陸
オレと煌火の特訓が始まったのと時を同じくして、野球部内の練習の質も格段に上がった。
それは、実力のある一年生が入り、先輩たちのケツを叩きだした事が理由だった。
その先鋒たる煌火、気に入らなければ例え先輩であろうと、情け容赦のない罵りと制裁を加える始末。特に気の無いプレイに対しては文字通り烈火の如く怒り、火だるまにされた者は数知れず。バケモノとはいえ、炎に包まれれば熱いし辛いのだ。
そういう意味で煌火は、誰もが練習に必死で取り組むようになった一番の功労者とも言える。
巨人パテキシュスキー・スメヤガラは、「オマエ名前長過ぎるけぇ今日からパスキー」と煌火が勝手に呼び始めた仇名が浸透し、また割と素直で天然な性格もあってかみんなに愛され始めていた。
しかし時に無造作に、そして時に無慈悲に振るわれるその規格外なパワーは、みんなを恐怖のドン底へ突き落す事もしばしばだった。
特に一番危険と思われる接触不可避のクロスプレイで、パスキーのグラブタッチはともすると命に係わる。うかつにリードも取れない。
先日もケイローン先輩が腹部にタッチされた際に、内蔵破裂と複雑骨折で病院送りにされたばかりだ。被害者第一号であるオレが言うのだから間違いない。パスキーは危険だ。
狼女大牙八裂は、秀でた俊足と瞬発力、無尽蔵ともいえる体力、それに物怖じしない闘争心を買われ、怪我で離脱しているブラッド先輩の後釜としてセンターの定位置を得た。
とはいうもののレギュラーの自覚は無く、腰ぎんちゃくの様に煌火にベッタリと張り付いている。煌火の言う事には何でもハイハイと従順に従うくせに、他の者の言う事は一切聞かないのは不愉快はなはだしい。
それに、うっかり河童の川原先輩の頭の皿を見ようものなら、満月の夜でもないのに所構わず狼に変身してしまう。そうなってしまったなら、誰彼構わず牙で襲いかかるただの獣だ。
狼に変身した大牙を押さえられるのは煌火だけだから、オレたちはいつも注意を怠らないようにしなければならない。
そんな大牙もオレに対しての感情は複雑な様で、信奉する煌火が無条件で愛を注ぐオレという存在を、疎ましく思いながらも邪険に出来ず、とりあえずは無視するという態度に出ていた。
ま、いいんだけど。
何日も共に練習する事で、先輩たちの実力もだんだんとわかってきた。
バイスキャプテンのブライアン先輩は、何でも卒なくこなすユーティリティプレイヤーとでも言おうか。普通に野球センスも良いようで、守備も打撃も申し分ない。勿論実戦練習でも決して怪我をしない様に配慮しつつもアグレッシブなプレイも厭わないという、ほぼ完ぺきなプレイヤーと言えた。
ただし、どうにも熱が感じられない。この野球部において一番の常識人、頭も良いし頼りにもなる。けれど、この人についていくぞ、という気持ちにさせるようなカリスマ性というかキャプテンシーは、残念ながらブライアン先輩からは感じられない。
全てにおいて一歩引いた場所で諦観しているというか、まあ、自分本位ってやつだ。
それは猿松飛呂丸先輩にも言えた。もっとも飛猿先輩はもっといい加減というか、自分だけが大切という態度を隠そうともしない。
決して怪我をするようなプレイはしないし、危険な状況になりそうな時にはさっさと逃げる。むしろ潔いくらいに。
それでも、このチームで一番戦力的に頼りになるプレイヤーは誰かと言うと、それは飛猿先輩なのだ。
取れないボールは無いと言っていいほど、その守備範囲はとてつもなく広い。ファーストのパスキーはゴロのボールはほとんど処理できない状況なので、その守備位置まで楽勝でカバーしているし、ショート、レフト、必要と思えばどこへでも一瞬でもカバーに向かう、それが飛猿先輩の守備だった。
その野球センスは守備に留まらず、バッティングでも数々の怪しげな奥義?を繰り出し、どんな球であろうとヒットを量産する、流石は天狗と言うべき、素晴らしいプレイヤーだった。
ただし、時おりグランドに姿を見せる熱に浮かされたような女性たちや、彼女を取られ怒り狂った男性たち。それは、女とあらば誰彼構わず声を掛ける飛猿先輩の被害者たちで、その生活態度や女性に対してのだらしなさだけは看過できないレベルではあった。
そんな飛猿先輩でさえ唯一避けて通る女が、煌火、であった。理由は一つ、危険だからだそうだ。それはとても正しい。
魔法使いのジュエル・シュテシュテ先輩に関しては、もうオレの想像の範囲を超えていた。
まず守備の時、ほとんど動かない。動けないのではなく、動く必要が無いのだ。それは、自分の守備範囲に魔法陣を張り、そこに来たボールはすべて自動でファーストに送られるようになっていたからだ。
それに限らず、シュテシュテ先輩は全ての行為を魔法で処理しようとしていて、煌火が糞まみれになった例の一件に限らず、常にその事が大きな問題を起こしていた。
それは単にシュテシュテ先輩の魔法が未熟なせいなのだが、当人はそれをまったく自覚していないのが一番の問題なのだ。
シュテシュテ先輩は盗塁の際にセカンドベースに入る事は、煌火のファイヤースピンを見て以来断固拒否しており、禁止されているにもかかわらず、練習でも例の消滅魔法とやらをセカンドベース近くにかけていた。
先日の事、ショート近くまで打球の処理に向かった飛猿先輩が忽然と姿を消した事があって、それはシュテシュテ先輩の落とし穴に落ちたせいなのだが、飛猿先輩が見つかったのは、何と学校からは数十キロ近く離れた、見知らぬ農家の浄化槽の中からだった。魔法をかけた当人は野球部の部室に落すつもりだったらしいが。
シュテシュテ先輩をモノにしようと熱を上げている飛猿先輩も、流石にこれには怒りを隠せずにいた。
未完成な魔法であろうと、どんなに危険かをわかっていても、思い立ったら考えずに使ってしまう。
それがジュエル・シュテシュテという魔女なのだ。
レフトを守るケイローン先輩は半人半獣のケンタウロスだ。足は当然速く体も剛健、見た目はまるで彫像の様に逞しく惚れ惚れする美しさだ。
ただし身勝手な上に気難しく、気に入らない事はやろうともしない。女好きは飛猿先輩といい勝負で、常に女性を側に侍らせていないと気が済まないので、周りはいい迷惑である。
その美しさゆえモテモテのケイローン先輩は、油断していると外野の守備位置にいようとイチャイチャしている。本当に腹ただしい!
