玖
瀬羅との鬼修道の稽古は次の段階へと進んだ。オレと瀬羅は実際に刀を振るい合い、それは日を重ねるごとに激しくなっていった。
オレの一撃が瀬羅を捉える事はまだ出来なかったが、その振る舞いから、だんだんと瀬羅に余裕が無くなっていくのは感じる。
「雷児さん、そろそろ私以外の者と手合わせをしてみません事? もちろん手加減無しで」
そんなある日、瀬羅はそう言うと一人の鬼をオレの前に連れてきた。
その鬼は瀬羅と同じ一本角の鬼で、やはり黒い角がギラギラと光り、オレを見つめる眼光には憎しみさえ宿っている様に見える。
「いいんですか、瀬羅様? こう言っては失礼ですが、相手はまだ素人。手加減無しでは、余りにお気の毒なのでは」
「いいえ、羅刹殿、それは気にしないで結構です。鬼修道の真剣な戦いというものを、あなたなりのやり方で教えて差し上げて欲しいのです」
「わかりました。けれどその結果、どのような結果を招いても自分は責任負えませんからね」
羅刹はよほど自信があるのだろう、隠しきれない笑いを抑え込むのに必死だった。クックッという声が口から洩れている。
オレはというと、唐突な手合わせに戸惑っていた。
手合わせと言っても、これは殺し合いだ。相手はオレを殺す気満々だ。正直、怖かった。けれど、瀬羅は言った事を曲げるようマネは絶対にしないだろう。
オレは腹を括るしかなかった。
「武器はどうする、〈東の雷鬼〉さん? 真剣でも俺は構わないが」
「これを使う」
「木刀? いいのか、そんなもので? 俺は真剣をつかわせてもらうぞ?」
オレは木刀を構え、愉快そうに刀を構えた羅刹と向かい合った。
羅刹の目が鋭さを増す。まさに鬼の形相でオレを威嚇する。すぐさま、オレの肉を削ぎ骨を折る、その激しい憎悪がオレの頭に流れ込み、その重苦しさはオレを怯ませる。
以前のオレならば、そこで気持ちが萎えてしまっただろう。
けれど、今は違う。
オレはすぐに羅刹の瞳を捉え、心に探りを入る。
心会術を自分のものとした今、面白い様に羅刹の心の内が見える。
まずわかったのは羅刹の抱えるドス黒いコンプレックスだ。父方の祖母が人間という現実に、誇りを失った父親、そんな父親の言いなりになる母親、弱い母親を弄る父親、何も出来ない自分。その全てが羅刹を卑しく曲げていた。
そんな羅刹をオレはワザとらしく嘲笑した。オレは正しき血統の鬼、羅刹の最も苦手で嫌うものなのだ。
「随分と哀れな過去を持っているんだな。その血のせいで、小さい頃から随分と苦労したと見える。まぁ穢れた血はアンタの中にあるのは確かだから、同情は出来ないがな」
「く、くそぉーーっ!」
「おっと危ない、危ない、アンタの薄汚い刀で切られたら、オレまで穢れちまう」
「うぉぉぉーーーっ!」
すでに羅刹の心は乱れ、怒りと憎しみのみが体を突き動かしている様だった。力み過ぎた太刀筋は、容易に避けられる。
「どうした? そんなんじゃ飲んだくれで無様な親父のチャンバラと、何ら変わりがないぞ?」
「黙れっ、黙れっ、黙れーーっ!」
冷静な思考を伴わない剣は、赤子の手を捻るより容易い。瀬羅の言葉を今さらながら納得する。
羅刹が苦しみ、泣け叫び、のたうち回る。
そんな様子を見ていたら、オレの心の中に羅刹を嬲り殺すイメージが沸々と沸いていた。
どうやって殺してやろう? 首を落とす? いや、その前に四肢を全て切り落としてやろうか?
オレは知らぬうちに笑みを浮かべている自分に驚き、刀を無闇に振り回す合間を見計らい、羅刹の首を木刀で軽く打ち据えた。羅刹はそれだけで地に落ち、気を失った。
ふぅー、危ない。危うく殺してしまう所だった。
しかし、思いがけないほど力の差に、オレ自身が一番驚いていた。
「キミは、こうなるってわかっていたの?」
「もちろん、わかっていましたわ。だって、私はあなたの上達振りを目の前で見てきたのですよ。それでも羅刹殿はうちの門徒の中でも腕が立つほうですから、もう少しあなたが苦しむ所が見れるかと思ったのですが。もっとも羅刹殿の心会術では畏れこそ与えられるものの、心を捉える事は出来ませんので、今のあなたには役不足だったのかもしれませんね」
「随分と悪趣味だね」
「だって私は鬼ですから。鬼は時として、自らの最も大切なものでさえ、その手で壊してしまいたくなるものですもの」
「オレは次から、何を学べばいい?」
「もうあなたはここへこなくても結構です。鬼修道を修めたとは言えませんが、その神髄に触れる事は出来たでしょう。これ以上学びたいと言うのでしたら、野球をお止めになって下さい。そして正式に門徒となって真剣に鬼修道に向き合うのです。そうすれば雷児さん、あなたはもっと高みへと到達できるかもしれません」
瀬羅は嘘とも本気ともつかない、そんな事を無表情なまま言った。
「私と共に鬼修道の道を極める、そんな選択肢もありましてよ?」
「オレには野球しかない。野球を止める事は出来ないよ」
「そうですね」
少し瀬羅は声を落とし、言葉を繋いだ。
「そう言うだろうと思いました。ならば、もう二度とここへは来ないで下さい」
「どうして? オレはまた友人としてキミと心を戦わせ、刀を交わしたい」
「それはもう出来ません。友人と申し上げたのは言葉の綾、あなたと私は友人などではありません。今回の事は私のほんの戯れだったのです」
「けれどオレにはわかるよ。キミの心は……」
「帰って、もう帰って下さい!」
瀬羅は珍しく言葉を荒らげ、オレは半ば強引に道場から追い出されてしまった。
けれどその日以降も、オレは何度も北鬼の道場を訪ねた。けれどその門は固く閉ざされ、二度と瀬羅が顔を見せる事はなかった。
来るなと言われてなお、なぜ道場へ向かったのかといえば、瀬羅が最後に帰れと怒鳴った時の顔が忘れられなかったからだ。
その顔は、心の中で出会った幼い瀬羅にとても似ていて、それは余りに哀しげで、そしてまるで人間のように弱云しかった。
そんな瀬羅に会いたい、それはオレの偽らざる心だったが、もっとも、そんな日が長続きするはずはなかったのだが。




