弐
角と角を突き合わせ続く、鬼少女二人の睨み合い。
まさに鬼気迫る雰囲気、周りの空気まで冷え込んでくるようだ。
しかしここは北鬼瀬羅が一つ大人なのか、緊張した空気をスゥーと抜く様に、後ろ手に勝手口を開くと、オレたちを中に通してくれた。
「まぁ、いいでしょう。玄関先で争うのも無粋、北鬼の正式なお客様としてお招きする事は出来ませんけれど、私の私的な客人としてならお話くらい伺っても構いませんわ。どうぞ、中へ」
北鬼のお屋敷は、およそ中の広さがうかがい知れない程広大で、後から聞いた話では、優に東京ドーム三つ分の広さがあり、門も東西南北四つも有るとの事だった。
そんなお屋敷の客間はオレのウチ一軒丸ごと納まってしまうような大きさで、そこに通されたオレたちは、改めて北鬼瀬羅という鬼少女と相対する事となった。
「鬼南さんは簡単に鬼修道を学ばせて欲しいなどとおっしゃいますが、学ぶためにはそれなりの手順がございます。まずは門徒、私どもでは鬼修道を学ぶ者をそう呼びますが、その門徒の中でも上位者の推薦状を携えた上、家系図、血統証明など必要書類もご用意いただかなくてはいけません。それらを審議した上で、初めて門徒として鬼修道を学ぶ事が出来るのです」
「そがーにたいぎぃーな事、出来んわ」
「ならばお引き取り願います」
「ウチらが黙って帰る、思うちょるんか?」
「なぜ鬼修道を? あなたがたは野球とやらを楽しんでいればいいではないですか?」
煌火の腕がピクリと動く。けれど、フゥと一息吐くと、再び言葉と繋いだ。
「ウチらが遊びで野球、やっちょると思うちょるんか? ホンマの鬼の畏れを人間に忘れさせんために、ウチらはあがーな目立つ所で、命張って、殺し合いをしとるんじゃ。アンタらの様に理屈や理想で鬼を縛り付け、結果、人目から遠ざるようなマネしちょったら、いつの間にか鬼は鬼じゅのぉーなってしまうけぇーのぉ」
「私たちとて、何も鬼を世間から隔絶させようとしているわけではありません。鬼の力を効果的に高め理知的に制御し、その差異性をもって人間との共存を目指していく、それこそが近代社会における鬼の存在意義であると考えているのです。今さら、畏れや恐怖で人間の心を支配するなど、時代遅れなのです」
「ほー、本音が出たのぉ。アンタら口じゃ鬼のため鬼のためと、よぉ言いよるが、結局は人間に媚売って、分け前に預ろうっちゅう事じゃろう? そがーなもん、ウチらはゴメンじゃ。ウチらは体張って命賭けて鬼の恐ろしさを知らしめる事こそが、真の鬼の道じゃ、思うちょる。行こか、雷児。この人らと話しても、埒あかんよぉーじゃ」
立ち上がった煌火に、北鬼瀬羅が立ちふさがる。瀬羅は頭一つ煌火よりも背が高く、その目は相変わらず冷たくオレたちを見下ろしているが、瞳の奥にあるのはさっきの様な無関心や蔑みではなく、とてもストレートな怒りに思えた。
人を震え上がらすには十分な鬼の怒り、これには流石の煌火も一歩引かざるを得なかった。
「私たちが、普段どれ程厳しく自分を律しているか、軽くお考えのようですね。よろしいですわ。では私が直接稽古をつけて差し上げましょう」
「アンタがやるゆぅんか?」
「次期当主たる、この北鬼瀬羅の直接指導に不満がおありですの?」
「いや、そがーな事はない。よろしゅー頼むわ」
「ならば、道場へ行きましょう」
オレたちは、客間から道場へと場所を移し、鬼修道とやらの稽古をつけてもらう事になった。
しかしその稽古とやらの相手がオレで、オレの意思に関係なくドンドン話が進んでいく事に困惑していた。さっきの怪我も心配だし。しかし、そんなオレの不安に気付いたのか、煌火がオレに耳打ちしてきた。
「さっきの怪我、どうじゃ?」
「うん…。あれ、何とも、ない?」
「ほーじゃろう。鬼はあの程度の怪我なんぞ、すぐに治ってまうけぇ。尋常じゃない回復力も鬼の畏れの一つじゃけぇーのぉ」
