伍
そんな事があった翌日から、オレの地獄の様な生活が始まった。まさに地獄、煌火のシゴキが始まったのだ。
朝四時、まだ暗いうちに起きると、例の鉄のボールがビッチリと入ったリュックを腕に抱えた上、岩の様に思い煌火を背負ってのランニングに坂道ダッシュ。
ランニングを終えると、人気の無い産廃置き場に忍び込んだ。何をするのかと思ったオレに、煌火はニヤリと意味深な笑顔を向けた。
「ただのキャッチボールじゃ」
勿論そんなワケがない。煌火は何食わぬ顔で鉄のボールをオレに投げ込んできた。10キロ以上ある鉄のボールを思いっきりだ。
思わずキャッチしてしまったが、その反動で思いっきり後ろへひっくり返ってしまった。
「何しとんじゃ! しっかりキャッチせんといけまーが。ほれ、はよぉ投げかえしーや」
いや、こんな球投げたら、肩壊すだろう? しかも、素振りも鉄のバットだ。いや、バットというより金棒だ。鬼に金棒、シャレのつもりか?
煌火はいつもこんな練習していたのだろうか?
「ウチは山育ちじゃけぇ、練習場所にゃ事欠かんかったけぇの。ボールで猪仕留めたり、バットで木倒したり、楽しかったわぁ」
とにかく無茶苦茶な練習だったが、意外にもオレの体はそれに耐えられた。
ついつい人間感覚で考えてしまうが、オレは鬼なのだ。これくらい当たり前なのかもしれない。
だがしかし、やはり辛いものは辛い。正直、ヒィヒィ言いながらついていくのがやっとの始末。そんな日々を過ごしてどれくらいたっただろう。
それはブルペンで、トリリオン相手に投球練習をしていた時の事だ。オレの様子を、煌火はしばらく黙ってジッと見ていたが、軽く頷きながらオレにこんな事を聞いてきた。
「雷児はストレートしか投げれんのか?」
「いや、オレの持ち球はストレートの他にスライダーとチェンジアップ、フォークボールも投げられるけど?」
「なんじゃ、エライ球種多いんじゃのぉ。ほいじゃ、スライダー、投げてみんさい、ウチが球、受けちゃるけぇ」
「わかった」
煌火はトリリオンからミットを奪うと、低く構えた。オレは軽く頷き、大きく振りかぶりスライダーを投げた。ストレートと同じフォームから投げるオレのスライダーはキレも十分で、バッターを打ち取るのに大きな武器となってきた。
スッパーーーン!
ボールは打者の手元で大きく変化し、低く構えた煌火のミットに寸分たがわず綺麗におさまった。
うん、キレもいい。会心のボールだ。
けれど煌火は何か不満げな様子でミットを取ると、それをオレに押し付けた。
「今度は雷児、受けてみぃ。ウチのスライダー、見せちゃる」
「炎滅ボールは無しだよ。あんな球、本職のキャッチャーじゃないオレには捕れない」
「わかっちょる」
オレとしては会心のスライダーのはずだが。煌火には不満なのだろう。
しかし、あの炎滅ボールを投げる煌火である。どれほどのスライダーが投げられるのか、オレは興味深々でミットを構えた。
煌火の腕は燃えていない。普通のボールのようだ。少しホッとしていたオレは、そのスライダーを見て度肝を抜かされた。
そのボールはまるでバッターの頭を狙ったかのような高い軌道から、突然物凄い風切音とともに角度を変えると、オレのミットへと吸い込まれたのだ。
「な、何だーーーっ?」
「これがウチの、鬼スラじゃ」
得意げに鼻をヒクつかせる煌火。確かに、ありえないほどエゲツない変化だ。オレはただ目を見開くばかり。
「驚かんでもええ。こがぁなボール、雷児かてすぐに投げれようになるけぇ」
「オレでも?」
「ほうじゃ。ウチが教えちゃるけぇのぉ」
煌火は一度ニヤリと笑うと大きく口を広げ、突然、自分の前歯を一本抜き取った。
「え、えーーーっ!」
取ってみると、それはやけに大きく鋭い刃だった。
「球、放るほうの手ぇ、出してみい」
煌火は口から血を流しながらそう言うと、突然オレの左手人差し指に噛みついた。
「あ痛たたたたたっ!」
オレの人差し指の腹の肉を食い千切ると、ペッとそれを吐き出し、今抜いたばかりの自分の歯をそこに突っ込むと、持っていたハンカチで指をグルグル巻きにした。
「ウチの指、見てみんしゃい」
差し出された煌火の右手の人差し指。その第二関節の腹の部分が、やけに出っ張っている。触ってみるとそれはとても固く、鋭かった。
「歯と指の骨をくっつけてこうしたんじゃ。この出っ張りをボールに引っ掛けて放ると、あがぁな変化しよるんよ」
「そんなの、アリ、なんだ?」
「まぁ、ちぃーと指がにがるかもしれんが、がまんしぃや。何にせぇウチの歯が役にたって、嬉しいのぉ!」
「歯、無くなっちゃって大丈夫なの?」
「すぐ生えてくるけぇ、問題ないわ」
歯抜けで笑う煌火と、ジンジンと痛むオレの指。
うーん、何かちょっと納得いかないけど、仕方ない。ここはバケモノの世界だ。
「あと、も一つ。おもろいもん、見せちゃる」
そう言うとトリリオンを座らせ、再びマウンドに登った。
「雷児はカーブは投げんのか?」
「カーブは肘に負担かけるから、あまり投げないようにしてたんだけど」
「肘に負担なんぞかけんでも楽に曲げる方法、教えちゃる。よぉ見とけ」
そう言うと煌火は、ワインドアップから腕を大きく振りかぶった所で、その右手を良く見えるようにオレに突き出した。
その手の中で一度ギューッとボールを強く握りしめる仕草を見せると、放たれたボールは空中でのたうち回るように暴れながら、トリリオンのミットにおさまった。
煌火は唖然とするオレに、そのビールをポイッと投げ渡した。それは見事なまでに、俵型へと変形していた。
「ボールも丸ぅないと、ぶち変化しよるんよぉ。おもろいじゃろぉ?」
硬球って潰せるか、普通? そう思ってオレはボールを強く握ってみた。それはウソみたいに柔らかく、グニャリと大きく変形した。
「いつの間にこんな握力が…。そうか、あの鉄の球! あんなに重い鉄の球、放っていのも、無駄じゃなかったって事か!」
煌火はらしくない優しい仕草でオレの左腕を摩りながら、満面の笑みを浮かべながら言った。
「じゃけんど、ウチがホンマに見たいんわ、こがぁなモンじゃないんよ。早よぉ、見てみたいのぉ。雷児のインフィニティサンダーボール」




