後詰め
「ようやく敵の後衛も動き始めたようですね」
丘の上から西方軍の動きを見下ろす男。
彼はわずかに口元を歪ませつつ、思わずそうつぶやく。
すると、そんな彼の背後から予想外の声が向けられた。
「連中の殿はクラリス軍のようだな」
「……おや、よろしいのですか? この場に姿を現しても」
ヤーマンの視線の先、そこに立っていたのはわずかに目元のみが見える黒ずくめの男。
そんな彼の存在を前にして、ヤーマンはわずかに戸惑いの表情を浮かべた。
「ふん、もはや終局だ。今更他の連中に我が姿を見られても、どうせ戦後にはこの地におらぬ」
「私にとって、言い訳の一つも必要になりかねないのですが」
「それはあくまで汝の都合だ。我には関係ない」
もともと感情の無い口調であるものの、わずかに不満を感じさせる声色で黒ずくめの男はそう答える。
それに対し、ヤーマンは軽く肩をすくめると、敢えて冗談めかして言葉を向けた。
「それもそうですね。ただご提案頂いた三段撃ちは初戦で披露することはできなそうですが」
「ふん、どうせ敵の反撃を利用し、この陣の前に敵を引きずり出すつもりなのだろう」
「御名答。なので無駄にするつもりはありませんよ。もっとも引きずり込むまもなく勝利を手にすることができれば、これ以上のことはありませんが」
撤退を開始した敵の後背を討ち、場合によっては混乱し反転攻勢に出た敵を自陣に引きずり込んで銃撃する。それこそがヤーマンの描いた勝利の図式だった。
一方、勝利を確信するヤーマンに対し、黒ずくめの男は警告を口にする。
「ふん、それはそのとおりだ。だが気をつけるのだな。敵の中には奇襲に長けた者もいる」
「そのためのあなただと思っていたのですが、違いますか?」
「違いはしない。だが我が主命は汝の護衛ではない。その事は忘れ得ぬように」
軽く鼻で笑いながら、黒ずくめの男はヤーマンに向かいそう言い放つ。
それに対し、ヤーマンは苦笑を浮かべながら一つ大きくうなずいた。
「ええ、わかっていますよ。ここまで我らが電撃戦を勝利し得てきたのは、あなたの情報によるところが大きい。だからこそその見返りとして、彼を捕らえることができればお渡しする。それが事前のお約束ですから」
「……あの女もだ」
「はいはい、了解いたしました。ともかく全ては勝ってからの話です。それではあのひどい撤退を開始した敵を駆逐しに行くとしましょうか!」
無駄口はここまでとばかりに、ヤーマンはそこで黒ずくめの男との会話を打ち切る。
そしてそのまま側に用意しておいた馬へと騎乗すると、自軍の兵士たちに向かい強く宣言した。
「全軍、出撃!」
***
「クルスターン司教、敵は我が軍の進撃に動揺している模様!」
喜色を浮かべながら、クルスターンの元へと駆け込んできた兵士は、興奮冷めやらぬ声でそう報告する。
だがそんな彼と異なり、報告を受けた男は不機嫌そうに苦い表情を浮かべた。
「そんなものみればわかる……しかしだからこそ失敗なのだ」
「し、失敗!? ですが、我が軍は現に――」
「愚か者。動揺する敵に対し、あの程度の攻撃しかできぬのは判断ミスに他ならぬではないか。だから躊躇せず、すぐさま全軍を動かすべきだったのだ!」
報告兵を叱責したクルスターンは、不快さを顕としながらそう言葉を吐き出す。
それに対し突然背後から、穏やかな声が向けられた。
「ふむ、だとすれば今からでも構わぬのかもしれんな」
「プレメンス大司教!」
思いがけぬ人物の予想外の言葉に、クルスターンは目を見開きながらその名を口にする。
すると、プレメンスは苦笑を浮かべながら続ける形で言葉を紡ぎ出した。
「クルスターン司教、我らが有利にあることは事実だ。状況が好転したのならば、次の一手を打つことになんの問題もあるまい」
「……よろしいのですか?」
「戦後、ヤーマン司祭だけが戦果を独占するのは些か好ましくない。神は平等をこそ望まれるはずだ。そうは思わぬかね?」
敢えて視線を前線へと向けながら、プレメンスはわずかに口元を歪めてみせる。
