁ、せっかく最後の恋人タイムだと思って一歩踏み込んだのに、残念。
「えっと~?」
「……分からないならいい。行くぞ、中腰令嬢」
ホント、わっかりにくい男。よし、分からないことは、分からないまま突き進もう。
ロイヤルガーデンは、それはもう素晴らしかった。素晴らしいけど、彼らは仕事中なので無遠慮にズカズカと入場する。息をのむとかいう描写はなく、それくらいの素晴らしさということだ。
正門を抜けると、まずは白い薔薇がお出迎え。少し進むと黄色の薔薇、桃色の薔薇、赤い薔薇……といった様子で、奥に進むほどに色を濃くしていく。
二人は、まだ遠くにある展示室『赤の目覚め』を目指しながら、ゆっくりと歩いた。何をしながら歩いているかお分かりだろう。潜入騎士カップルなのだから、この場の全てを記憶しているのだ。
騎士の人数、配置。草木との位置関係から分かる死角。ガーデンパーティーのテーブルの位置と数。皿やカトラリーの種類。客の人数。正門からの歩数と、そこから計算される距離、そして最短ルート。
役立つかどうかは後回し、全てを記憶するのが癖になっているのだ。
そして、最も注意深く確認しておきたいのが、忍び込む予定である展示室の天窓部分。それらが、遠目からも死角になっているかどうか、だ。
展示室の屋根は、四角錘型だ。天窓は計四つ。正面扉の上に一つ、側面に一つずつ、そして完全に死角になっている勝手口の上に一つ。
レヴェイユは、ニコッと笑って頷いていた。
―― やっぱり勝手口の上にある天窓から入るってことだな
ロイヤルガーデン内に置かれている時計を見ると、時刻は午前十時すぎ。展示室には、まだ懐中時計は運ばれていないはず。
―― 展示室の正面扉付近には、騎士が七人か。邪魔だな
勝手口側に回るためには、七人の騎士の前を通らなければならない。
展示室に懐中時計が運ばれたら、七人の騎士をどかし、勝手口の前にいる二人の騎士を瞬時に倒す。そして、上にある天窓から入り込んで、室内にいる三人の騎士を踏み倒す。
戦闘狂になって、なぎ倒しまくらなければならないというわけだ。
クロルが『むむう』と脳内シミュレーションしていると、やわらかい声がそれを阻害する。
「ね、ね、クロル様!」
「なんだよ……じゃなくて。コホン、なんだい? レヴェイユ。今、とても忙しいんだ。すまないが、」
「ショートケーキ」
「……ナンダッテ?」
「ほら、あそこのテーブル。苺のショートケーキがありますわ。王城のショートケーキは、大層美味だと聞いたことが。ご一緒しませんこと?」
「なるほど。頂こうか」
仕事しろ。
ちなみに、皿やフォークは非常に質の良いものだったし、ケーキはとびきり美味しかった。
二人は貴族らしさを保ちつつ、きゃっきゃるんるんとケーキを食べた。クロルなんて、二個も食べていた。食べすぎだ。仕事中だ。
そんな風に楽しい時間を過ごしながらも、会場をしっかり観察する。
すると、勝手口側から騎士がやってきて、正面扉付近にいる七人の騎士たちに何かを告げている様子。彼らの緊張感が、より一層、強まった。
テーブルに置かれた時計を確認すると、午前十時四十五。展示室が開場される、一時間と少し前。
―― 懐中時計が来たか