肝心の野球はというと、守備はあまり好きではないみたいだがバットを振り回すのは大好きみたいで、バッティングは大いに期待できる。
それはいいのだが、どうも弓の名手とやらで、隙あらば味方であろうと矢で射る事を至福の楽しみとしているというのが、どうにも厄介だ。ケイローン先輩には、迂闊に背中を見せられない。
RT3トリリオンJ、キャッチャー不在のため用具室から拾ってきたロボット。
相変わらずマスターと呼ぶ煌火の言う事しか聞かないのは困った事だが、現状エースである煌火の炎滅ボールを捕る事が出来るのはトリリオンしかいないわけで、言葉通りの拾い物、であったわけだ。
それに、戦力という意味においてもトリリオンは完璧だった。
キャッチャーとしてその守備においても、流石は元対人兵器というべきか、クロスプレイでトリリオンに立ち向かうのは無謀と言えた。なにせ痛みを感じない鉄の塊である。しかも、数々の武器をその体の中に隠しもった兵器に他ならないのだ。
バッティングも自慢の学習能力で、予測の範囲内であれば十割に近い確率でホームランが可能だった。
トリリオンにとって苦手なもの、それは予測不能な事態と予測を超えた存在であって、むしろそれは身の内にあるといえる。
マスターである煌火に対してはひたすら従順であったが、その仕草や態度に時折戸惑いや怖れを見せる。機械であり対人兵器たるトリリオンのその人間らしい姿は、なんとも可笑しく微笑ましかった。
それとライトを守る川原先輩。この先輩はオレにとても優しい。
暑い時にはジャグを手渡してくれ、怪我をすれば優しく介抱してくれる。その献身的とさえ言える行為に、オレはむしろ引き気味なのだが、川原先輩は「気にしなくていいよ」と言って、取り合ってくれない。なぜそんなにオレに気を使ってくれるのですか、そんな問いにはこう答えるのだ。
「君といると、なんだか心が安らぐというか、とても心地良いんだ。自分が自分でいられる気がするし、ずっとこうして側にいてぇくれぇなんだなぁ」
正直、気持ち悪かった。
なにせ河童だ。やけにヌメッとした体、頭には皿を乗せた河童お決まりのその姿は、お世辞にも素敵とは言えない。
おまけに、やたらとスキンシップなどと嘯きベタベタとオレに触ってくるその手はジメジメしていて気色悪い事この上ない。
それに野球の方の実力はというとこれがサッパリで、守備もバティングも何一つ期待できるものは無かった。
当然ながら煌火との相性は最悪で、川原先輩は煌火を〈ヒステリー赤鬼〉と陰で悪口を言いつつ逃げ回り、煌火は堂々と〈役立たずのクズ河童〉と愚弄していた。仮にも先輩なのに。
そんな川原先輩でもレギュラーである。その理由は簡単、野球部の人数が少ないからだ。
オレの世界の御出井学園は甲子園の常連校、優に100名を超える部員を擁し、レギュラーの座を勝ち取る事はそれだけで名誉な事なのだ。それとは逆に、ここ汚泥学園ときたら、総部員数が僅か十三名、まともに動けさえできれば、レギュラーはほぼ確定なのだ。
その原因は理事長の特殊な趣味のせいらしい。ブライアン先輩は、いつだってこう愚痴をこぼしている。
「理事長はさ、純潔主義というか、血統の優れた本物のモンスターが欲しいだけなんだよ。例えばキミたち鬼にしたって、他のモンスターとのハーフならそのへんにゴロゴロしている。野球をやるのなら、それだって何の問題も無いんだ。けれど、理事長にはそれが許せないらしい。正当なモンスターの血統、それが理事長のコレクションの条件らしいからね。だから、ボクたちはこんなにも少ない人数で坑死園を目指さなくてはいけない。それはとてつもないハンデなんだ。君にはまだわからないかもしれないけれどな」
そのハンデについては、後で嫌ってほど思い知るのだが。