「うん。我ながら驚きだ! 凄い、凄いな!」
「よぉーわかったじゃろ。雷児はそんなに気張らんでも、今かて立派な鬼なんじゃ。」
北鬼の道場は、学校の体育館が優に三つは悠々と入る程に大きな建造物で、中はゴツゴツとした岩山をそのまま切り抜いてきた様な不思議な作りになっていた。普通の道場を想像していたオレは面食らってしまった。
しかし、驚くのはまだ早かった。この時オレは、鬼修道たるものが何なのか、全く理解していなかったのだから。煌火の説明から、単に竹刀を打ち合う剣道みたいなものだろう、そんな考えをしていた自分が、後になって考えてみると恥ずかしいくらいだ。
それほどまでに、鬼修道とは恐ろしいものだったのだ。
道場内には数人の門徒たちが、各々稽古をしていた様だが、瀬羅が姿を見せると深く礼をした。
「お嬢様、本日はお早いお出ましで」
「ちょっと席を外していただけますか? 客人のお相手をせねばなりませんの」
「どなたです? お嬢様がわざわざお手を煩わせなくても、我々で…」
「いえ、それには及びません。私的な客人ですので」
「しかしお嬢様…」
「私のやる事に不満なのですか?」
「い、いえ、申し訳ありません。すぐに立ち去ります」
「それと、この事は当主には内密に願います。よろしいですか、羅刹殿?」
「もちろんです。一切他言致さぬよう、皆にも徹底させましょう」
その鬼たちは去り際、猛烈に悪意のある目をオレたちに向けると、舌打ちと共に去っていった。
「すいません。無理を言ってしまったようで」
「良いのです。どうせ、あと一時もすればいつもの稽古の時間でしたから。それで雷児さんと申しましたね? 防具は着用なさいますか?」
「そがーなもん、いらんわ! のぉ、雷児」
煌火はひとしきり道場内を見て回り、不敵な顔で瀬羅を睨みつけた。
「そうですね、私も防具は必要ないと思いますわ。おそらく、私が剣術を使うまでの状況には至らないでしょうから」
「そりゃ、えろー雷児も安く見られたもんじゃのぉ?」
「そもそも鬼修道は、鬼本来の力を高め知る事、その力を制御する事が目的で生まれたものです。無分別に暴れ回る鬼を抑える業、鬼としての生を修める法。ですから鬼修道がなんたるかもわからない素人同然の雷児さんでしたら、私自身が指一つ触る事なく勝敗を決するなど容易い事」
「えらい自信じゃのぉ」
「そうでなければ、次期当主などと名乗るわけにはまいりません」
「じゃが雷児はアンタ程度のメス鬼にゃ、そがぁに簡単にやられたりゃーせん思うがのぉ」
「ほう? 私程度の鬼、ですか?」
瀬羅の目が再び凍る。止めて、止めてくれよ、これ以上挑発するのは。戦うのはオレなんだからさぁ!
「わかりました。それでは始めましょうか。その前に、何を手になさりますか? 好きな武器を選んで下さい」
瀬羅は道場脇の倉庫に用意されていた数点の武器を示した。真剣、木刀、西洋のサーベルに槍まである。
実際に瀬羅は、何も手にせず立っているだけでも圧が凄かった。その冷たい目で見られているだけで、体の底から震えがくるようで、確かに無手で立っている事が奥がましい気さえしてくる。
オレは迷わず刀、それも真剣を手に取った。
「その剣は数多の命を奪った名刀、良い選択だと思います。もっとも、それを使う機会などは無いとは思いますが」
「君は、君は武器を選ばないの?」
「私は武器など要りません」
瀬羅の目がキラリと光る。一瞬口元に笑みを漏らしたのを、オレは見逃さなかった。
ガタガタと震える膝を誤魔化すため、屈伸を数回やってみる。
「ではよろしいですか。私が手を一つ、ポン、と叩いたら、いつでも襲い掛かってきて下さい。どんな手段を取っても構いません。私に一太刀でも浴びせる事が出来たのなら、あなたの勝ちです。どんな望みでも聞いて差し上げましょう。では行きますよ」
瀬羅は今度こそ、はっきりと笑った。まさに背筋が凍る、冷たい微笑みだった。




