51 入籍
婚姻届に2人で署名する。
見届け人の欄は、あたしの両親や雄樹のおじいさんに頼んだ。
結局、お義父さんとお義母さんは、定年までずっと海外赴任を続けるつもりらしい。
「孫が生まれたら、顔を見に行くわね」とはお義母さんの弁だ。
「じゃ、明日、2人で出してこよう」
明日3月31日の午後に、あたし達は婚姻届を出して夫婦になる。
記念写真は、この前撮ってきた。
“京先生”ではなく“京香苗”で撮ったから、学校関係者には見せられない写真だ。
普段の見た目と違いすぎるからね。
春休み中も教師は出勤なんだけど、今日は時間休を取って中抜けする。
市役所で雄樹と待ち合わせて、婚姻届を出すのだ。
出したら、即、戸籍と住民票を2通ずつとる。2人とも職場に提出しなきゃいけないからね。
結局、当面は雄樹があたしの部屋に転がり込んでくるかたちになった。荷物はもう運び込んである。
上の階に空き部屋があるんだけど、家族用は家賃高いんだよね。
敷金礼金とか考えると、やっぱりちょっと出費が多いかな、とか思って、今回は見送った。
場合によっては、あたしが来年転勤して引っ越すことになるかもしれないし。
せっかく市役所に来てるんだからってことで、雄樹の配属先である都市計画課に、2人で挨拶に行くことにした。軽く手土産持って。
「明日からお世話になる富井雄樹です。
先ほど入籍いたしました。
これから、よろしくお願いします」
「妻の香苗と申します。主人をよろしくお願いします」
新人がいきなり新婚ってことで、驚かれたみたいだけど、まぁ、印象づいていいんじゃないかな。もっとも、明日異動していっちゃう人も何人かいるんだろうけど。
課長さんは異動しないらしいからいいか。
雄樹は家に帰って、あたしは学校に戻る。
校長に挨拶して、事務の方に戸籍謄本と住民票を提出した。
「京先生…あ…富井先生ですね」
「今日いっぱいは京でいいですよ」
戸籍を見て、雄樹の生年月日に気付いたからだろう、何か言いたいけど言えないという顔だ。
ここで惚気るのは“京先生”のキャラじゃないから、知らんぷりしておく。
「夫がうちに引っ越してきたので、住所は変わりません。契約書の方も書き換えはしないことになりましたので、家賃の支払いは私のままです」
あたしは今まで住居手当をもらってきたわけだけど、今後も住居手当をもらうことになる。
雄樹の部屋にあたしが入ってたら、あたしの住居手当がなくなるかたちになっていただろう。
もちろん、今の状況で雄樹が住居手当をもらったら不正受給になってしまうから、雄樹の方は住居手当が出ないよう手続きしてある。
あたし達は夫婦して公務員だから、そういうところははっきりさせておかないと。
「わかりました、ええっと、ご主人のお勤め先は?」
「市役所です」
裏を取るのかな? まぁ、普通は夫側が住居手当もらうものね。
「それにしても、急なお話だったので驚きました」
まぁ、内緒にしてたからね。
もう6年の付き合いだ、なんて言わないけどさ。
「馴れ初めなんて、聞いてもいいですか?」
ちょっと、それは仕事と関係ないよね。
「ナンパから助けてもらったんです」
言い捨てて、背を向ける。たぶん適当なことを言ってごまかしたって思ってるんだろうな。
“京先生”をナンパするような物好きがいるわけないって。残念。本当なんだなぁ。
「ただいま~」
部屋に帰ると、雄樹が出迎えてくれた。
「おかえり。メシできてるぞ」
「ありがと~。嬉しい」
通い同棲してる間に、雄樹も料理のレパートリーを増やした。元々、一応は自炊してたわけだから、料理とか苦手意識はなかったからね。もちろん、そんな手の込んだものじゃないけど、それを言ったらあたしだって簡単なものしか作れないからね。
これからあたし達は共働きになるし、家事はある程度分担しないと辛いだろう。
あまり多くは望めないだろうけれど、雄樹の方にやる気があるのはすごく嬉しい。
「結婚記念日に旦那様の手料理が食べられるなんて、幸せだなぁ」
って笑ったら、
「あ~、そっか、結婚記念日か」
なんて笑ってた。
2人して明日は仕事だし、今更初夜って感じでもないしで、早めに寝ることにした。
翌朝。
初出勤の雄樹を見送り、あたしも出勤する。
今年は3年のクラスを持つことになった。
去年歴史を受け持っていたクラスだから、顔と名前は一致している。
この子達を送り出したタイミングで産休に入れたら理想的だと思う。
「1年間キミ達の担任となる京改め富井だ。
担当教科は歴史。
受験を前に、色々と思い悩むこともあるだろうが、気軽に相談してもらいたい」
挨拶を終えると、女生徒から声が上がった。
「キョーセンセー、なんで名字変わっちゃったの~?」
まぁ、言われるとは思ってた。
「もちろん結婚したからだ。
プライベートな質問には答えるつもりはないから、そのつもりで」
「え~、どんな人と結婚したの~?」
「富井という男性だ。以上!
さぁ、次はキミ達の番だ。
出席を取るぞ」
富井先生としての1年は、こうして始まった。