途端、クルスターンはその表情に笑みを浮かべると、大きく一つうなずいてみせた。
「確かにそのとおりですな。では、早速我が配下の者たちにも河のこちらに残存する兵の殲滅に向かわせます!」
「ふむ、実に良きことだ。ではそうかこの好機を逃さぬように……クルスターン大司教どの!」
「大司教……はっ、失礼いたします!」
プレメンスの発した言葉の意味を理解するなり、クルスターン司教は喜色を浮かべその場を駆け出す。
そんな彼の背を見送りながら、プレメンスは鼻で笑うかのように言葉を発してみせた。
「捨て駒同士で仲良くされるのも面倒だが、ここまでこじれるのも困ったものだ。ただヤーマンだけに手柄を独占させるのは好ましくない。この判断を持って、勝敗を決したのは誰かを皆の記憶に刻むとしよう。それこそが未来の教皇の成すべき仕事であろうからな」
***
「ユイ、そろそろ限界だぞ。これ以上は本当に被害が馬鹿にならん」
橋を背にする形で、迫りくる宗教軍をどうにか押し返しながら、赤髪の男はただただ敵の後方に視線を向け続ける男へとそう言葉を発する。
ある程度覚悟してはいた。
部隊の大部分を撤退させた時点で、開戦時の不利はやむを得ないと。
しかしながら現在の状況は、リュートが当初想定していたものを大きく上回っていた。
理由は極めてシンプルなもの。
そう、敵は死兵であった。
命を自らの信じる神へと差し出すがごとく、ただただ祈りの言葉を紡ぎながらひたすらに繰り返される突進。
それは時として、戦術や練度を上回るものであり、更には死兵の背後に全体を統率する銃兵部隊が存在することで、擬態の潰走から、真の潰走へと陥りかねぬ状況へ近づきつつあった。
しかしそんな悲鳴の如きリュートの言葉に対しても、黒髪の男は表情一つ変えることなく、ただただ彼の双眸は敵の後方へと固定されたまま動きはしない。
「すまない、もう少しだけ持たして欲しい」
「……だが!」
ユイの言葉に対し、リュートは反論の言葉を紡ぎかける。
だがそんな彼を制する形で、ユイはその指を敵の後方へと向けてみせた。
「敵の本陣が動きはじめている。おそらく後詰めの兵士を前線に向かわせるつもりだ」
「つまり完全に食いついたということか!」
敵陣後方に存在する本体の如き大部隊。
それが突如前進を開始した光景をその目にして、リュートは先程までの険しい表情を一変させる。
「うん、だから……もう少し……もう少し……今だ、狼煙を!」
***
「おや、どうやら時間のようだね」
仮設橋の袂から天へと上がりゆく狼煙。
それを目にして、赤髪の男はどこか嬉しそうな表情を浮かべ、そう言葉にする。
途端、彼の側に控えていた黒色兵は、緊張感の隠せぬ表情のままで言葉を紡ぎ出した。
「本当にたったこれだけの手勢でよろしいのですか?」
「多かったらとっくに気づかれているよ。大船団を組むリスクは彼が説明してくれたはずだと思うけど?」
この地へと来る直前に、ミーティングで黒髪の男から告げられた言葉。
それを脳裏に蘇らせながらも、黒色兵は未だどこか納得できなそうな口調で言葉を発する。
「それはそのとおりですが……」
「大丈夫、彼らはすでに前しか見ていない。一人当たり百人程度を捌けば、十分お釣りが来るはずさ」
「ひゃ、百人!?」
想像さえしなかった数字を耳にして、思わず黒色兵はその目を見開く。
しかしそんな彼の反応を前に、赤髪の男は思わず軽く首を傾げてみせた。
「おや、少なくて不満かい? でももう不安定な水の上じゃないんだ。それくらいは期待しているよ」
そこまで口にしたところで、赤髪の男はその視線を敵の当初の本陣へと向ける。
そしてその口元をわずかに歪めると、少しばかり申し訳無さそうな言葉を彼は紡ぎ出した。
「ただ先に君たち帝国海軍のみんなには謝っておくよ。僕が千を切れば、君たちの分がなくなってしまうかもしれないからね……さて、それじゃあ楽しい戦争の時間だ。早速始めるとしよう」




